第十二話 聖女の傷心

 夜会を終えて離宮に帰った私は塞ぎ込んだ。


 翌日朝になってもお部屋に閉じ籠ったのだ。アルミーナもこの頃には流石に許可もなく他人のお部屋に踏み込むようなことはしなくなっている。心配してくれていたそうだけど、私は朝食も食べずにベッドに横になって布団を被っていた。


 昨日の夜会でご令嬢達に吊し上げられたのがこたえた、という訳ではなかった。反撃出来なかったのが悔しいというのも違う。皇太子殿下に助けてもらったのが情けない、というわけでもなかった。


 それなのになんで自分はこんなに落ち込んでいるのか、気分が晴れないのか。分からなかったのよね。とりあえず私はケライネに心配させて申し訳ない、と思いながらもベッドから離れなかった。


 昼前、アルミーナがお部屋に無理やり入ってきた。そういう無作法は避けるようになっていた彼女がそうしたのだから、ワザとだろう。アルミーナはベッドに近寄るなり、布団を被って転がる私に向けていきなりダイビングした。


「ぶっ!」


 お腹にのしかかられて思わず吹き出してしまう。


「あ、アルミーナ! 何を!」


「なにウダウダしてんのさ! しっかりしなさい!」


 アルミーナは私の上に馬乗りになり、布団の中に手を入れて私をくすぐった。


「こら! ミーナ!」


「らしくもなく悩んでるんじゃないわよ! このこのこの!」


 くすぐったり、転がしたり、抱き付いたりと散々私を弄んだ挙句、アルミーナはプイッと私を離して部屋から出ていってしまった。……なんなのよ。もう。


 再び布団を被り直した私のところに、今度はウィルミーがやってきた。ケライネには入室を断るように伝えた筈なのに、ウィルミーは知らん顔で入ってきたわね。


 彼女はベッドマットに腰掛けると、手を伸ばして私の事をバンバンと叩いた。彼女は力が強いから、結構痛かったわね。


「何を拗ねてるのか知らんが。しっかりしろ。いつも元気な君がそんなだと、周りの調子まで狂う」


 ……拗ねてる?


「拗ねてなんかいないわよ」


「拗ねてるだろう。どうせあの時ご令嬢に言い返せなかったのが悔しいとか、そういう理由だろう」


「別に、言い返せなかったわけじゃないわ」


 私は反論したのだけど、ウィルミーは私のことをポンポンと叩きながらこう言った。


「反論出来たなら、晩餐会の時のように見事にしてみせただろう? それをせずにいきなり暴力に訴えようとしたのは出来なかったからだ。ご令嬢の言う事に、心当たりがあったのだろう」


 ……うぐっ。それはちょっと、図星だった。何が図星かと言えば「リレーナ様は皇太子妃に相応しくない」というのは、私もそうだと思っている事だったからだ。だから反論出来なかったのである。


 私も平民で何も知らない頃だったら、別に皇太子妃になる事に何の疑問も抱かなかっただろう。成人したら嫁に行くものなのだし、それが皇太子殿下のところでも同じよね、くらいに思っていたのだ。


 しかし帝宮に来て様々な教育を受け、神殿で崇められ社交でチヤホヤされている内に、私の中で違和感が段々と大きくなっていったのだ。


 ……これ、無理じゃない?


 お貴族様、皇族の方々とのお付き合いが増える中で、私はそういう方々との「人種の違い」を強く感じるようになったのだ。それはもう、生まれた時からの手足の本数が違うような違和感だったわね。


 私も頑張ってお作法は学んだし、教養もしっかり身に付けた。貴族的な振る舞いが出来ないわけではない。


 でもそれは、あくまで擬態であって、本質まで変えられるわけではない。だから、貴族として振る舞うと、私は疲れるのだ。


 そういう疲れの蓄積が、結局今回のダウナーの原因なのだ。こんなに疲れる貴族生活は本当は私には向いていないのではないか。まして皇太子妃なんて無理なのではないか。そう内心思ってしまったから、私はご令嬢達の意見に言葉で反論出来なかったのである。


