第十一話 聖女とご令嬢達(後)

 最初のダンスが終わると、私達は色んな貴公子と踊る事になる。


 ぶっちゃけて言うと、舞踏会で未婚の若い男女が踊る場合、婚活の意味合いがかなりある。貴族令嬢の結婚年齢は平民よりもかなり遅く、十六歳から二十歳までの間であることが多い。


 これは平民の場合、女性は早く結婚して実家の家計の負担を減らさなければならないからである。なので成人の十三歳で縁談が始まり、十五歳までには大体結婚する。


 貴族の場合、娘を嫁に出さない事があるというから驚きだ。これは貴族の場合、娘を嫁に出す時に「持参金」というのを持たせるからである。これは平民にも多少はある風習で、娘が嫁に行った家に「娘をよろしく」という意味で当座の生活費を持たせるのだ。


 平民の場合「なければ仕方がない」程度のもので、そもそも夫になる男性が当座の生活費を貯めてから婚活を始めるものである。しかし貴族の場合は必須で、しかも嫁入り先が高位の貴族であればあるほど持参金は高額になるそうだ。


 そのため、持参金が用意出来ない高位貴族の家では、娘を嫁に出せず、娘を部屋住みさせて一生面倒を見る事があるらしいのだ。ただし、これは当然だけど実家にとっても大きな負担になるので、嫁に出せそうもない娘が生まれてしまった場合は早い内に下位の家に養女に出してしまうか、かなり下位な家臣の家にこっそり嫁に出してしまう事も多いらしい。


 聖女である私達四人は、当然だけど結婚しないなんて許されない。これは神殿の教えで結婚を奨励しているからで、大女神フォルモガーナ様が直々に人類の始祖に「産み増え大地に栄えよ」と言ったという神話から来ているらしい。


 そのため、神殿の象徴である聖女は当然結婚して良いお母さんになる事が期待されているのだという事だった。まぁ、私達も自分たちは当然結婚すると考えていたからそう言われても何の疑問や不満も持たなかったわね。何かの問題があって結婚出来なかった女性は故郷にもいたけど、まず周囲の人たちから陰口や迫害の対象になっていたものだった。アレを子供の頃から見ていたら、自分は結婚したくないなんて思わないでしょうよ。


 無論、聖女であるからには相手は誰でも良いというわけではない。聖女はこれまでの歴史で何人も登場しているらしけど、ほとんど全員が皇妃になっているらしい。皇帝と結婚しているのである。


 これは聖女の力が非常に重要で、皇帝陛下の家臣に過ぎない貴族の家に嫁がせると、その貴族の家に大きな権威が生まれ、皇族の権威が怪しくなるからである。皇妃にして帝室に取り込むのが一番間違いがないのだ。


 聖女の出身身分は様々で勿論貴族にも平民にも産まれている。しかし、身分を問わずに皇妃に迎えられているのだ。如何に聖女が重要視され特別視されているかがわかる。


 ちなみに、聖女の男性版を成人と言うが、この場合は逆にほとんど結婚した例が無いのだという。これは聖人は神に匹敵する存在なのだけど、これに子孫が生まれると困るからだそうだ。実は初代皇帝陛下は聖人だったという伝説があり、そうであれば聖人の子孫は皇族並みの権威を持つ事になってしまう。これは如何にも帝国としては都合が悪い。


 なので聖人は結婚を禁じられたという事らしい。勿論、これは公式の話で私生児は産まれているらしいんだけどね。でも、聖人や聖女のご加護は子供に伝わらないので、公式に子孫と認められていなければ誰も証明出来ないし崇める理由もないので問題無いのだそうだ。


 聖女が四人も出るなんて前代未聞で、聖女が一人だけなら慣例通り皇妃にすれば良いだけだったのに、こんなにいたら一人は皇妃にするとしても他の三人はどうするんだ? と皇帝陛下も神殿も大分困っていたらしい。


 そのため、私たちの結婚相手の選定は極秘に慎重に進められていたそうだ。私たちは知らなかったんだけどね。もしも高位貴族の中に聖女が特に気に入る男性がいたら、問題なければ候補に入れる方針だったようだから、完全に私たちの意思が無視されていたという訳ではなかったみたいだけどね。


 そんなわけで、私たちは舞踏会では色んな貴公子と踊って親睦を深めた訳である。こう言ってはなんだけど、上記の事情により私たちは超優良物件と見做され、いつでも上位貴族のご令息に大人気だった。


 私たちの本命は皇太子殿下かガルヤード(付き合いの長さ深さからしてこれは仕方がない)だったんだけど、私たちは四人で相手が二人では私たちの内の二人があぶれる事になるわよね。


