第7話 紺色の暗殺者、迎撃。②

 あっ。


 しまった、思った以上に暗くって足がもつれた。


「んぐっ⁉」


 これベッドに押し倒した形になってね⁉

 しかもいまの声のくぐもった感じ、唇で口塞いでる形で覆いかぶさってるよね、これ!


 ちょっと待って、平和的に、話し合いで解決するつもりだったの。

 お願い、信じて。


「くぁ……っ、な、何を」


 身をよじり、どうにか口を塞がれた状態から外した少女が、目を見開いて問いかけてくる。


 何をって、そんなの俺が知りたいですよ!


 少女がもぞもぞと抵抗する。

 まずい。

 ここでうっかり「あわわ、ごめん」なんて解放しようものなら「斬り捨て御免」で返されてしまう。

 嫌だよそんな言葉のデッドボール!

 とにかく、まずは誤解を解かないと。


「アーシュ様⁉ 大きな音がしたけど大丈夫⁉」


 そこにスティアーナが乱入!


 部屋に明かりを灯す程度の魔法が発動し、消灯していた寝室に明かりが……!


「ちょ、待って」

「っ!」


 そこから先は、一瞬の出来事だった。


 押さえつけていたはずの少女の体が、液状化した。

 いや、錯覚だ。

 関節を外したんだと気づいたのは、彼女がするりと拘束を抜け出してしまった瞬間だ。


 そのうえ少女は軽い身のこなしで窓際まで駆け寄ると、ガラスを蹴破り、外へと身を放り投げる。


「待ちなさい!」


 スティアーナが彼女の後を追い、窓ガラスから身を乗り出した。


「くっ、逃げ足の速い……いえ、それよりいまは」


 スティアーナは顔面を蒼白にして、俺ににじり寄った。


「アーシュ様は彼女が何者か知っているの?」

「イエスとも言えるし、ノーとも言える」

「どっちよ」


 彼女本人について、俺は詳しく知らない。

 が、彼女の出自なら推測できる。


「スティアーナは『学校』を知っているか?」

「知ってるわ。貴族の子どもが集まって、高水準の教育を受けられる施設でしょ?」

「一般的にはな。だが、ここで言うのはそうじゃない。貴族じゃない子どもを集める『学校』だ」

「そんなのあるの? ちょっと意外」


 スティアーナは「てっきり、貴族がでかい顔をするために市民から学ぶ場をはく奪しているものだと思っていた」と続けた。

 合ってるよ。満点回答だ。

 だが、あるんだよ。


「『学校』ってのは、いわゆる暗部組織だ。年端もいかない無垢な少年少女に偏った知識を埋め込み、貴族の都合がいいように洗脳してしまうんだ」

「そんな非人道的なことが」

「行われているんだよ、この腐った世界では」


 その『学校』で少年少女は、罠の設置や解除から、拷問、人体の効率的な破壊方法など、様々な知識を叩き込まれる。


「『学校』の教育方針は一つ。“生涯における最優先事項は仕える主君の望みを叶えることであり、自分の心は二の次である”」


 原作ヒロインの一人が、この暗部組織の卒業生なのだが、そのヒロインが、紺色の少女と同じ刃渡りの短い刀をメイン武器として扱っているのだ。

 もしやと警戒してみればこれがドンピシャ。

 最悪の想定は的中し、切れ長の瞳の少女も暗部だったわけである。


「おそらく、ボナステージ伯爵に命令されていたんだろ。就寝中の俺を殺害しろ、とかな」

「だから伯爵は、この屋敷に泊まりたいなんて言ったのね」


 スティアーナが得心いった、とばかりに頷く。

 外部から屋敷に侵入するより、客人として招かれた状態の方が寝室に忍び込みやすい。

 俺はスティアーナより先に、そこまで予想できていたから、こうして罠を仕掛けて、穏便に済ませようとしたわけだが……。


「理想を言えばこの場で捕らえたかったが」


 まさかあんな美少女ゲーみたいなハプニングが現実で起こるなんて、誰も思わないじゃん?

 美少女ゲーの世界だったわ、ここ。

 ちくしょう。


「ん」


 スティアーナが俺のベッドに腰かけて、となりをぽんぽんと叩いた。


 えと、あの、スティアーナ……さん?

 それはどういうジェスチャーですか?


