第十話 聖女とご令嬢達(前)
貴族の社交には色んな種類がある。まぁ、社交というのはお付き合いのことで、お友達と一緒にお茶を飲むのも、それも社交といえば社交だ。
ただ社交と呼ぶ場合、もう少しはっきりと「目的のある」お付き合いの事を言うのが普通だ。目的も色々あるけど、一番多いのは根回しね。何か利益が欲しい時に貴族達の間に意見を通して、それによって自分に目的の利益が手に入りやすくするのだ。
そういう意味で、私達が社交に呼ばれる意味はまだ薄いのよね。私達には何の権力も影響力もないんだもの。呼ばれて親睦を深めて便宜をお願いされても、私達に出来る事などないのだから。
ただ、社交には現在の便宜を期待する場合と、将来的な影響力を期待する場合がある。私達は主に将来的な意味で期待されて、社交に呼ばれているのだと思われる。
聖女である私達は誰かは皇太子妃になり、他のみんなも高位の貴族に嫁ぐ事が確実視されていた。それならば、私達は将来的には貴族の間に強い影響力を及ぼす存在になることは確実だったと言えるだろう。
それに加えて私達は聖女である。民衆への影響力は時に皇帝陛下を上回る、神殿への影響力も期待出来る。
そういう将来性があれば、たった十五歳の小娘四人に、帝国の誇る貴顕の皆様が腰を低くして社交の招待状を送ってくるのも無理からぬ話だったのである。
そういう事で私達の元には毎日大量の社交への招待状が届き、教育をほとんど終えた私達はこれに出席することを余儀なくされた。理由もないのに高位貴族の招待を断わるなんて無理だったからね。
皇帝陛下も私達に積極的に社交に出て欲しいと仰せだったわ。お世話になっている皇帝陛下からの要請では仕方がない。それと、ガルヤード(彼も侯爵令息だった)も出た方が良いと私達に勧めたのだった。
「聖女様達のお作法はかなり上達しましたし、私も皆様の夜会ドレス姿を見てみたいです」
などと微笑みながら言われて、私達はいそいそと夜会に参加することを決めたのである。ガルヤードも身分的には私達の結婚相手候補に十分なっていたからね。皇太子殿下とのお話はともかくとして、付き合いも長く容姿も人格も素敵な彼は相変わらす私達のアイドルだったのだ。
夜会は夜の社交で(夕方早い時間から行われる事が多いけど)社交の中では最も大規模なものだ。
まず、夕食を大きなテーブルで囲んで摂る晩餐会から始まり、その後は皆様で踊る舞踏会。その後は別室で軽食なりお酒なりを頂きながらお話をしたり、夜のお庭を散策したり、カードやボードゲームで遊んだり、楽器を演奏したり逆に楽団の演奏を聴いたり、道化の芸や俳優の演技を見たりして夜半まで楽しむのだ。
そんな大規模な会だから開催するのは大変で、開催出来るのは財力も影響力も大きな大貴族だけになる。開催場所も主催の貴族のお屋敷か、帝宮の主宮殿の大ホールなり離宮のどれかなりをお借りするのだ。準備も一ヶ月とか掛けて行うらしい。そんな夜会が、帝都では毎日のように開催されているのだ。
私達はある日、ボリバン侯爵の開催する夜会に出席する為に馬車で出掛けた。開催場所は帝宮の離宮の一つで、私達の住む離宮からはそう離れていない。帝宮に建っている離宮の多くはこうして貴族達に何らかの機会に貸し出す為に建っている。夜会だけではなく、園遊会とか単なる気分転換だとかに借りる例も多いのだとか。
その離宮は大きな池(湖と言っても良いかもね)に張り出すように建っているお屋敷で、水面の上に桟橋のようにテラスが突き出し、そこにもテーブルが幾つか並べられていた。湖上には篝火を乗せた船が何隻も浮いていて、なかなか面白い雰囲気だったわね。
私達はお屋敷の入り口で馬車を降りて、お上品にお屋敷の玄関ホールへと進んだ。今回の場合、会場はこのお屋敷のほとんど全部である。なのでお屋敷の部屋という部屋に光が点っていて、建物全体が輝いていた。
「ようこそいらっしゃいました」
ボリバン侯爵夫妻が私達を出迎えて下さった。五十歳くらいの恰幅の良い方が侯爵で、その隣にやはり少し太った夫人がいる。私達はスカートを摘まんでニッコリと笑って見せた。
「お招き頂きましてありがとうございます。今日は楽しみにしていました」
もう何回かご招待を受けていたから、挨拶にも慣れたわね。私は赤を基調としたドレスを着ていた。なんか赤が好きなのよね。ちなみにアルミーナは黄色基調、ウィルミーは青。シルリートは緑が好きらしい。これは私達に加護を下さった神々の象徴色と同じである。私の加護神だと思われているビルロード神の象徴色は茶色なので私だけ違ったんだけどね。
私達は介添え役の侍女に手を引かれて広間へと向かう。このためにケライネ達も今日はドレス姿だ。このエスコートは本来男性の役目で、未婚や婚約者がいない場合は父親か親族の男性にお願いするものである。
だが、私達にはそんなの居るはずも無いので、仕方なくケライネ達に代行してもらっているのだ。まぁ、親族の夫人にエスコートしてもらう例も珍しいけどないわけではないそうだ。
皇太子殿下は何回か「私がエスコートしようか?」と申し出てくれたんだけど、私達が誰がエスコートされるかで喧嘩になったのと「エスコートした方が婚約者に内定したと誤解される」と反対されてなしになったのだ。前なら問題無く私がエスコートされることになったのに。みんな勝手なんだから!