 私たちは仲が良かったし、他の三人よりも私が絶対に皇太子殿下かガルヤードに相応しい! とも思っていなかったので、自分があぶれたら他の貴公子の誰かと結婚する事になると理解していた。


 なので舞踏会では真剣に男性の品定めをしたわよね。品定めをすると同時に自分の方もアピールしなければならない。聖女というだけでなく、良い女として選ばれたいじゃない? 媚を売っていた訳ではないけど、愛想良くはしていたわね。


 どうもそういうところも、他の貴族令嬢には気に入らなかったようなのよね。


 当然のことながら、皇太子殿下はご令嬢たちに大人気だった。以前のオドオドしたとこのある殿下だったら分からないけど、今のアーロルド様は凛とした極め付けの美少年だったからね。


 それに、将来の騎士団長と言われるガルヤードももちろん大人気だった。侯爵家の次男だけど、皇太子殿下が信頼する側近なのだもの。将来は伯爵以上の家門を授かることは確実視されていた。


 そんな超優良物件二人を我が物顔に独占する聖女たち(いや、独占した気はないんだけど)がご令嬢達に良く思われないのは当然だったわね。


  ◇◇◇


 舞踏会はたけなわになり私たちは色んな貴公子と踊った。私だけでも十人くらいかな?


 こんなにいると、全員の名前と顔を覚えておくなんて無理だ。何となく印象だけを覚えるので精一杯となる。


 しかし心配はご無用。舞踏会で一緒に踊った方からは翌日に私宛に「昨日はご一緒させていただきありがとうございました。貴女と踊ったあの瞬間が忘れられません云々」みたいな手紙と花束が届くのだ。それを見て思い出しながら、印象と名前を一致させればいい。


 そしてその貴公子が気に入れば、次の舞踏会の機会にまた踊ればいい。合わないな、と思ったら次はダンスを断れば良いのだ。


 そうやって舞踏会を重ねる毎に候補者を絞り込んで行く訳である。もちろん、普通の貴族の家の場合、この絞り込みには家の都合が絡む。家に手紙と花束が届いた段階で「この相手は良い。この相手はダメ」という選別が入るの事になる。


 私たちの場合は皇帝陛下のご意向がこれに当たるのだけど、寛容な陛下は私たちの意向を最大限考慮してくださっていたので、今の所私たちが選別した相手にダメが出る事はなかった。


 何回か舞踏会をすると、聖女達の男性の好みもだんだん分かってくる。


 アルミーナは明確に面食いで、顔がカッコいい男性が好きである。なので彼女の周りにはいつも目に眩しいようなキラキラ美少年ばかりが集まった。


 ウィルミーは体格の良い男性が好みらしい。大柄で、たくましい男性と良く踊っていた。なので彼女には騎士家系の家の方からの申し込みが多かった。


 シルリートは賢そうな、少し繊細な見た目の男性が好きなようだった。メガネを掛けている方が多い印象だったわね。会話が上手い男性が好きだとも言っていた。


 ちなみに、ガルヤードはこの三人の好みに全員当てはまる。顔が良くて逞しくて会話が上手だ。皇太子殿下は逞しくはないけど、皇帝陛下の立派な体格を見れは、将来性には期待できるわよね。


 私? 自分の事はよく分からないわよね。ただ、みんなが言うには「リレーナは理想が高いな」という事だった。どうも周りからは他の三人よりも厳しく相手を選別しているように見えたらしい。お気に入りの相手を作らないと。


 うーん、そんな事もないと思うんだけどな。ただ、お気に入りの男性をなるべく作らないようにしていたのは本当だ。理由は、私が他の男性と仲良くしていると、皇太子殿下が激しく嫉妬したからである。


 離宮にやってきたアーロルド様が、私宛に届いた舞踏会のお礼状や花束を目にすると大変だったのだ。


「誰と踊ったの? 気に入ったの? 次も踊るの?」


 と恨みがましい目付きで問い詰めてくるのだ。これには困ったわよね。


 皇太子殿下は私たちの出席する夜会には大抵いらっしゃったから、私が特定の貴公子と何度も踊ればすぐにバレてしまう。そうするとアーロルド様は拗ねて私と口をきいてくれなくなるのだ。


 その結果、私は慎重に特定の貴公子と仲良くしないように心掛ける事になったのである。


 私は別にまだ皇太子殿下と婚約した訳ではないし、アーロルド様から明確に愛を打ち明けられた訳ではないものの、殿下が四聖女の内私と一番仲良しであるというのは衆目の一致するところだった。


