第三話 聖女と皇太子殿下

 アーロルド様はこの頃、少しぽっちゃりしていた。太っているという程ではなかったけどね。頬とかもちもちしていた。


 そして私の顔が見られないくらい恥ずかしがって顔を真っ赤にしていた。テーブルの左右で対面で座ったのに、ずっと俯いてテーブルの表面を見ていたからね。


 私は彼の名乗りをちゃんと聞いたはずなのに、彼が私と同じくらいの小柄な、明らかに年下の少年だった事もあり、彼が皇太子、つまり私の結婚相手に擬された方だという事にこの時は全然気が付いていなかった。アーロルド様は私の二つ下で十二歳。つまり成人前だったのだ。


 故郷で私の結婚相手の候補だった男性は私よりも最低三つは年上だったからね。結婚相手といえば年上だという思い込みがまずあったのだ。男性は成人して本格的に仕事を始めて一人前になったら嫁をもらうものなのだ。それには成人から三年から五年は掛るのが当たり前である。


 なのでコウタイシだと名乗られたのに私はアーロルド様を将来の結婚相手として見なかった。そしてもう一つ、私が彼から興味を失った理由が、すぐに運ばれてきたものにあった。食事だ。


 何しろ私は昨日、クッキーを食べたら寝てしまい、朝食は寝坊してすっぽかした。そして今はもうすぐ昼という時間である。つまりもの凄くお腹が空いていた。さっきからクウクウとお腹が鳴いていたのだ。


 そこに籠に入ったパンと温かな白いスープ、瑞々しい野菜のサラダ。スモークされた魚やソーセージ、サラミ、チーズ、卵。そして当時はよく分からなかった様々なデザートが運ばれてきたのだ。アーロルド様の存在なぞ私はすぐに忘れた。


「た、食べて良いの!」


 私は後ろに控えたケライネに勢い込んで尋ねた。彼女ははっきりと苦笑して「どうぞ」と言った。


 いただきまーす! と手を出そうとしてギリギリで踏み止まる。いけないいけない。お祈りを忘れていた。このお祈りだけは実家にいた頃から欠かさずにやらされていたのだ。私は手を組んで頭を下げる。


「偉大なる大女神ファルモガーナ様と、大地の女神アスタナージャ様。日々の糧をお恵み下さいましてありがとうございます」


 元々はフォルモガーナ神だけにお祈りしていたのだけど、聖女になってからはお力をお貸し下さる感謝を込めてアスタナージャ神にも祈ることにしている。


 私が祈りの言葉を唱えると、私の身体を赤い燐光が一瞬包む、らしい。周囲から驚きの声が上がったので、この時も光ったのだろう。


「聖女様……」


 とアーロルド様が呆然としたようなお声で呟いたけど、既に食べ物にしか目が行かなくなっていた私にはほとんど聞こえていなかったわね。


 私はテーブルに身を乗り出し、手を伸ばしてパンを籠から取った。「あ……」っとケライネが呟いた。マナーでは、パンが欲しければ給仕係に取ってもらうものだからだ。この時の私はマナーなんて知らないからね。パンを千切らず口に突っ込み、そのまま手を伸ばしてソーセージを掴み、バリバリもぐもぐと咀嚼すると、スープにスプーンを突っ込んで跳ね飛ばし、更にパンを掴んでモリモリ食べた。


 まったく平民の振る舞いでさぞかしアーロルド様とかケライネも驚いた事でしょう。だって私はこの時純粋に平民だもの。フォークすら使った事がなかったんだから。しかもこの時は空腹だったし、ビックリするくらい柔らかいパンや温かくて肉汁はじけるソーセージに感動していたから、無我夢中で食べていたからね。普段にもましてお行儀が悪かったと思うわよ。


 ヨーグルトとか、プリントか、小さなケーキとかのデザートに至っては、一口食べるだけでもう感動で意識が飛びそうになったわよ。なにこれ。甘い! 甘いわ! 私はこの日から砂糖の虜になったのだった。


 コーヒーという不思議な味のするお茶(これにもミルクと砂糖を沢山入れる)を飲んでそれはもう私は満足した。ふわー。帝宮って、帝宮って凄いわ! 美味しいわ!


