第七話 聖女の教育
私たちが受ける教育は多岐に渡った。
特に重要視されたのは、十四歳まで辺境のど田舎娘達として育った私たちを、何とか貴族達の前に出しても恥ずかしくない程度のご令嬢にする事だっただろうね。
そうしないと私たちが皇族並の身分である「聖女」だと貴族達が認めないだろうから。貴族というのはそれくらい礼儀作法を気にするのよ。礼儀作法をキッチリ身に付けた、優雅な所作をした人間でないと、貴族は自分達の仲間だとけして認めないのである。
貴族にとってはただでさえ平民出身の私たちが、神のご加護を受けた聖女だとはとはいえ、いきなり自分達の上に立つ存在になるなんて非常に抵抗があることだったと思うのよ。その聖女が平民丸出しの田舎娘のだったら、不満では済まず反発まで沸き起こったに違いない。
聖女への反発は聖女を崇める神殿と皇帝陛下への反発にもなって帝国の政情への不安要素になってしまう。それを恐れた皇帝陛下はとりあえず私たちを帝宮に隠して、貴族達にお披露目する前に教育を受けさせたのである。
それまで馴染みのなかった様々な教育を受けさせられる私たちも大変だったんだけど、教える先生達も大変だったと思うわよ。何しろ教育を受ける私たちはなんでこんな教育を受けさせられるのか、分かっていない。なぜ食事の仕方から改めて教わらなきゃいけないのか。なんで手でソーセージを掴んで食べちゃダメなのか。全然分からなかったのよね。
だから教育には非協力的で意欲もない。勉強には私は興味もあったし、ウィルミーとシルリートに負けたくないから頑張ったけど、礼儀作法については全然興味が湧かなかった。ひたすら面倒くさく、迂遠で、苦痛なだけだったわね。
お作法の講師の方は何人かいらっしゃったけど、アセロイヤー夫人という方は非常に熱心な教師だった。侯爵夫人で元々は皇族らしい。
彼女は野獣のような状態の私たちに驚き逆に教育意欲を刺激されたようだった。皇帝陛下にお願いされたからと、仕方なさそうに来る講師の方もいる中、アセロイヤー夫人は大変熱心に私たちの教育に取り組んでくれた。
ところが私たちにとってそれはありがた迷惑な事だったのよね。
なにしろ私たちは礼儀作法の重要性を知らないのだもの。アセロイヤー夫人が私達の姿勢、歩き方からを矯正しようとするのを「煩わしい」としか思わなかったのだ。
この頃私たち四人はお互い仲良くなり始め、一緒におしゃべりしたり庭園を駆け回ったりするのが楽しくて仕方がなかった。
今考えると、子供の頃から家の仕事で働き詰めだった反動もあるんだろうね。四人とも。仕事から解放されて口うるさい親もおらず、優しい侍女に甘やかされたおかげで、私たちは自分たちが思っているよりもずっとワガママに子供になっていたのだ。
その中で私たちを厳しく躾けようとするアセロイヤー夫人は私たちにとっては「ウザイ」存在だった。ただ、私たちは皇帝陛下と教育を受ける約束をしていたし、私たち全員のアイドルだったガルヤードにも「しっかり教育を受けて立派なレディになってくださいね」と微笑まれた事もあり、教育そのものから逃げる訳にはいかなかったのだ。
私たちは渋々アセロイヤー夫人の教育を受けながら、鬱屈の仕返しを夫人への悪戯という形で示す事になる。
講師へのイタズラなどを企むのは大体私かアルミーナが発端だった。この二人は活発だったし、言ってしまえばまだまだ子供だったのだ。
ウィルミーは二人よりもまだしも落ち着いていたけど、私達の企みには大抵乗ってきた。シルリートは「やめときなさいよー」とか言いながら真剣には止めず、ニコニコと笑いながら手を貸して見守るというのがパターンだった。
その日、私とアルミーナは散歩中にある生き物を見つけて、悪戯を企んだ。そしてそれを離宮に持ち帰ると、アセロイヤー夫人のお作法の授業が行われる、ダンスホールに持ち込んだのだった。
その日の授業は「美しい歩き方」で、頭を振らず、上下させず、滑るように歩くのが貴婦人の歩き方なのだという事で、頭の上に本を重ねて歩く、なんて事をさせられたわね。
いつも通りアセロイヤー夫人は厳しく、私たちは何度も何度もやり直しをさせられた。ただ、結果的には姿勢から歩き方からこうして厳しく仕込まれたおかげで、田舎娘だった私たちは後に特に恥をかく事もなく、社交界に受け入れられたのだった。私は今ではアセロイヤー夫人に感謝しているわよ。