 アルリリア様は年齢とか作法とか、細かい表面上の事をいちいち論っていたけども、もっと本質的な意味で私は皇太子妃になんて相応しくないと思うのだ。


 黙り込んでしまった私を、ウイルミーはまたバンバンと叩いた。痛い。


「嫌なら止めればいい。皇太子妃も、聖女も。投げ出して故郷に帰ったって良いんだぞ? レーナ」


「そんな無茶な事言わないでよ」


 皇太子妃はともかく、聖女を投げ出すなんて出来る筈がない。しかしウィルミーは笑いながら言った。


「『聖女の力が使えなくなりました!』と言えば良いのだ。自分以外の誰も、私たちが聖女の力を使えるのかどうか分からないんだからな。いざという時はそう嘘を吐いて逃げてしまえ」


 私は唖然とした。布団から這い出してウィルミーを見上げる。ウィルミーはどこか不敵な表情で笑っている。


「……すごい事言うのね」


「聖女の地位などその程度に考えておけば良いと思うぞ。どうせ皇帝陛下も神殿の連中も、私たちを利用する事しか考えていないんだからな」


 ウィルミーが帰った後、私はベッドに転がりながら彼女の言った事を考えた。彼女の言った事は乱暴だったけど一理ある。


 私が聖女であるかどうかは私がアスタナージャ神のお力を使えるかどうかでしか判別出来ない。ご加護の儀式で使った宝石もあるけど、今の私は祈りの加減が出来るから、お祈りするふりをして全く宝石に色を付けない事も出来るだろう。


 なので「突然、聖女の力を失いました」と言えば誰もその言葉を否定する事は出来なくなるだろう。


 私が聖女でなくなれば、皇帝陛下も神殿も貴族の皆様も、私に対する興味を失う事だろうね。そうすれば私が故郷に帰ろうと野垂れ死のうと誰も文句を言わなくなるに違いない。そうしたら貴族も辞めて、故郷の実家に帰り、平民の家に嫁入りして一生農作業をして暮らすのだ。聖女の力は隠して過ごさなければならないけど、少しは使えば一生私の家の畑は豊作だろうから、生活にはきっと困らないわよね。


 貴族に向いていない私にはそれが一番良い方法なんじゃないかしら。私がそう思い始めたその時、今度はシルリートが私の部屋に入ってきたのだった。三人目だ。ここまで来ると、誰が来ても入れないようにと頼んでおいたケライネの裏切りを疑わなければならないわね。まぁ、きっと彼女も私を心配してくれているのだろう。


 シルリートは肩の上で切り揃えた干し草色の髪を振りながらベッドに来ると、ベッドサイドの椅子に上品に腰を下ろした。この娘は初めて会ったときからある程度お作法が出来たし、頭が良く何カ国語も話して読めた。活発な子でよく遊んだけど、どこか超然として自分の意志を韜晦しているような所があったわね。


 シルリートは少し覗いている私の黒い頭を撫でながら、クスクスと笑っていた。


「貴族、辞めたい?」


 見透かしたような事を言われて私は動揺する。シルリートは私の頭をくしゃくしゃと撫でる。


「無理よ。だって貴方が一番貴族向きなんだもの。性格が」


 意外な事を言われた。私は平民で農民の娘で、一番貴族気質から遠い筈ではないか。


「皇妃様に物怖じせず対峙して、あまつさえ靴を投げつけるなんて平民では出来ないわよ。偉そうなご令嬢を相手にして、言葉でも嫌がらせにも負けないで正面から堂々と打ち倒すなんて私には出来ない。いつも凄いなぁと思っているわよ」