 と私は精一杯満足した。で、気が付くと、正面に座るアーロルド様が私を呆然として見ていたのよね。大きな青い目がぱっちりと開いて良く見えた。以外と可愛い顔をしているな、この子、と私は思ったわね。


 私は首を傾げながら、意地汚くもまだ残っていたフルーツの皮を剥きながら言った。


「なに?」


 私のぞんざいな言葉に周囲の人々が慌てた様子を見せる。それはアーロルド様は皇太子だからね。


 私に声を掛けられて、我に返ったアーロルド様は下を向いてしまった。なんだろうねこの子。随分内気だわ。これじゃあ村では他の子に虐められてしまうかもね。なんて、私は失礼な事を考えたのだった。


  ◇◇◇


 こうして私は帝宮の主宮殿の客室の一つに暫く滞在した。町の神官様はお帰りになってしまったけど、私はケライネと仲良くなった事もあり、それほど寂しさは感じないで済んだ。


 ケライネも最初は私を聖女様だとおっかなびっくり扱っていたんだけど、私がごく普通の女の子である事に気が付くと少し遠慮を無くして、年下の少女の面倒をみる意識で接してくれた。私もその方がケライネに甘えられて良かったわね。


 ただ、不思議な事に私は暫くはこの広いお部屋に放置された。全くどこからもお呼びが掛らなかったのだ。


 私は聖女になってから結構忙しかった。どの神様のご加護を頂いたのかを調べられたし、アスタナージャ神のご加護を頂いて土地を癒やせる事が分かってからは実際に農地を癒やしたりもしたし。遠い領都まで招待されたり領主様とお会いしたりで一年間あっちこっちに連れ歩かれたものなのだ。


 その前は農家の娘として忙しく働いていたからね。働くだけじゃなく近所の子達と暇さえあれば駆け回って遊んだものだ。


 その私が放置である。何にもやることがないのである。毎日毎日ゴロゴロして、お食事をして、ゴロゴロして、宮殿の中を散歩して、庭園を散歩して、ゴロゴロする。


 暇すぎる。


 どういう事なのだろうか。そういえば私はコウタイシ様のお嫁さんになる為に帝都まで来たのではなかったか。


 その皇太子殿下とはたまにお会いしている。大抵、お食事の席、特に昼食の席でご一緒するのだ。最初のあの日は私一人が食べたけど、次の機会からは殿下も一緒に食べている。


 のだけど、あの皇太子殿下は凄く内気で照れ屋で、私が声を掛けてもほとんど返事がないのである。真っ赤な顔で俯いているだけ。最初は気を遣って頻繁に声を掛けていた私も、段々飽きてあんまり声を掛けなくなってしまったほどだ。


「ねぇ、ケライネ。私、何にもしなくて良いのかしら? 私、なんならお洗濯や糸紡ぎは得意よ? お庭を畑にするなら手伝うわ? どう?」


 ケライネは呆れた様な、気の毒がるような表情を浮かべた。


「退屈な気持ちは分かりますけど、もうちょっと我慢して下さいませ。その、なんだか面倒な事が起こっているようなので……」


 面倒な事? それはなに? と思ったのだけど、ケライネは言葉を濁してしまった。ちなみに、お庭は庭師がきちんと管理しているので、畑にされては困るとのことだった。糸紡ぎはケライネはやったことがないそうだ。糸車と羊毛があれば教えてあげるのにな。


 何回か、帝都大神殿の立派な神官様がいらして、私に本当にアスタナージャ神のご加護があるかを確かめて行ったわね。お庭に出て、奇跡を使って見せたわ。庭師が綺麗にしているからごく小さな花壇を癒やすだけだったけどね。でも、それで神官様は随分感動して下さって、しきりに私に祈りを捧げていた。


 お借りしていた客室は広くて、ぶっちゃけて言えば実家の家全体より余程広かった。ベッドは天蓋付きの大きなもので、机やタンスや兄弟や応接セットなんかまであったけど私には使う当てがなかった。トイレとお風呂も隣接していて、主にケライネがお世話をしてくれた。


 しかし、どんなに広いお部屋だって一人でいたら持て余す。弟とか妹とか近所の友達でもいれば駆け回って遊ぶ所なんだけどね。ケライネは仲良くしてくれているけど、彼女も仕事なので私と取っ組み合って遊ぶわけにはいかないしね。


 せめて皇太子殿下が一緒に遊んで下されば良いんだけど、そういう感じでもない。


 帝都に来た緊張が抜けて、生活に慣れてくると、私は一緒に遊んでくれる友達が欲しくなってきたのだった。出来れば同じ年頃の女の子が良いわね。でも、私は聖女になってから、子供の頃から遊んでいた近所の子供達とも疎遠になってしまっていた。あんな立派な神官様で謙ってしまような立場なのだもの。もしも帝宮に同じ年頃の女の子がいても遊ぶ事なんて許されないかもしれないわよね。


