第5話 迫りくる伯爵、驚愕。

 アーシュが領主邸の復元に着手して一週間がたったころ、ひたひたと彼の領地に迫りくる影があった。


「ヨーホッホ! 焦るザんしょねぇ! 楽しみザんすねぇ! 男爵のうろたえる姿が目に浮かぶザんす!」


 ボナステージ伯爵家である。

 首と顎の境目がわからない彼は上半身をひねり、新たに雇った執事に語り掛けた。


「我輩が男爵就任のあいさつに向かうことはきちんと伝えたザんすね?」

「は、はひっ、滞りなく、言われた通り、間違いなく、二週間後に訪問なされると」


 少し前までアーシュ邸で雇われていた執事の顔は、いまとなっては面影が無くなっていた。


「言われたとおり⁉ 違うザんしょォ! あんたが、うっかり間違えて日付を一週間間違えて報告したザんす! そうザんしょ⁉」


 鈍い殴打音がさく裂する。

 これが、彼の顔に面影が無くなっていた理由。


「ガふッ……は、はぃ。伯爵の、おっしゃる通りです」


 度重なる暴力により、彼の顔はパンパンに膨れ上がっていた。

 内出血の痕で体中に青い痣が浮かんでいて、さらには裂傷痕すらある。


 伯爵家に登用されると喜んでいた自分の愚かさに嫌気がさす。

 こんなことなら、裏切らなければよかった、と考えかけて、その思考さえも否定する。


 ちらりと視線を横に動かすと、紺色の髪の少女が、刀身が40センチほどしかない刀を抱きかかえ、ぼうっと景色を眺めている。

 切れ長の瞳から受ける印象は冷徹で、その実冷酷で間違いない。


 そんな彼の視線に気づいた紺色の少女は、小首をかしげて彼に問いかける。


「なに?」


 執事はただでさえ青あざばかりの顔をさらに青くして、首を振った。


「いいえ! 何も!」

「そう」


 彼が答えると、少女はつまらなそうに車窓から景色を眺めた。


 ちょうどその時だ。




「どういうことザんす!」


 ボナステージ伯爵が、ずんずんと執事の元に歩み寄る。


「ヒッ。ボナステージ伯爵、いったい、どうなされましたか」


 殴られる。

 この一週間で徹底的にそう刷り込まれた執事は身を縮めて伺いを立てた。


「どうしたザんすって⁉ お前にはあれが見えないザんすか!」


 伯爵は執事の襟をつかむと、車窓から彼の上半身を外に押し出した。

 落とされる、と執事は思ったがそうではなかった。

 見慣れた景色が、すぐそこに来ていた。

 長く仕えた領地は、記憶と変わらない光景を広げている。


「……あ⁉」


 だから、おかしいのである。


「お、お待ちください伯爵様! この身は確かに、爆撃しました。燃え上がる領主邸も、煤けた領主邸跡も、しかと目撃しております!」

「だったら! どうして男爵邸が残ってるザんす!」

「き、きっと何かの間違いです! そう、たとえば、ハリボテ! 遠い異国にはハリボテの城を一夜にして築き、敵を欺いたという記録がございます! もしやその手の類の可能性もあるかと!」