「……リートにも出来るでしょう?」


「無理よ。私は臆病なの。それに、小さい頃から貴族は偉い。けして逆らうなと言い聞かせられて育ったのだもの。今でも偉い貴族の前に出ると脚が震えるわ」


 作法を知っていた通り、彼女の両親は交易商として貴族とある程度付き合いがあったのである。なので、シルリートは貴族の恐ろしさ。気まぐれに平民の命さえ左右出来るその横暴な権力をしっかり教育されていたのだ。


「ミーナとルミーも貴族が怖いことくらいは知っているわ。貴女だって少しは知っていたんでしょう?」


 まぁ、領主様や税金の徴収人に逆らったら大変な事になるくらいは知っていたかな? でも実際に会ったのは聖女になって領主様の所に招かれた時が初めてだったけど。


「それなのに、貴女、皇太子殿下にもガルヤードにも、それどころか皇帝陛下にも皇妃様にも一切物怖じしないんだもの。私はビックリしちゃったわ。とんでもない娘だと思ったわね」

 

 ……言われてみれば、私は偉い人は偉いくらいの事は知っていたのに、皇帝陛下も皇太子殿下も初対面の時丁重に接してくれたものだから、最初から遠慮なんて全然しなかったのだ。


「そういう神経が極太な所は貴族に、皇太子妃に一番向いているわよ。みんなそう思っている」


「でも、貴族の真似するのは大変だし、疲れるのよ」


「そんなの、貴族のお嬢様でもそうだと思うわよ。あんな堅苦しいお作法、誰だって楽には出来ないわ。勿論、私だってそう」


 シルリートは苦笑しながら肩をグルグル回して見せた。そういう動作をすると、彼女が活発な質だったという事が思い出される。彼女だって無理をしてお貴族様を演じているのだという事が分かった。


「それに、貴女がいないと私達が寂しいわ。レーナ。元気を出して」


 シルリートは私の頭を何度も優しく撫でてくれて、部屋を出て行った。


 ……三人の聖女に慰められて、私はちょっと驚いたわね。そういう娘達じゃないと思っていたから。同時にとても彼女達らしい慰め方に、私はちょっと嬉しくて涙が出てしまった。


 そんな風にしていると、今度はケライネがベッドの側に寄ってきてそっと呟いた。


「皇太子殿下がいらしていますよ」


 昨日、私がちょっと泣いてしまったのを心配して下さったのだろうね。でも、流石に男性のアーロルド様を、何の身支度もしていない私の部屋には入れられない。私はベッドからようやく這い出して、ケライネに着替えの手伝いを頼んだ。


 ケライネは私の髪を梳かしてくれながら言った。


「最初に見た時には、どうなることかと思ったのですよ。リレーナ様。あの頃は随分お転婆でしたからね」


 それは帝都に来た時には完璧に平民だったからね。


「でも同時に感心したのですよ。リレーナ様は実に堂々としてらしたから」


 そうかなぁ。あの頃は一々何にでも驚いて、ビクビクしながら暮らしていたような気がするんだけど。でもケライネに言わせれば、もしも自分が同じ立場になったなら、きっと困って辛くて病気にでもなったろうというのだ。


「それはケライネがお世話をしてくれたからよ」


「ふふ、ありがとうございます。リレーナ様のそういうところが好きですわ。だから皆様に慕われるのでしょうね」


 ケライネはそう言いながら、ドレスを着せてくれて、髪を結ってくれる。


 そして、ポンと背中を叩いて押した。


「だからきっと、皇太子殿下もリレーナ様がお好きなんですよ」


 私はビックリしてケライネを振り返ってしまった。ケライネはニッコリと笑って右手の親指を立てていた。うぐぐ、なんか、全部お見通しみたいに見えるわね。流石は私のお世話係。姉とも母親ともなってくれている女性だ。たったの一つしか年上じゃないはずなのに。