 そんな事を思いながら私は退屈な生活を半月ぐらい送っていた。その間、どうも帝宮は大騒ぎになっていたらしいのよね。私は知らなかったのだけど。


  ◇◇◇


 ある日、私はケライネに連れられてお部屋を出た。


 私の服装は聖女になってからはいつも女性神官服だ、帝都に来てからは誂えられた身体にぴったりなものが用意されている。つやつやした軽い素材の、丈の長い真っ白なワンピースで、腰の所をアスタナージャ神の象徴色である赤い帯を締めている。袖口と裾は水色で、これはファルモガーナ神の象徴色なのだそうだ。


 私は神官服の裾を気にしながら、ケライネに付いて歩いた。


「何処へ行くの? ケライネ」


 私の問いにケライネは何故か少し緊張したような表情で応じた。


「その、今日は会って頂きたい方々がいらっしゃるのです」


 会って貰いたい人? 私は首を傾げてしまう。皇帝陛下かしら? 陛下とは初日以外にも何度か挨拶を頂いた。立派で威厳のある方で、笑顔が優しい素敵なお方だった。息子の皇太子殿下とは大違いに堂々としていたわね。


 皇妃陛下とは未だにお会いしていないし、皇太子殿下の妹君がいると聞いたけど、その娘とも一回も会っていない。その辺の方々とお会いするのかしらね。


 私とケライネは宮殿のサンルームを通過して宮殿の中庭に出た。ここには来たことがなかったわね。生け垣で道が迷路の様に造られていて、その周りにバラやクロッカスやチューリップなどが綺麗に咲いていた。もう春も盛りなんだわね。故郷より随分南にある帝都は春がかなり早いようだ。


 庭園を進むと、生け垣で囲まれた場所が見えてきた。白いテーブルが置かれていて、その周りに何人かの侍女が立っているのが見えた。よく見ると、テーブルに既に人が座っているようだ。髪の長さからして女性、しかもかなり若い女性ではないだろうか。


 私はちょっとドキッとした。ワクワクした。久々に見る、同じ年頃の女の子だ。そう。帝宮で周りにいる人は、皇太子殿下を除けば私より年上の人が多かった。ケライネが二歳上で、一番歳が近いというくらいのものだったのだ。


 私は同じ年頃の娘と話をするのに飢えていたのだ。友達が欲しかったのだ。もしかしたらこの娘達と友達になれないかしら! 私はそう考えたのだった。


 しかしながら話はそう単純には進まなかったのだ。


「お待たせ致しました」


 とケライネが言い、私も頭をぺこりと下げる。すると、テーブルを囲んでいた少女達三人が一斉に私の方を振り向いた。私は目を丸くして驚いてしまう。


 思った通り、全員がおそらくは私と同年代の少女だった。少し背格好に差はあったけど、二歳と離れてはいないと思う。二人は長髪。一人は肩のところで髪を切り揃えていたわね。


 髪の色は、桃色掛かった金髪と、濃い青髪、それと干し草のような金髪だった。桃色髪の娘は少し背が高く、瞳の色は金。濃い青髪の娘は少し色黒で黒い瞳はやや鋭い。干し草色の髪を短くしている娘はおっとりとした顔立ちで、瞳は緑だった。


 全員、特に桃色髪の娘と青髪の娘は不機嫌そうな顔をしていた。干し草色の髪の娘は不機嫌と言うより困ったような顔をしていたわね。


 青髪の娘が言った。


「あんたもそうなわけ?」


 いきなりあんた呼ばわりされてビックリした。聖女になってからは、近所のおじさんおばさんは元より、父さん母さんですらそんな乱暴な呼び方で私を呼ばないようになっていたから。


 そして質問の意味が分からない。私は首を傾げながら逆に尋ねた。


「そうって、なにが?」


 すると、桃色髪の娘が溜息を吐くようにして言った。


「あんたも聖女なんでしょう? その様子を見ると」


 顎で私の服を指し示す。神官服だ。よく見ると、三人の娘の全員が私と同じ神官服を着ていた。帯までは見えなかったけど。


 え? 私は意味を悟って唖然とする。全員が身に纏う神官服。彼女は「あんたも」と言った。そのココロは……?


 干し草色の髪の娘が頬に手を当てて困ったような声色で言った。


「そうなの。私達も聖女なのよ。四人目の聖女さん」


 ……え? 私は思わず全力で叫んでしまっていた。


「えー!」


 

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