第十三話 聖女の自覚
まぁ、アーロルド様のプロポーズは彼の全くの独断で、帝国の皇太子殿下ともあろう者が自分の結婚相手を自分だけの判断で決められる訳がないのよね。
皇帝陛下は皇太子殿下のご意向を尊重する方針だという事だったけど、皇妃様はもうとにかく「あのリレーナだけは許しません!」と金切り声で叫んでいらしたらしいから、皇太子殿下が私をお相手と心に定めたから、じゃあ来年結婚しましょうか、という簡単な話にはならなかった。
しかしアーロルド様がこうまではっきり意思表示をしたことで変わった事も幾つかあった。
一つは、アーロルド様がもう明確に「リレーナと結婚するつもりである」という態度を何処の場所でも見せ始めた事だ。
彼は離宮に遊びに来ても、社交でお会いしても私の手を取って手の甲にキスをして、軽く私の事を抱擁する。これは尊敬と親愛を表し、家族か家族並みの相手にしかしない。他の聖女達には普通に胸に手を当てて挨拶をするか、丁重な場面では跪く。私だけ明らかに特別扱いになったのだ。
そして、舞踏会の最初のダンスの相手を必ず務めて下さるようになった。
社交の入場は、これは明確に婚約者、悪くても恋人関係にならないとパートナーに出来ない。しかしながら舞踏会最初のダンスはお互いに意識している、くらいの関係でも許される。そのため、殿下は必ずこの最初のダンスパートナーになって下さるようになったのだ。
そのために色々お忙しい(ご教育や鍛錬や、既に始まっている次期皇帝としての職務見習いなどがある)殿下が、私が社交に出る時は何をどうしても舞踏会が始まる前までに全てを終わらせ、社交の会場に駆けつけて下さるのだ。
なので私が舞踏会に出る場合には事前にアーロルド様に一報を入れなければならない。一度これが上手く伝わらなかった時は、何もかもを放り出して私の所に駆け付けてしまい、皇帝陛下や皇妃様にかなり怒られたらしい。
こうまで私の最初のダンスパートナーに拘ったのはアピールのためだ。リレーナは私のものだからな! と周囲の貴公子を威嚇するためだ。こうまで皇太子殿下が執着を露わにすると、他の貴公子は流石に遠慮する。私へのダンスの申し込みは激減することになった。
もう一つは私以外の三聖女の態度だ。彼女達はすっぱりと皇太子殿下を諦めたのだった。
「皇太子殿下があれほどリレーナリレーナ言っているのに、私達の出る幕があるわけないじゃないの」
とアルミーナは言ってたわね。
ただし、皇太子殿下の一存で皇太子妃が決まるわけではないのはみんな理解していて、もしも周辺の意見によって(主に皇妃様の反対によって)私が皇太子妃になれない事態が起こった場合には、他の誰かが皇太子妃になりましょう、という考えだった。
「その場合には不倫を許すからな」
なんてウィルミーは生々しい事を言っていたわね。貴族の場合、愛し合う二人が家の都合で結婚出来ない事はまああるので、そういう場合は不倫関係になって愛を続行するのだという事だった。
それは兎も角、アルミーナも、ウィルミーも、シルリートも、皇太子殿下を気に入っているにも関わらず私に殿下を譲ってくれたのだ。これも友情と言うのかしらね。ただその代わり「貴女は殿下がいるんだからガルヤードに触れちゃダメよ」なんてシルリートに釘を刺されたけどね。
そんな感じで私は再び「皇太子妃第一候補」となったのだった。この事は、皇太子殿下のあからさまなアピールにより隠れもしないものとなり、そもそも聖女が皇妃になるという慣例からして、聖女の中からアーロルド様が意中の人を選ばれたというのは歓迎される事だと貴族達に受け止められた。
こうなるとアルルリア様を始めとする皇太子妃候補達は一気に二番手以下の立場に落ちることになる。このままあくまで皇太子妃を目指すか、それとも他の方へ嫁入りするかを選ぶことになるのだけど、アルリリア様は皇族だけに適当な相手の選別が大変なのだそうで、彼女はなかなかしぶとくて皇太子殿下を諦めずに色々と画策していたわね。
そして私の方も気持ちに変化があった。
そう。私は皇太子殿下のプロポーズを受けて、自分が皇太子妃になる事を「決めた」のだった。
勿論、今後の皇帝陛下と皇妃様と、貴族達の事情によっては皇太子殿下が希望し、私が「決めて」も私とアーロルド様の結婚が調わない可能性も大いにあると思う。