 私はケライネに背中を押されて自室を出た。


 皇太子殿下は私のお部屋に付属した応接室にお待ちだった。本来ここは親密な、私で言えば他の三聖女を呼ぶような私的な応接室で、殿下のような貴人を招くような部屋じゃないんだけどね。でも、殿下が遊びに来る時には以前からこの部屋をよく使ったのだ。


 殿下はお一人でお待ちだった。最近はアーロルド様が来ると三聖女も集まって殿下を取り囲んでいる事が多かったから珍しい。多分、空気を読んだんでしょう。その代わりガルヤードがいないから、多分みんなに身代わりに連れて行かれちゃったんでしょうね。


 殿下はソワソワしていて、私の事を見付けると、パッと立ち上がって部屋の入り口まで飛んできた。貴族的ではない振る舞いだけど、私達の関係はこれが許されるくらいに軽い関係なのだ。


「大丈夫リレーナ! 寝込んでいたって聞いたけど!」


 アーロルド様は大きな青い瞳をウルウルさせながら私を心配してくれた。まだまだ子供な彼の振る舞いに、私は思わず安心してクスッと笑った。


「大丈夫ですよ。殿下。ご心配をお掛けしました」


「昨日の者達の親には厳しく言っておいたから! 父上にも罰するようにお願いして……」


「そんな事をしてはいけませんよ。アーロルド様」


 私はアーロルド様をちょっときつく睨んだ。


「アルリリア様達は別に悪い事をした訳ではありません。聖女をはっきり侮辱したのではないのですから、罰するのはやり過ぎです」


「でも、リレーナは泣いていたじゃないか!」


「それは、殿下が助けて下さって、嬉しかったからですよ」


 そう言ってしまって、私はああそうか。と思う。私は皇太子殿下にあの時助けられて、嬉しかったのかと。あのまま暴れて全てを台無しにする所をこの方は毅然とした態度で救って下さった。それが嬉しかったのだ。


 私が褒めたから、アーロルド様は喜んだ。満面の笑みになる。


「本当? リレーナ。嬉しかった?」


「ええ。とっても嬉しかったわ。殿下」


 私も微笑んで言うと、殿下は顔を真っ赤にした。そして、ちょっと俯いてモジモジし出した。出会った頃を思い出させるような、ちょっと懐かしい態度だったわね。


 ちょっとの間そうして何やら逡巡していたアーロルド様だったが、やおら顔を上げると、私の右手をがしっと自分の両手で掴んだ。手は随分と熱くて、汗ばんでいたわね。


 そして、顔も真っ赤にしたままでこう言った。


「り、リレーナ。わ、私は来年十三歳。成人になる!」


 私は戸惑いつつ頷く。それは知っている。それが今更どうしたというのか。


 しかし殿下はなんだか必死な顔でとんでもない事を言い出した。


「そうしたら、すぐに結婚しよう!」


「は?」


「成人したら結婚出来る。だから、すぐに結婚しよう。リレーナを待たせることなんてしない!」


 どうやら、殿下が十七、八歳になるまで待っていたら、私が年増になってしまうという話をどこかで耳に入れて、気にしていてくれていたらしい。


 しかし、その、ちょっと待って?


「で、でも殿下。そんな事は殿下には決められませんよ? 皇帝陛下はご存じなんですか?」


「父はこれから説得する。母もだ! 私はリレーナと絶対に結婚する! 誰にも邪魔はさせない!」


 皇太子殿下はそう叫ぶと、私をぎゅっと抱き締めた。私の方が背丈が大きいので。私のまだ小さな胸に皇太子殿下の顔が押し付けられる感じになってしまったんだけどね。それを恥ずかしがるほど、お互いに余裕もなかった。


 アーロルド様も必死だったんだろうけど、私も大混乱だったわよ。突然のプロポーズだもの。え? なに? 何が起こったの? って感じだった。


「私が君を絶対に幸せにするよ! リレーナ!」


 そのお言葉自体は、凄く嬉しかったけどね。

 

 

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