 しかしながらこういう話はアーロルド様と私の一存では決まらないし、特に私は未だに皇妃様に非常に嫌われていて「アーロルドはリレーナとだけは結婚させない!」と言っているらしい。


 しかし、この日の舞踏会にも(殿下は舞踏会の中盤でいらっしゃった)やってきた皇太子殿下は挨拶を受け終わると真っ先に私のところにやってきた。


 そして無言の圧力で私の周りにいた貴公子を追い散らすと、私と何曲もダンスを踊ったのだった(もちろん、その後で他のみんなとも踊ったわよ)。これでは皇太子殿下の意中の姫が誰だかは言わなくても分かるだろうものだった。


 ただそれが、男女の情なのか姉弟の感情なのかは非常に難しいところだった。何しろ私達は三歳差。皇太子殿下はまだ十二歳で成人前なのだ。つい最近まで泥だらけで遊んだ仲なのである。


 皇太子殿下が私に執着しているのは間違いないものの、恋愛感情を持っているかどうかは分からなかったのである。私の方もまぁ、アーロルド様は素敵ね、とは思っていたものの、三歳下の彼を結婚相手と考えるのは難しくて、やはり実際に未来の旦那様を妄想すると、ガルヤードの方が頭に浮かぶ始末だった。


 しかしながら貴族としても結婚適齢期に入りつつある私が、こんなに皇太子殿下と仲良くしてれば、それは将来の皇太子妃第一候補と見られてしまうのは仕方がなかった。有力候補の他の三聖女も「まぁ、リレーナが殿下と一番仲がいいしね」という事は認めていたのだ。


 しかし、これに納得がいかないご令嬢も多かったようだ。


「リレーナ様はもう十五歳なのでしょう?」


 皇太子殿下と踊り終えて飲み物が置いてあるテーブルにやってきた私にそう声を掛けてきたご令嬢。


 アルリリア・エカッセン公爵令嬢である。帝国に二家しかない公爵家、エカッセン家のご長女。皇族である。


 豪奢な金髪に緑の瞳。これぞ貴族令嬢! という派手なご容姿で、黒髪と水色の瞳の地味な色合いの私とは大違いだった。


「そうですが、それが何か?」


「なら、同年代か少し上の方と結婚なさるのが自然でしょう? 皇太子殿下は相応しくないのではありませんか?」


 もう一人の栗色の髪のご令嬢も言う。


「そうですわよ。皇太子殿下は十二歳。成人は来年。そして歴代の皇太子殿下は十七歳くらいで結婚しております。その時にはリレーナ様は二十歳になってしまっておりますわよ」


 それは確かにその通りだ。皇太子殿下が成人と同時に結婚するとは限るまい。ガルヤードは殿下の五つ上だけどまだ結婚していないのだし。


 貴族は女性の結婚年齢が高いけど、女性は普通年上の方に嫁ぐのは平民も貴族も同じだ。つまり男性も結婚が遅いのである。


「リレーナ様は誰か年上の方に嫁がれるのがよろしいでしょう。例えば、私の兄のような」


 アルリリア様の兄君は、ギブリウスという方で、私の一つ上だ。ただ、確か婚約者がいらしたはずだ。それがどうも聖女と結婚出来るなら婚約者と別れるという話になっていると聞いたわね。


 そういうアルリリア様は皇太子殿下と同じ歳で、聖女が現れるまでは皇太子妃の有力候補だったそうだ。さっきひっくり返ったシュバーり侯爵令嬢も候補だった。おそらく皇太子妃目指して厳しい教育を受けてきたものと思われる。


 それが平民出身のどこの誰とも分からぬ聖女に皇太子妃の座を奪われたのでは面白くないのだろう。それで年齢を理由に難癖を付けてきているのだ。アルリリア様だけでなく、他に数人の令嬢が集まって来て、親切顔をして私に「リレーナ様がいかに皇太子妃に相応しくないか」を口々に言い立てた。


 年齢だけでなく、育ちの違いがあると結婚生活は大変であるとか、金髪のアーロルド様と黒髪の私では釣り合いが悪いとか、殿下より高い背丈もどうなのかとか(それは今は私の方が高いけど、皇帝陛下の身長からしてアーロルド様はこれから急激に伸びると思うのよね)、ダンスの技量だとか、声の大きさとか色黒さだとか、そういうことまで論って「リレーナ様は皇太子妃に相応しくない」と言い立てたのだ。


 親切な忠告という形を取っていたけど、要するに私の悪いところを並べ立てて誹謗中傷しているわけである。声を荒げる訳でなくあくまで優雅に。「これはリレーナ様が悪い訳ではありませんけど」とか「気を悪くなさらないで欲しいのですけど」などと私が怒った時の予防線を張りながら言うので始末に悪い。