メインの会場は舞踏会が行われるダンスホールだ。それに隣接する食堂では長いテーブルが二本も並べられて、晩餐会の準備が行われていた。シャンデリアが何個も何個も輝いて、その光が方々にある金銀の装飾に反射して眩しい。花が方々に飾ってあってその芳香と出席者の香水の香りが混ざって会場全体に広がっている。
今日の出席者は百五十人くらいになるらしいけど、最初の晩餐会からずっといる方々は精々三十人くらいらしい。夜会の場合、晩餐会から招かれるのが最も重要なお客様で、場合によっては夜会の前のお茶会から招く事で特に親密さをアピールする場合もある。それ以外の方は舞踏会の段階でお招きするそうだ。
重要なお客様と認識されるのは名誉な事だけど、晩餐会から最後まで出席していたら、五時間とか七時間とかいう長時間拘束される事になるわけで、お客の方も大変である。なので、招待側が「晩餐会から」とお願いしても「いや、用事があるから舞踏会から」と断わる場合も多いらしい。
今回の場合は「是非に」と招かれた事。ボリバン侯爵が帝国の重鎮であったこと。たまには晩餐会から出席するのも良いんじゃない? と誰かが言ったこと。それと「ボリバン侯爵のところのシェフの料理は絶品ですよ」とガルヤードが言った事により、晩餐会からの出席が決まったのだった。
私達はテーブルの最も上席に案内された。聖女なので主催者の侯爵よりも偉いので当然である。私達は別に何とも思うことなく引かれた席に腰掛けたわよ。それをきつい目つきで睨んでくる方もいたわね。特にお若い未婚のご令嬢に多かった。
侯爵のご挨拶に続き、食前酒と前菜が運ばれてくる。私達はお酒は呑まないけどね。以前に四人でお酒に挑戦したのだけど、みんなしてひっくり返って記憶を失った挙げ句、翌日丸一日頭痛で寝込んだのだ。それ以来、聖女の離宮ではお酒は禁止である。
前菜は兎肉のゼリー寄せで、それほど珍しくはない料理だけど美味しい。シェフの腕が良いというのは本当みたいね。続けて出て来たスープはカボチャを漉したものだとの事だけど、ふんわりした甘い味わいだった。
魚料理と肉料理は三皿ずつ出た。そんなには食べられないから、私は鹿肉のローストに白いソースの掛ったものを取ってもらって、後は残した。貴族は信じられない事に、大量の料理をテーブルに並べ、ほとんどを残す。勿体ないなぁ。料理自体は美味しかったけどね。
デザートは白と赤の氷菓子で、イチゴの味がした。食後のコーヒーを楽しみながら、私は満足していた。ニコニコしている私にボリバン侯爵が声を掛けてくる。
「如何でしたかな? リレーナ様」
「ええ。美味しかったですわ。噂に違わぬ良い腕のシェフでした。是非、お礼を言っておいて下さい」
私としてみれば美味しい料理を作ってくれた料理人に対する当然の気持ちだったのだけど、侯爵は変な顔をしたわね。料理人はあくまで使用人。陰の存在だ。シェフの手柄は主人の手柄なのだから、料理が美味しければ礼は主人の侯爵に言うべきだったのだ。
侯爵は変な顔をしただけだったけど、これを見咎めあからさまに嘲笑した者があった。
「料理人に礼ですって? 面白い事を仰いますのね、聖女様は」
見ると少し離れたところに座るご令嬢が私を妙に鋭い目付きで睨みつつ、口を扇で隠しながら何やら大きな声を上げていた。
「面白いですか?」
「ええ。平民である料理人風情に貴族が直接声を掛けるなどあり得ません。そんな事を言われたら侯爵閣下は困ってしまう事でしょうよ」
私は首を傾げる。
「そうでしょうか? 私は離宮の料理人が美味しい料理を作ってくれたら直接感謝の言葉を掛けますよ」
それどころか「今日はアレが食べたい!」とかおやつをねだりにとかにキッチンまで押し掛ける事は珍しくない。とは言わないけどね。
するとそのご令嬢は我が意を得たという様に哄笑した。
「ほほほほ、それは聖女様が貴族ではないからでしょう。教えて差し上げますけど、我々貴族は下々の、平民などとは直接言葉を交わさぬもの。聖女様も貴族になったのなら、覚えておくがよろしいですわ」
つまりこの方は、私達が平民だから本来は自分たちと言葉を交わせぬ身分なのだと言いたいのだろう。余程平民の私達が聖女となって自分を飛び越えることに不満がおありのようだ。
まぁ、良いけどね。私は貴族になったつもりもないし、こんな女と仲良くなりたいわけではない。私はすまして言った。
「ええ。私は貴族ではありませんからその辺はよく分かりません」
流石に周囲の方々がざわめいた。私の事をよく知っている聖女達は知らん顔していたけどね。