だが、全然感謝なんてしていない当時の私とアルミーナは、これぞ復讐の機会とばかりに夫人に「お手本を見せて欲しい」とせがんだ。
夫人は頷き「よく見ておきなさい」と言ってスラっとした立ち姿。足を滑るように出して足音を大きく立てない、頭を動かさない、などと注意点を述べながら歩き方のお手本を見せてくれた。
そこへ、夫人の足元へ、私が隠し持っていた大きなカエルが飛び出した。茶色くてブツブツが背中に浮き出した貫禄のある大ガエルだ。
田舎育ちの私とアルミーナにはなんてことのない生き物だけど、ケライネは見たら悲鳴をあげていたし、馴染みのなかったらしいシルリートは全力で逃げ出していた。なので多分アセロイヤー夫人も苦手だろうと思ったのだ。
貴族らしく真っ直ぐ前を向いていたアセロイヤー夫人は最初は気が付かなかったが、のそのそ歩いていったカエルがゲコっと鳴いてようやく気が付いた。
足元に視線を落とし、ほどんど靴に触れんばかりのところにいるカエルを見て少し目を見開いた。
そして、ワクワクして見守る私たちの事を見て、またカエルに視線を向ける。これは誰がこの大ガエルを持ち込んだのかを確認していたのだろうね。それはバレるだろう。夫人に仕掛けた悪戯はなにもこれが初めてではなかったので。
そして夫人は、いっそ厳かな口調で言った。
「聖女様たち」
私たちはビクッとする。これは、怒られる奴だ。アセロイヤー夫人が本気で怒った事はまだないけど、厳しい夫人だもの。怒ったらきっと怖いわよね。
しかし夫人は無表情のまま続ける。
「良いですか? 貴族婦人たるもの、いかなる事があっても取り乱してはなりません。常に優雅に、美しくあらねばなりませんよ?」
場違いに落ち着いた口調に、私たちは戸惑ったわよね。思わずコクコクと頷いた。するとアセロイヤー夫人は重々しく頷き、言った。
「淑女は、驚きや恐怖を表す際には『失神』します。これもお作法の内ですから良く覚えておくように。では、今から手本を見せます」
は? と私たちが思うのもお構いなし。アセロイヤー夫人次の瞬間、天を見上げて「あ……」と呟いたかと思うと、実に優雅に床に崩れ伏した。そのまま動かなくなる。ケライネたち侍女が慌ててアセロイヤー夫人に駆け寄り、大騒ぎになってしまった。
私は後でケライネに「やりすぎです!」としこたま怒られた。私はそれから反省して、アセロイヤー夫人の授業は結構真面目に受けるようになったものだ。
それにしても、あれから沢山の貴族夫人に出会って、社交にも何度も出た私だけど、あれほど見事な「失神」は見たことがないわね。
◇◇◇
私と一番の仲良しはアルミーナだったけど、他の二人とも仲良しだったわよ。
ただ、ウィルミーは出会った頃にはもうかなり大人びていてね。同い年とは思えないくらい落ち着いていた。だからアルミーナに比べれば一緒に遊ぶ回数は少なくなった。それでも私たちが誘えば悪戯や冒険には付き合ってくれたけどね。
特に元漁師の娘だけに泳ぎが上手くて、庭園の大きな池でみんなで遊んだ時には見事な泳ぎを披露してくれたわ。まぁ、この時は無許可でみんな下着姿になって泳いだものだから、ケライネたち侍女に無茶苦茶怒られたんだけどね。少し離れたところとはいえ男性の警備の人がいたんだから、若干破廉恥は破廉恥だったかもね。
シルリートは他の三人に比べれば礼儀作法に明るくて頭も良く、本も読めたから自由時間には本を読んでいる事が多かった。
ただ、走るのは早くて木登りも上手かったわよ。お転婆具合は私やアルミーナと同じくらいだった。ただ、頭が良いので悪戯をする時も自分が表立たないように立ち回るから、彼女だって積極的に悪戯に参加したはずなのに、怒られる時にはいつの間にか彼女だけいない事が多かった。要領が良かったのだ。
お転婆四聖女の面倒を見てくれるのは、私たちに付けられた侍女たちだった。私にはケライネ。アルミーナにはイーメリア。ウィルミーにはエルテル、シルリートにはマルリアという侍女が付けられていた。
彼女たちは最初こそ聖女たちに遠慮がちに接していたんだけど、その内それでは制御しきれないという事が分かって、次第に怒る時は厳しく怒るようになったわね。