でも、皇太子殿下があれほどはっきり意思表示してくれた以上、私が中途半端な態度でフラフラしていてはいけないと思ったのだ。決める必要があった。殿下のプロポーズを受けるか、受けないか。
そして私は受けると決めたのである。
殿下がプロポーズしてくれたあの日、私はウィルミーに示唆されて「貴族を辞めようか」という事まで考えていたのだ。なので「貴族を辞める」から「皇太子妃になる」までの様々な選択肢が私の前にはあることに気が付いたのだった。これが皇太子妃になるかならないかの二択だったら、私はすっきりとしなかったに違いない。
でも、私はその気になれば何でも、どうにでもなるのだと気が付き、その上で皇太子殿下のプロポーズを頂いて、改めて自分の進む道を選ぶことが出来たのである。
そして私は選んだ。皇太子殿下への道を。皇太子妃になる事を。一年半前、選択の余地なく大人達に言われるままに「皇太子妃になるんだって」と帝都にやってきたあの頃とは違って、私は自分の意志で、自分の未来として、皇太子妃になる事を決めたのだった。
ただ私はこの期に及んで、アーロルド様の事を「愛してる」と言う事が出来ないでいた。
好きは好きなのよね。それは自覚がある。大好きな相手ではある。でもそれは、聖女のみんなだって大好きだし、ケライネだって大好きだ。つまりそういう「好き」なのである。
男女の愛情ってそれとは違うんでしょう? 私にはその辺は全然分からないのだけど。分からないというのはやはり、私がアーロルド様を男性として愛しているとは言えないという事だと思うのよ。
でもそれはそれよね。庶民だって貴族だって愛し合っているから結婚するわけじゃないのだ。必要だから結婚するのだ。私は皇太子殿下と結婚するべきだと思った。だから結婚するのよ。
決意は大事だ。人間は意識によって行動が変わるからである。私は皇太子妃になると決意した。なのでそういうつもりで行動し始めたのである。
◇◇◇
皇太子妃は将来の皇妃、帝国で一番偉い女性になる予定の女性だ。なので自分の前に出てくる人間は、皇帝陛下、皇妃様、皇太子殿下、そして私以外の三人の聖女以外はみんな臣下になる予定の人々なのである。
故に、私は偉い。皇太子妃で聖女なのだがらすごく偉い。私はそういう自覚を持って振る舞うようにした。
シルリートに言わせれば「レーナは最初から偉そうだったから違いがよく分からない」という話だったけど、私の中では大違いなのだ。
私は偉いので、下々の者達の戯言にはいちいち言葉を動かされない。なのでアルリリア様が「平民が皇太子妃になるなんて無理に決まっていますわ」なんて声高に言い立てても腹など立てない。余裕の微笑みを浮かべて。
「いつから公女風情が帝室と聖女の縁談に口を挟めるようになったのかしらね?」
とでも言っておけば良いのだ。
同時に私はアルリリア様の父親であるエカッセン公爵に圧力を掛けた。
「これ以上ご息女の無礼は聖女の慈悲をもってしても見過ごせないかもしれません」
聖女であること、皇太子妃第一候補であることを前面に出して、たとえ公爵でも公爵令嬢でも私に対する無礼は許さないと圧力を掛けたのである。
私はどうしても平民出身という事で侮れれている面があった。しかし私は聖女と皇太子殿下に選ばれた女性である事を押し出して、そういう蔑視を正面から潰しに掛かったのだった。
これでも私はこれまでは結構遠慮がちに振る舞っていたと思うのよ。アルミーナが聞いたら笑い転げると思うけどそうなのよ。でも、今や私は制限や遠慮をとっぱらったのだった。
その結果「傍若無人な聖女リレーナ」とまで言われてしまう事になるのだった。失礼ね。そこまで言われるような事はやってないわよ。
単に社交の場では最上席に腰掛け、相手が公爵でも鷹揚に挨拶を受け、いつでも意識して中心の場で堂々と振る舞うことを意識したくらいよ。他の聖女のみんながいても同じ。皇太子妃の私が一番偉いのだから。
多分、私を嫌う人も随分増えてたと思うけど、同時に私を慕う方々も増えたわよ。もちろん、ほとんどの人は聖女であり将来の皇太子妃である私に付いていれば、何か良い事があるのではないか、と思って擦り寄ってきた方々だったと思うけどね。それでも良いのよ。そういう人は私が利益をもたらしてあげている以上は私の味方になってくれるだろうからね。
味方が増えれば私は聖女としてだけでなく、貴族としても発言力が増加する。そうやって強まった私の発言力と、聖女としての権威と、皇太子殿下の寵愛があれば、たとえ皇妃様が私を嫌っていても、私の皇太子妃への道は妨害出来まい。
