第10話 国教の聖女、背信。
広大な大地を空から見下ろすと、三重の外郭に囲まれた町が見える。
大陸随一の居住区を誇る領地、公爵領である。
「おお、すげぇ」
外角の色は練色。
幾たびか魔物を退けているのか、ところどころに傷跡はあるが、いまだ壮健で崩れるビジョンがまるで浮かばない。
さすがは人口ナンバーワンの領地だ。
魔物から町を守る防壁がきちんとある。
不審な人物の侵入を取り締まる門番がきちんといる。
「いいよなぁ、外壁。うちの領地にも欲しいな」
つぶやくと、スティアーナが同意を示した。
「そうね。たとえば、魔物の侵攻を防ぐ、っていう名目を掲げるってのはどう?」
「名目って言うか、それが主目的だろ」
「ふふっ、そうだったわ」
何が楽しいのか、スティアーナは楽しそうに笑っている。
本当に、何を楽しそうにしているんだ?
わ、わからん。
俺には彼女がわからない。
と思っていると、隣でスティアーナがぼそっと、「善良な領主の演技は完璧ってことね」と零した。
エッ、バレてる⁉
本性はクズ野郎ってことバレてる⁉
うすうす気づきながらも目を背けてきたが、やっぱり勘違いなんかじゃない。
絶対に、スティアーナは俺の本性を見抜いている。
それはまずい。
非常にまずい。
スティアーナはうちの貴重な戦力だ。
逃げられることは絶対に避けたく、そうするためには俺が他の誰よりも信頼に値する人物である、というポジションを確立し続けなければいけない。
ど、どうにか弁明を試みないと。
「ち、違うぞスティアーナ、俺は本当に――」
言いかけた言葉を遮って、通りから悲鳴が響いた。
「いやっ! やめてください!」
「ぐぇっへっへ、そんな嫌がられ方するのは心外だなぁ? オレは聖ローレル教の司祭だぜ? その俺に逆らうってのは、神の御心に背く意志ありってことかぁ?」
「ち、ちがっ、わたしは、背信者なんかじゃ……」
「じゃあ、どうすればいいか、わかるな?」
チャ、チャンスだ!
見ていろよスティアーナ!
あの幸薄そうな(ド偏見)少女を、あの暴漢から俺が見事に救出してみせるから!
「待て」
「あん? なんだぁテメェはぁ」
「俺の名はアーシュ。クロニクル領のアーシュ・クロニクルだ」
「き、貴族っ⁉ あ、いや、アーシュ様? い、いかがなさいましたでしょうか」
なんとか教の司祭だ、と威張り散らしていた男だったが、俺が貴族とわかると態度が一転。
急に頭を深々と下げる。
「少女が嫌がっているだろ。悪ふざけはそこまでにしておけ」
「……っ⁉」
勢いよく顔を上げた男が、くわっと目を見開いた。
「お、お言葉ですがアーシュ様! オレは聖ローレル教の司祭であり――」
「だからどうした?」
「「「「……っ⁉」」」」
今度は男だけでなく、周りにいた観衆までもが動揺した。どよどよと。
ふっふっふ、見てるかスティアーナ。
この反応、この驚き具合こそが、俺が一般常識では測れないほど善良な貴族である証。
一般市民を、しかも他領の民草のためにここまで体を張れる貴族が他にいるだろうか。
いや、いない。
裏を返せば、俺こそが至上の貴族であるということ。
だから、俺を見限ってよその領へ行こう、とか考えないでね?
いや、本当に、お願いだから。
「くそ、覚えてろよー!」
いかにも三下が吐きそうなセリフを声にして、暴漢が尻尾を巻いて逃げ出していった。
「さすがですアーシュ様!」
スティアーナが目をキラッキラさせている。
俺は内心でガッツポーズを決めた。
よし、離れかけていたスティアーナの尊敬を引き戻せたぞ。
これでしばらくは安泰……
「私、感動したわ! 国教に指定されている聖ローレル教の司祭相手にあの啖呵の切りよう、他の貴族では破門を恐れてとても真似できないでしょうね」
「え?」
こ、国教……?
そのへんの、怪しい宗教とかじゃなくって……?
(あ、あれ?)
なんか雲行き、怪しくないか?
い、いや。まさか。
そんな、聖ローレル教の話題なんてゲームでは取り上げられていなかった、少なくとも印象に残る範囲では。
つまり、スティアーナの知識が間違っている可能性もあるんじゃないか?
ほら、いまもどよめき続けている民衆の声に耳を傾ければ、俺を称賛する言葉の嵐が……
「おいおいマジかよ」
「辺境の男爵領は、聖ローレル教にたてつく気らしいぞ」
「正気かよ、いや、もし本当なら全力で応援するけど」
「ばっ……滅多なこと言うんじゃねえよ! お前まで背信扱いされたらどうするんだ」
ガッデム!
ガチでヤバい宗教じゃねえか!
(やべえ、やっちまった)
下手な見栄なんて張るんじゃなかった!
ど、どうにかここから逆転できる一手は――
「あの! こちらへ!」
「え?」
ぐい、と俺の手を引いたのは、先ほど暴漢に襲われそうになっていた幸薄そうな少女だ。
わけもわからないまま、彼女が手を引くまま、あとを追いかける。
その後ろをスティアーナが追ってくる。
狭い路地裏を駆けていく。
一見だと綺麗な印象を受けた公爵領だが、こういった、いわゆるアングラ的なところはやはり整備が行き届いていないのか、ごみや糞尿が垂れ流しになっているし、ときおり鼠かはたまた害虫か、何ともわからない生物が音を立てている。
病気になりそう。
スティアーナに生活魔法で綺麗にしてもらおうか、なんて考えていると、ふと、俺の前を小走りにかけていた少女が足を止めた。
「ここです」
七拍子っぽいリズムで少女が扉をたたく。
「姫様! 見つけました、見つけましたよ! 計画に協力してくださる御仁に巡り会えたのです!」
錠の外れる音がして扉が開かれる。
そこに、白銀の髪をなびかせる女性がいた。
「あ」
記憶が、突沸したビーカーのようによみがえる。
(俺は馬鹿か……! どうして思い当たらなかった……!)
聖ローレル教は作中でもきちんと登場する用語だ。
王権神授説は王侯が特別であると主張する意見だが、王侯が叫ぶだけでは意味がない。
民衆に、それを信じさせる必要がある。
故に、人々が王侯が神の使いであると信仰するために作られ、帝国中に広められた宗教。
それが確か、聖ローレル教!
ただし、その宗教は、原作が開始した時点で廃れている。
理由も判明している。
当時の聖女が、異を唱え、各地で連鎖的に大暴動が引き起こされたからだ。
その聖女の名はエリクシア。
「あなたは、神を信じますか?」
目の前にいる白銀の、特級爆弾である。
(か、かかわりあいたくねえ……!)
こんな目に見えた地雷原に飛び込む阿呆がいてたまるか!
ここはね、すぱっと決断。
撤退あるのみ。サクッと断りましょうね。
「い、いえ」
「本当ですか⁉」
白銀の少女が、両手で俺の手を取った。
やっべぇ、柔らけえ。指ほっそ……じゃなくて。
「あなたのような方がいらっしゃるのを、わたくしはずっとお待ちしていたのです!」
「あ、いや」
ちが、さっきのは神を信じないって意味じゃなくって、宗教お断りって意味で――
「どうか、我が物顔で邪悪を振舞うこの宗教を世界から取り払うために、ともに戦ってください!」
そんな物騒な話に首を突っ込みたいって話じゃないんだよ!
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