第六話 聖女の一日

 離宮の私の部屋は二階(建物自体は三階建)で日当たりのいいお部屋だ。大きなバルコニーが付いていて、そこから手を伸ばせば触れるくらいの位置に木々の梢が迫っている。


 部屋の大きさは貴族基準では狭い部類に入るようだけど、それでも実家よりも全然広い。あんまり広いと落ち着かないのよね。


 絨毯の色は薄い緑で、壁の金の装飾は控えめ。アルミーナとお部屋の取り合いになりそうになった時、アルミーナはもっと内装が派手な部屋が気に入って、彼女がそっちを選んだので上手く話が収まったのだった。


 ベッドは天蓋のないタイプだ。アルミーナは貴族生活に憧れ(とはいってもよくは知らないらしいのだけど)があるらしく天蓋付きを選んでいたわね。私はどうもあの閉じ込められる感じが嫌で、ないベッドを選んだのだった。


 侍女は特にお願いしてケライネを付けてもらった。もう随分仲良くなっていたし、信頼出来たからだ。彼女も、本当は主宮殿の侍女の方が出世は早いらしいのだけど、私の事が気に入ったと言って来てくれた。


 こうして私の離宮生活が始まった訳だけど、その一日は大体こんな感じだ。


 朝はケライネが起こしてくれる。私は実家では夜明け前には起きていたけど、聖女になってからはすっかり寝坊になってしまっている。


 起こされた私は顔を洗って、ケライネに髪を梳かしてもらう。まだ眠くてムニュムニュしていると、お部屋のドアがいきなりバーンと開く。


「レーナ! ご飯に行きましょう!」


 と元気よくアルミーナが入ってくる。何度言ってもノックして入ってくるという事をしないのだ。この娘は。彼女の侍女、エーメリアが恐縮した感じで追いかけてくる。


「おはよう。ミーナ。今日も元気ね」


「今日も眠そうな顔してるのねレーナ。私はもう朝のお散歩までしてきたわよ」


 彼女は聖女になった今でも無茶苦茶に早起きだ。まぁ、農家は基本早起きよね。あんまり早く起きると侍女や警備の人が困ると思うんだけど。


 アルミーナに待ってもらって支度をして、私とアルミーナはおしゃべりをしながら階下に降りる。ダイニングが一階にあるからだ。離宮では基本的に食事はみんな揃って食べる事にしている。


 この離宮は無茶苦茶に広くて内装も超豪華、らしい。でも、田舎娘には宝の持ち腐れよね。最初はキラキラして綺麗! と思っていたけど、三日で飽きてなんとも思わなくなってしまった。侍女たちが毎日お花を飾ってくれるので、それだけは毎日楽しみに見るけどね。


 本来のダイニングも百人が一度に食事が出来るくらいに広いのだけど、これでは広過ぎるので、私たちはいつもダイニングを抜けた先にある小さめなお部屋を食堂に使っていた。それだって十人は座れるテーブルが余裕を持って置ける広さなんだけどね。


「おはよう。遅いぞ二人とも」


 ウィルミーが私を睨む。遅れた理由が私にあるとバレているのだ。


「レーナ、のんびりしてるからね」


「食べるのは早いのにねぇ」


 シルリートがクスクス笑う。確かにちょっと遅れたけど、ほんのちょっとじゃない。そもそも、私とアルミーナのお部屋の方が一階にある二人の部屋よりダイニングから遠いのだから、二人より到着が遅れるのは仕方がないのだ。廊下を走るのは禁止されているし。


 テーブルの自分の席に座ると、早速食事が運ばれてくる。朝食は基本的にはいつも同じだ。パンとスープと簡単な料理。


 ただ、私たちの好みを反映してくれていて、全員に違う料理が用意される。私はハムとかチーズとかソーセージとかが好きで、サラダも必ず食べる。サラダにはハーブのドレッシングが必須だ。


 アルミーナは野菜が嫌いなので(農家の娘のくせに)彼女にはサラダは出ない。その代わりフルーツをたくさん食べる。肉はあんまり好きではないそうで、チーズとパンを主に食べている。


 ウィルミーは魚が好きで魚とパン以外はほとんど食べない。残念ながら内陸の帝都では干し魚や燻製以外は海の魚は手に入らないので、ウィルミーはいつも「新鮮な魚が食べたいのだがなぁ」と嘆いている。


 シルリートは面白い事に朝はパンを食べない。暖かい大麦のお粥を食べている。東の方の習慣だそうで、当地ではパンも私が食べているようなふっくらしたものではなく、薄い板みたいなものなのだそうだ。そういうパンは帝都では手に入らないので、料理人に作り方を教えた麦粥を出してもらっているのだそうだ。


 まぁ、全員、他の料理も食べて食べられないという事はないんだけどね。食べ慣れたものを食べたいという希望が通るからそうしているだけで。私は故郷では朝はパンしか食べてなかったから、こんなに贅沢させてもらって良いのかしら? と思っていたわね。