なので私は味方を作るべく積極的に振る舞いもした。社交では多くの令嬢、夫人に声を掛け、懇談し、お手紙を書き、時には贈り物をした。有力なのに孤立気味の家の夫人と繋がりを作り、わざわざその方の家に出向いてお茶会を開催したりした。
大きな権威のある私と繋がりを作ることは今や帝国の社交界では大きな意味を持っているから、皆様喜んでくださったわよ。おかげで私を慕う方々の「派閥」はあっという間に大きくなった。
女性の社交界では、女性同士の結び付き。いわゆる「派閥」がいくつもあって勢力争いをしているものだ。女性派閥が大きく強ければ、その派閥に所属する夫人の夫達も男性社交界で大きな勢力になる。その逆もあるんだけどね。男女の社交界の勢力はお互いに影響し合うのだ。
その意味で言って、私を支持する勢力が強く大きくなることは、皇太子殿下の派閥が大きく強くなるという事だ。皇太子殿下の勢力が増すという事は、将来の皇帝権力の安定に繋がるので、歓迎されるべき事である。
皇帝権力の安定を産む大派閥を有する私が皇太子妃になる事の重要性が高まれば、皇妃様だって私の皇太子妃就任に反対する訳にはいかなくなるわよね。そういう目論見だった。
その狙いはうまくいって。私の派閥は拡大する一方となったのだった。皇妃様もご自分で相当大きな派閥を率いてらっしゃったんだけど、私の勢力は簡単にそれを上回ったからね。それだけ聖女の威光は強かったのである。
それだけではなくて私も頑張ったけどね。ウィルミーが言うには私には「人たらしの才能がある」との事だったわね。アルミーナからは「レーナは敵に回したくない」とも言われた。実際、皇太子妃の座を執念深く奪おうとしていたアルリリア様の派閥には、私は容赦なく攻撃を加えた。
彼女の派閥は当然だけど高位貴族のご令嬢ばかりだ。私はそのご令嬢達の母親に狙いを付けた。声を掛け、お手紙を出し、贈り物をし、将来の便宜をちらつかせ、もしも私の派閥に入らないのなら未来はないと思え、と脅した。
夫人としてはアルリリア様には何の義理もない。すぐに私の派閥に入ってくれた。その上で私は夫人達に「ご息女にも私を支持して欲しいのですけどね」と言ったのだった。
将来性有望な私に、娘達を保護してもらえるのなら親としては願ったり叶ったりだ。娘が私と対立しているアルリリア様の派閥に入っているなんて知ったことではない。夫人の命令でご令嬢達はアルリリア様の派閥を抜けて私の派閥に加わり、アルリリア様の派閥は壊滅した。
最終的にはアルリリア様を私が「このままでは地方の貴族にでも降嫁することになりますよ」と直接脅して、アルリリア様は遂に屈服。彼女も私の派閥に入ったのだった。
この急速な社交界における私の勢力拡張は、当然だけど皇太子殿下のお墨付きだった。彼は私が「皇太子妃になります」と宣言するとそれは喜んだわよ。そして私が皇太子妃の立場を確立するために邁進すると言うと両手を挙げて賛成したのだった。
「リレーナの思う通りにしていいよ。君は皇妃になるんだもの。全て私が皇帝になったら責任を取るから」
そして殿下も私を事実上の皇太子妃として扱い「私は聖女リレーナが一番妃に相応しいと思う」と公言した。
相変わらず皇妃様は私とアーロルド様の婚約には大反対しているそうで、皇太子殿下は来年の成人の儀式と同時に婚約をすっ飛ばして結婚したいご意向だったのだけど、とても認められそうにないという話だった。
ただ、皇帝陛下は「聖女の一人なら問題ないだろう」と仰っており、賛成の立場。そして私の派閥と皇太子殿下の支持者は今や貴族達の最大勢力で、私たちの婚姻成立を強く後押ししている。
皇妃様一人が反対してもどうにもならないところまで、私は状況を一気に動かしたのだった。私も頑張ったけど、私を支持してくれた方々、それと聖女のみんなもフォローしてくれて、更に皇太子殿下がしっかり私を支えて下さったからこそだ。
そんな風にして、私は今や帝国貴族界の中心に成り上がり、次代の皇妃としてほぼ認められていた。のだったが。
意外な方面から異議の声が上がったのだった。私も皇太子殿下も驚いた。
それは「神殿」からの異議だった。
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