「私は聖女ですもの。聖女の慈悲は貴族にも平民にもあまねく行き渡るもの。区別なんて致しません。侯爵様? 是非、お願いしたとおりにお願い致します」
私は聖女で貴方達より上なんですからね。だから貴方達と平民達に区別なんて付けませんよ。と私は言ったのだ。ご令嬢は唖然とし、侯爵も驚いていたけど、侯爵はすぐに恭しく頭を下げた。
「謹んで承りました。必ずや料理人にお言葉をお伝えさせて頂きます」
侯爵の言葉に、テーブルのあちこちからは感心したような呟きが漏れていたわね。隣のアルミーナからは「気取っちゃって」なんて声が聞こえたわ。私をやり込めようとしたご令嬢は怒りを隠しきれない表情で私を睨んでいたけどね。しらんぷいだ。
晩餐会が終わると隣接したダンスホールでダンスのお時間になる。その前に、私達は出席者の皆様からのご挨拶を受けなければならない。出席者の方々がご家族毎にまとまって私達四人の前に跪く。本来は四聖女一人一人に挨拶をすべきだろうけど、する方も受ける方も大変だからね。ひとまとめにして貰っている。
舞踏会から会場にお入りになる方も多いから、一気に会場は華やかになってきた。楽団が音楽を演奏し始め、召使いがホールの窓を開け放った。その外には湖に張り出した大きなテラスと、篝火に照らされる水面が見える。盛り上がってきたわね。お祭りみたい。
私はまずボリバン侯爵の手を取った。未婚の女性が最初に踊るのは、婚約者がいない場合は意中の方か親族というのが普通だ。でも、私は親族がいないので、既婚者であり主催者である侯爵と踊る事にしたのだ。ここで迂闊に未婚男性の手を取ってしまうと、その方が意中であると宣言した事になって大変面倒な事になるからね。
「よろしくお願いしますね? 侯爵」
「光栄でございます。リレーナ様」
音楽に乗って私と侯爵は踊り出す。手を取り合って前後左右にステップを踏み、曲の盛り上がりに合わせてお互いにクルッと周り、また手を取り合う。古典的なダンスで、もっと親密にお互い抱き合うようにして踊る踊り方もあるのだけど、儀礼的なダンスとしてはこちらが一般的な踊り方だ。場合によってはこれを四人、六人、八人で複雑に組み合わせて踊る場合もある。
私達四人は同時に違うお相手と踊ったのだけど、注目を集めていたから変なステップ間違いなどしないように気を付けていたわよ。ダンスは貴族令嬢にとって重要な教養だからね。間違えると笑われる。
そうして曲が終わりに近付いていたその時、突然私は足下が掬われるのを感じた。
え? っと思ったのだけど、それは先ほど私にいちゃもんを付けていたご令嬢、シュバーリ侯爵令嬢(さっきご挨拶を受けた)が私に足を引っ掛けたのだという事が後で判明した。私と同時に踊っていた彼女が、絶妙なタイミングで足を伸ばしたのだと、目撃したケライネが言っていたわね。
こういうダンスをしながら他人の邪魔をする技術は、ダンスの教師に教わった事がある。貴族社会は足の引っ張り合いが日常で、ダンスの邪魔など日常茶飯事だとの事だった。防衛策はダンスをしている他の方と近付き過ぎない事なのだが、私はこの時、ステップに集中していたので気が付かなかったのだ。
ふわっと身体が浮いて、私は頭から床に叩きつけられそうになる。考えている余裕はなかったので、身体が動いたのは本能だった。外で駆け回って遊び歩いていた、私の運動能力が咄嗟に発揮されたのだ。
私は右手を伸ばして床を突くと、そこを視点に脚を跳ね上げて一回転した。シュッと鋭く身体が回転すると、一転フワッと着地をする。スカートがめくれることもなかった。完璧。
そのまま曲に乗ってクルクルと二回転すると、そのまま手を侯爵に差し伸べ、取ってもらう。侯爵は目を丸くしていたけども、上手くダンスは繋がった。何事もなかったかのように。
見事に転倒を回避した私を呆然と見詰めてしまったシュバーリ侯爵令嬢は、アルミーナにサッと脚を引っ掛けられて悲鳴と共にパートナーを巻き込んでテーブルにダイビング。大転倒してしまっていた。大失態として語り継がれる事になってしまうだろうね。私はアルミーナとこっそりお互いにサムズアップした。
この上手く回避した私だったけど、私達に反感を持つ貴族令嬢はシュバーリ侯爵令嬢だけではなかったので、この日だけでもこれ以降も様々な場面で、私達は貴族令嬢の皆様とバトルを繰り広げる事になるのだった。
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