 これで私が怒ったら「私たちはご忠告して差し上げただけですのに」とか言われてなんだか私が悪者になりそうな雲行きだ。これが貴族的な悪口の言い方なのだな、と私は理解した。自分をけして悪者にしない、狡いやり方だ。


 ただ、この私を取り囲んで優雅に微笑みながら私に遠回しな悪口をぶつけてくるご令嬢は知らないのだ。


 私は貴族ではなく根が平民であり、平民は悪口を言われたら時に平気でゲンコツで返すのだという事を。平民の世界では舐められたら終わり。悪者になるのなぞ恐れるな。誹謗中傷には相応どころか数倍の報いを。


 そして私は皇妃様の顔面に靴を投げ付けた女なのだ。相手が公爵令嬢だろうが容赦する気はなかった。怒りが臨海を迎えた私は呼吸を整え、拳を握り込んだ。


 ……この時に、私が狙い通りの全力パンチをアルリリア様に叩き込んでいたら、私の評判は大変な事になっただろうね。聖女として、貴族としての評判は暴落して、私が皇太子妃になるなんて絶対に無理になっていたに違いない。


 しかし、私がアルリリア様を睨みつけ、今や拳を振りかぶろうとした、その寸前。


「何をしているのだ!」


 と鋭い怒りの声が響いたのだった。見ると、小柄な金髪の少年が、その金髪を怒りに逆立てるような強い怒りの表情を浮かべてこちらにズンズンと歩いてくるところだった。後ろからガルヤードが慌てて追いかけてくる。


 皇太子殿下は怒りの表情も凄まじく、私を庇うように令嬢達の前に立ちはだかるとご令嬢たちを睨み付けたのだ。それは無作法なくらい遠慮のない睨み方であり、ご令嬢たちは明らかに引いていた。


「リレーナ様に謝罪せよ!」


 皇太子殿下は大きな声で吠えた。以前はオドオドして小さな声しか出せなかった殿下がなんと社交の場で怒鳴ったのである。


「聖女であるリレーナ様に対する無礼見過ごせぬ! 跪いて謝罪せよ! 謝罪せぬ場合は皇太子権限で処罰を下す!」


 アルリリア様達は驚愕した様子だ。慌てて弁明を図る。


「い、いえ、殿下私たちは別に……」


「二度とは言わぬぞ! アルリリア! 牢屋に入りたいのか!」


 皇太子殿下は有無を言わさなかったわね。殿下は私を様つきで呼んだ。つまり、私を聖女として、神の一柱として扱ったのだ。その場合、その権威は皇族を上回る事になる。公爵令嬢のアルリリア様でも太刀打ちできない。


 アルリリア様は慌てて跪いた。他の五人ほどのご令嬢も跪く。そして皇太子殿下も跪いて頭を下げた。これはアルリリア様を悪者にしないためだったのだろう。


「リレーナ様。ご無礼を何卒お許しくださいませ」


 皇太子殿下のお言葉に、他のご令嬢もより頭を低くして続ける。


「どうかご無礼をお許し下さいませ」


 ……ここまでされては聖女としては許さないわけにはいかない。私は握ってしまった拳を左手でさすりながら、なんとか言った。


「聖女の慈悲において、あなた達を許します」


「感謝します。聖女様」


 皇太子殿下は立ち上がると令嬢たちを厳しい目で睨み、大きな声で言った。


「聖女様の慈悲に感謝せよ!」


「は、はい!」


 アルリリア様とその他のご令嬢は慌てて退散した。あれは私が恐ろしかったのではなく、皇太子殿下が恐ろしかったのだろうね。


 でもそれで良いのだ。聖女は慈悲を施す存在で、恐れられるような存在ではない。私がキレて暴力を振るえば私は恐れられただろうけど、そんな粗暴な平民女は聖女として認められなくなってしまったかもしれない。


 一年掛かりで施された貴族教育は、そういう事態を防ぐためだった。私が危うく台無しに仕掛けたそれを、皇太子殿下は助けて下さったのだ。


 それは、分かっていた。しかしながら、自分の手で、侮辱への復讐が出来なかった事に、反撃も何も出来ずに許さなければならなかった事に、私は納得が出来なかったのよね。


 その私の気持ちなど、アーロルド様はお見通しだったのだろう。彼は私の握りしめた右拳を自分の手でソッと包んでくれた。


「よく我慢したね。リレーナ。えらいえらい」


 さっきとは打って変わって優しい声だった。その声を聞いて、私はなんだかいろんな感情がごちゃごちゃになって、思わず殿下の肩に顔を埋めて泣いてしまったのだった、

 

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