私たちにとっては侍女たちは生活の面倒を見てくれる、母のような姉のような存在だ。寂しい時は甘える事もあるのだから、強く怒られても反発する事はなかった。
離宮はこの頃、ある程度秘匿されていて、見知らぬ貴族が訪れるような事はなかった。聖女の存在はまだ隠されていたのだ。私達の教育が進まないと貴族の前に出せないというのと、例の皇太子殿下と聖女の結婚の話で皇族内部が揉めていたかららしい。
なので離宮に来る外部の方は非常に限られた。皇帝陛下に命じられたアセロイヤー夫人を始めとした講師の方々は、離宮内部での事をけして口外しないように皇帝陛下から厳命されていたのだそうだ。
講師の方々の他に、離宮を訪れるのはまず皇帝陛下がいらっしゃったわね。陛下はお忙しい時間の間を縫って、週に一度くらいのペースで離宮を訪れ、私達の要望などを聞いてくれた。
それと、皇太子殿下ね。殿下はもっと頻繁に、三日に一度くらいは離宮いらっしゃったわよ。もちろん、護衛にガルヤードを連れてね。
皇太子殿下は出会った頃はかなり内気な性格で、オドオドと臆病なところもあった。フワフワ金髪で可愛らしいお顔をしてらっしゃったけどね。
これはやはり帝室の一人息子、箱入り息子として非常に過保護に育てられたかららしい。危なそうな事は何もかも禁じられ、そのせいで「これをやっても良いものか?」と他人の顔色を窺う癖が付いてしまったようだ。
しかし、そんな殿下が「聖女の離宮」に頻繁に来るようになって、次第に変化を見せるようになったらしい。
というのは「聖女の離宮」にいるのは、聖女とはいえ平民そのものの活発で乱暴な少女だ。その粗暴な振る舞いは皇太子殿下にとってはかなり衝撃的なものだったらしい。それはそれまでお淑やかな貴族令嬢としか会っていなかったならそうでしょうね。
しかし、私たちは聖女で、皇太子殿下の婚約者候補だった。なので皇太子殿下は頻繁に私たちと会い、遊ぶようになる。
殿下は付き合いの少し長い(それだけではなかったようだけど)私に一番懐いていて、私と一緒に遊ぶ事が多かった。そして私は四人の中では一二を争うほど活発で乱暴だった。遊びとなると大体外に飛び出して行くのだ。
必然的に皇太子殿下も巻き込まれて外に連れ出される事になる。これまで、過保護のあまり外にもあまり出してもらえず、走るなんてとんでもない、という育てられ方をしていた殿下だけど、聖女である私が連れ出してしまえば誰にも咎めることは出来ない。
なので私は遠慮なく皇太子殿下を連れまわし、庭園で駆けっこや鬼ごっこをして、花壇で泥だらけになって、木に登って、池に膝まで浸かって魚を追い回して、芝生でピクニックをして木陰で昼寝をした。
何もかも初めての経験で、皇太子殿下は非常に刺激を受けたようだ。彼は次第に活発になり、表情も明るくなり、だんだん物言いもハキハキしてきたのだった。
これに喜んだのはガルヤードで、彼は皇太子殿下の護衛兼教育係でもあったのだ。彼が付けられたのは皇太子殿下を皇帝らしい覇気のある人物にするためだったのだが、これまでは皇太子殿下があまりにも内気過ぎて上手く行っていなかったのだった。
それが聖女たちの、主に私のおかげで見違えるほど元気になったという事で、ガルヤードは私の手を取り「ありがとうございます。リレーナ様」とお礼を言ってくれたわよ。おかげで私は他の三人に嫉妬されて後でどつかれたのだった。
皇太子殿下は私の事がお気に入りで、主に私と遊んでいたので、この時点では私が皇太子妃に内定したも同然だったようだ。他のみんなも「貴女に譲るわ」なんて言っていたし、私だって三歳も年下である事が気にかかるものの、元々皇太子殿下と結婚するために帝都にやってきた事もあり、彼と結婚することに依存はなかった。結婚というのがどういうことなのか全然理解していなかったというのはともかく。
しかしながら、この話はまだまだ紆余曲折を辿って迷走するのだけどね。理由は色々あったのだけど、最大の理由は姑の問題だった。
つまり皇太子殿下のお母様。皇妃様と私が、ある時大喧嘩をしてしまったのである。
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