「命を狙われてるんでしょ? 二回目が無いとは限らないし、一緒に寝てあげる」


 スティアーナさん、スティアーナさん。

 耳、赤くなってまっせ。


「か、勘違いしないでよね! 魔法が使える私がいた方がいざという襲撃の時の備えになるっていうだけで、それ以上の理由なんてないんだからね⁉」


 はいはい、わかったわかった。


「じゃ、遠慮なく」

「ん……それでいいのよ」


 一つ同じ布団に入ると、彼女の匂いが鼻腔をくすぐった。

 甘く優しい、どこか懐かしい香りがした。


  ◇  ◇  ◇


 翌朝。

 領主邸には、やけに上機嫌な歌声が反響していた。

 ザんす、ザんすと繰り返す、不安になるメロディラインだ。

 新手の精神攻撃かもしれない。


「ご機嫌ですね、ボナステージ伯爵」

「ヨーホホホホホ、今日はいい天気ザんす。いい一日の予感がするザんす……男爵⁉ なぜここにいるザんす⁉」

「なぜって、ここは男爵邸ですし」


 ボナステージ伯爵が目を大きく見開く。


「そういうことではないザんす! あなたは昨晩……」


 ぴきぴきと、伯爵のこめかみに青筋がたてられていく。


「あの小娘……ッ、しくじったザんすね……!」


 伯爵が、大きく息を吸い込んだ。

 だからとっさに、耳を両手でふさいだ。

 果たしてそれは英断だった。


「ユエェェェッ! 出てくるザんすゥゥゥゥゥ!」


 地鳴りのような怒声が響いた。


(うるさっ⁉)


 耳を塞いでいなかったら、鼓膜をやられていたかもしれない。


「ユ――」

「私なら、ここに」

「この小娘がぁっ! どの面さげて我輩の前に顔見せやがったザんす!」


 伯爵の大振りの拳をしかし、紺色の少女はひらりと身をひるがえして避けた。


「避けるんじゃないザんす! 気が済むまで殴らせるザんす!」

「っ!」


 少女が身をこわばらせた。

 瞳孔が緊縮し、指先が軽く痙攣している。


 だから、とっさに――

「あぶないッ!」

 駆け寄って、拳の軌跡上から少女を奪い去った。

 俺のすぐ背後、背面をかすめるように、伯爵の拳が突き抜ける。


「ぐっ」

「男爵様⁉ そんな」

「気にするな、かすっただけだ……」


 それより、気にしないといけないのは。


「男爵ゥ、我輩の持ち物に断りもなく触れるとは、いい度胸ザんすねぇ」

「だからこそ、傷がつくのを、見逃せなかったんですよ……感謝してもらいたいくらい、ですね」


 この、暴走を始める伯爵を、どうやってあしらうかだ。


(くそ、なんだってこんな目に)


 原作のアーシュくんはこんな過酷な試練を乗り越えたのか?

 ……いや、そもそもあれか。

 まともな領主邸の復元も間に合わず、インテリアもそろえられず、散々罵倒されて終わったパターンかな。


 くそ。ちょっと、見え張っただけじゃねえかよ。

 その結果が命を狙われるだの、所有物に許可なく触れたと難癖付けられるだの、割に合わなすぎるぞ。


「ユエ!」


 伯爵が声を荒げると、抱きかかえたままの少女が腕の中でびくりと震えた。


「いま一度チャンスをあげるザんす」


 少女が指に力を入れて俺の裾を掴む。


「『学校』でも先生が教えてくれたザんしょう? あなたの価値は、なんだったザんすか?」

「わた、わたしの、価値は……主様の命を、忠実にこなすこと」

「だったら、どうすればいいザんすか?」


 紺色の少女は、いまにも泣き出しそうな目で俺を見上げていた。


「あなたに、私怨はございませんが」


 それは自分に言い聞かせるおまじないの様に語られた。


「主様の命令なので、ここで殺します」


 少女の首は、何度も左右に振られていた。


「悪く、思わないでください」


 ちくしょう! なんでだよ!

 こう、普通は「わたしには、殺せません……!」ってなるパターンじゃないのかよ!

 人徳か? 俺が悪役貴族だからダメなのか?


 このままだと、死ぬ。

 運命のルートは間違いなく死亡エンドに向かって進んでいる。


 どうにか、口八丁手八丁で、この場をしのぎ切る方法は、無いのか――


「――泣きながら、言うなよ」


 少女の頬を伝う一筋の雫に、一縷の望みを見た気がした。

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