 というか、みんなに言わせれば私は「贅沢だし食べ過ぎ」らしい。そうかなぁとは思うんだけど、実際、他の三人は私ほど色んな料理を食べないし、量も少ない。


 食事が終わると、お茶を出してもらってみんなで少しおしゃべりをする。私とシルリートはコーヒーを好み、アルミーナとウィルミーは紅茶だ。シルリートはなんとコーヒーになにも入れずに苦いままで飲むのだ。私はミルクもお砂糖もたくさん入れるわよ。


 ちなみに、お砂糖は物凄くお高いらしい。シルリートの父親は交易商人なので扱った事があるそうで「一袋で金貨三枚もしたのよ! 信じられる?」とシルリートは驚きを力説していた。残念ながら私には金貨にどれくらいの価値があるかすら分からなかったんだけどね。


 ついでに言えばコーヒーも紅茶も十分に贅沢品なので、お茶を楽しみながらお砂糖の甘さたっぷりなお菓子を食べている四人の聖女は平民基準で言えばかなり贅沢をしていると言える。


 お茶を飲みながらふと私はウィルミーに尋ねた。


「今日はなんの先生が来る日だっけ?」


「確か、国語と歴史の授業の日だな」


「うぇ! 私歴史嫌い。眠くなるもん」


 アルミーナが悲鳴を上げた。私も同意だ。


「私も。あれ退屈よね」


「なにを言っているんだ。レーナ。皇太子妃になるなら勉強は大事だぞ。政治をするんだからな」


 ウィルミーが少し意地悪な笑顔を浮かべつつ言った。むーん、まだそれを言うのか。この娘は。


「別に貴女がなっても良いのよ? ルミー」


「いいや、皇太子殿下はレーナに一番懐いているではないか。君が適任だ」


 皇太子殿下はこの離宮に三日に一度くらいのペースで訪れる。これは、私たち四人の誰かが皇太子殿下のお妃になる、という話がまだ生きているからだ。誰が殿下と相性が良いかを見られているのだろう。


 で、確かに殿下は離宮に来ると私から離れない。他のみんなとも仲が悪いわけではなかったけどね。慣れると皇太子殿下は三つも年下の上に可愛い顔をしているので、みんな弟扱いをして(実際に弟がいたのは私とウィルミーだけだったけどね)可愛がったのだ。


 でも、断然殿下は私の側がお気に入りだった。まぁ、気が合うのは間違いない所なんだと思うのよね。でもこの時の私は、やはり殿下が三つも年下である事が引っ掛かって、彼と結婚するという事がイメージ出来ずにいたのだった。


 そもそも私はこの頃、結婚するために帝都に来ておきながら、恋愛とか結婚とかについての理解が全然なかったのだ。実家の辺りでは、少女は成人すると親の手で有無を言わさず嫁に出されてしまうものだから、恋愛なんて誰もしていなかったのよね。


 朝食が終わると、先生が来るまでは自由時間だ。私はこの時間に大体ケライネと一緒に庭園を散歩する。場合によってはアルミーナとか他の誰かと一緒に行くこともある。


 帝宮の敷地は恐ろしく広大で、この頃の私はその全貌をまだ知らない。故郷の町の全域の五倍もあるのよ、と言っても当時の私には理解しかねただろう。


 敷地の内部には庭園や離宮の他に、森や大きな池や川などもある。野生動物もかなりの数が住み着いていて、ウサギなどはよく見かけた。


 私は土いじりが恋しくなったので、お願いして離宮の庭に小さな花壇をもらった。そしてそこに花の苗を植えて育てていた。本当は野菜とか芋とか育てようと思ったのだけど、庭師に難色を示されたのだ。見栄えが悪いと。うーん。芋は結構綺麗な花が咲くんだけどね。


 花壇に言って、葉っぱにつく害虫を潰したり、水をやったり、新たな苗を植えたりする。やっぱり農家の娘だから土に触っていると落ち着くのよね。


 実は糸つむぎの道具も手に入れて、暇な時にクルクルとスピンドルを回している。故郷では暇さえあれば回していたのでお手のものだ。農民には糸つむぎは必須技術だからね。ケライネは見るまに毛糸が出来て行く様に最初はずいぶん驚いていたけど。


 ちなみに、私が羊毛を紡ぐのを見たアルミーナは「ウチの辺りは綿花を紡ぐのよ」と言っていたわね。どうやら北と南で紡ぐ原料が違うらしい。道具は一緒みたいだけど。


 漁師の娘であるウィルミーは「やった事がないな」と言っていたし、交易商人の娘シルリートもほとんどやった事がないそうだ。やはり農民の技術なのだろう。毛糸が溜まったらみんなに帽子でも編んであげようかな。


 先生がやってくるとお勉強のお時間だ。広間に先生をお招きして授業を受ける。広間に机を並べ、先生と向かい合って授業を受けるのだ。


 国語と歴史を教えて下さる先生は初老の白髪の男性で、この方も貴族だそうだ。穏やかだし良い先生である。


 ただ、私はこれまでお勉強などほとんどやった事がないので往生した。農作業で使うので数は百まで数えられたけど、文字も読めなかったからね。


 勉強に関して徹底的に劣等生だったのは私とアルミーナで、二人とも貧農の出身で親も文字が書けなかったからね。文字を覚えることから始めるんだから、文章をスラスラ読めるようになるまでにはかなりの時間が掛ったものだ。


 ウィルミーは漁師の娘だったのだけど、彼女は最初から文字が読めた。漁師は魚を獲るだけではなく、簡単な交易もするからだとの事だった。親が交易商人であるシルリートは言わずもがな。彼女はこの時点で四カ国語が話して書けたのだ。


 同じ聖女として負けてはいられないと、私は奮起して頑張って勉強をしたわよ。夕食の後寝る前にその日に習った事を復習して身につけるようにしたものだ。私が寝坊なのはそのせいでもある。


 私たちが受けた教育は歴史と国語以外に、神学、計算などの他、礼儀作法や宮廷儀礼などがあった。


 なんでも、私たちは聖女であるので、皇太子殿下と結婚してもしなくても皇族相当の身分になるのだということだった。そうなると、皇族相当の礼儀作法や宮廷儀礼を身に付ける必要があったのだ。これの教育には皇族の夫人の一人が来てくれていた。


 授業は大体午前と午後に一時間ずつくらいで行われる。この日も先生をお招きして昼食をご一緒して午後からも授業を受けた。先生は歴史に詳しく、聖女の歴史にも詳しかったから、聖女が四人も同時に現れたことには驚きを隠せないと仰った。前代未聞だと。


 授業が終わるとおやつの時間で、この時間は全員で集まることは少ない。でも大抵は誰かしらと一緒にお茶を飲むわね。やっぱりアルミーナと同席する事が一番多い。部屋が近いしね。


 それから自由時間があって、夕方にみんな揃って夕食となる。私の故郷では実は夕食は農繁期以外は食べない。というより食べるものがなくて食べられなかった。


 それなのにここでは毎晩沢山の料理が食べられる。お肉(これも牛、豚、鹿、兎、鶏など様々なお肉が出る)料理や魚(帝都は内陸なので淡水魚が多い)料理などが何種類も出るのだ。お芋ですらスフレとかマッシュポテトだとかフライドポテトだとか工夫した料理で出される。故郷でのように煮たり焼いたりしただけなんてことは絶対になかった。


 確かに贅沢よね。故郷の父さん母さんや兄姉弟妹にも食べさせて上げたいなぁ、と思う事もあった。同じ事は他のみんなも思っているようだったわね。アルミーナはこの日、少し辛いスープを口にして「パパがこういう味は好きだったな」なんて呟いていた。


 夕食が終わると食後のお茶を飲みながら歓談して。解散だ。お部屋に帰り、お風呂に入って寝巻きを着る。ちなみに、私たちの普段の服装は神官服からドレス姿に変わっていた。ドレスは職人が来てくれて誂えてくれたものだ。神学の授業と儀式の練習の時には神官服を着るけどね。


 さっきも言ったように、私は寝る前に机に向かって今日受けた授業の復習をする事にしていた。私は物覚えが悪いからね。ちゃんと自習しないとみんなに置いて行かれてしまう。


 そうやってしばらく勉強して、「そろそろ寝ようかな?」となった頃のことだった。突然私のお部屋のドアがガチャっと開いて、寝巻き姿のアルミーナが枕を抱えつつノソノソと入ってきた。目はいかにも眠そうだけど、ちょっと目尻が赤くなっている。エーメリアが気遣うような顔で付いてきて、申し訳なさそうに私に頭を下げた。


 やっぱりか。私は内心溜息を吐いた。夕食の時に父親の事を思い出していたものね。


「どうしたのミーナ?」


「……一緒に寝てもいい?」


 要するに故郷の父母の事を思い出して寂しくなってしまい、一人で寝られなくなったのである。全員が故郷を遠く離れて帝都まで来ているので、みんなたまにホームシックに罹るのだ。特にアルミーナは頻度が多い。


「いいわよ。じゃ、寝ようか」


 私が頷くと、アルミーナは嬉しそうに微笑んでいそいそと私のベッドに潜り込んだ。私も苦笑しながらベッドに上がる。ケライネが私とアルミーナに布団を被せてくれた。


「おやすみなさいませ。お二人とも」


「おやすみ」「おやすみ」


 ケライネはランプを消して静かに部屋を出ていった。アルミーナは私に抱き付き、しばらくはモジモジしつつ「パパ、ママ……」と呟いていたけど、やがて寝息を立て始めた。私は彼女の桃色の髪を撫でながらフーッと息を吐いた。


 私は兄弟が多かったし、家が貧しくて忙しかったので、あんまり父さん母さんに甘えて育たなかったからか、それほど親が恋しくないのよね。


 みんながいてくれてこうして仲良くワイワイいられるからかも知れないけどね。一人で半月客室で暮らしていた頃は退屈だったけど、今は毎日楽しいもの。同じ境遇のみんなと共同生活出来て良かったわ。


 私はウフフっと笑いながらアルミーナの頭を抱きしめ、そのまま静かな眠りに落ちていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る