 殴られたくない。

 その一心で、執事はひどく興奮した様子でまくし立てた。


「ふん、だったらいいザんすけど、違ったらどうなるか、わかっているザんしょね」


 腹の奥底からよじ登る恐怖が体をすくみ上らせる。


 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。


 家財は焼け落ち、金銭は彼らが持ち出している。

 工事に取り掛かるだけの資金すら彼らにはない。

 仮にガワだけ取り繕ったとして、インテリアにまで気を回せるはずがない。


「ま、間違いございません……!」


 そうであってくれ。

 執事は必死に祈った。




 だが、現実は残酷だ。

 領主邸が近づくにつれ、執事の顔は青いを通り越して白くなっていく。


「どういうことザんしょねェ? 我輩の目には、男爵邸に見合った屋敷に見えるザんす」

「は、はは……本当で、ございますね」


 一週間前に焼け落ちたとは思えない。

 それどころか、新しく作り直したとしか思えないほどピカピカの領主邸が立っている。


「あんた、やっぱり嘘を吐いたザんすか? 我輩の意向にたてつくとはいい度胸ザんす」


 ボナステージ伯爵は不機嫌そうに、同席者に声をかけた。

 紺色の長髪の少女だ。


「オイ、出番ザんす。やるザんす」

「はい」


 切れ長の瞳の奥に潜む闇色をうごめかせ、双眸が彼をのぞき込む。


「あなたに私怨はございませんが、主様の命令なのでここで殺します。悪く思わないでください」

「ひっ、ま、待ってくれ! これは何かの間違いだ!」


 少女は彼の言葉に耳を貸さない。

 おもむろに抜刀すると、白銀の刀身が、彼の首筋向けて合わせられる。

 刀を最短距離で突き、首を貫こうと動き出す。


「やめてくれぇぇぇえぇぇ!」


 自らの死を確信した、その瞬間だった。


「……その声、もしやうちの元執事では?」


 首の皮をわずかに裂いたところで、刃筋がピタリと静止する。


「ボナステージ伯爵と存じます。私は新たに領主となりましたアーシュ・クロニクルです。このたびは、遠路はるばるご足労いただきましたこと、感謝の念に堪えません」


 ボナステージ伯爵が小さく舌打ちして首を振る。

 紺色の少女は黙して、刀身に飛び散った血をぬぐうと静かに納刀した。


 伯爵が馬車を降りて、迎えに上がった男と対面する。

 黒い髪の男だった。


「これはこれは、男爵殿。領主自らお出迎えいただけましたこと感謝申し上げるザんす」

「はっは、いや面目ない。抱えていた使用人たちが、こぞって他領に引き抜かれたばかりでございまして」


 男の言葉に伯爵は気をよくした。

 彼の嫌がらせは、間違いなく機能しているからだ。


「ヨーホッホ、それはそれは、さぞ大変ザんしょね」

「ええ、まあ、恥ずかしながら」


 伯爵は笑みをこらえるのに必死だった。


(さあ、言うザんす! 訪問日はまだ先のはずだと言うザんす!)


 外観は立派に整えてあるが、よく見れば焼け残った部分と、復元した部分で色味が異なる。


(愚図は指示通りに爆撃していたみたいザんすね! つまり、外観は整えられても、内装までは手が及んでいないと見たザんす!)


 相手は何が何でも、伯爵に一度引き返すよう申し出るだろう。

 だが、それを聞き入れるつもりはない。


(あー、楽しみザんす! 客を迎え入れる準備もできていない木端貴族の家に押し入り、嫌味を言うのは気持ちがいいザんす!)


 貴族いびりは気持ちがいい。

 はなから嫌味を言われ慣れ、卑屈になっている平民いびりでは得られない栄養がある。

 その瞬間を、いまかいまかと、ボナステージ伯爵は待ち構えていた。


「こんなところで立ち話もなんでしょう。ささ、どうぞお上がりください」

「は?」


 男爵の言葉は、あまりにも想定からかけ離れたものだった。


  ◇  ◇  ◇


「ど、どういうことザます⁉」


 領主邸内部に足を踏み入れたボナステージ伯爵が叫喚する。


「実は先日、火災に見舞われ、家財のことごとくが焼失してしまいましてね。新たにそろえ直したのですよ」


 男爵が得意げに答えたので、伯爵は目を見開かずにはいられなかった。


(ありえないザんしょ……こんな超一級調度品を、男爵風情がどうやって⁉)


 並ぶインテリアはことごとくが、値段もつけられないほどの代物だ。

 もし、多少の隠し財産があったとして、弱小貴族に買い揃えられるはずもない。


「スティアーナ、客人だ。お茶を」

「かしこまりました」


 そのうえ、見目麗しいメイドまで召し抱えているではないか。


 お茶は、まるでボナステージ伯爵が今日くることを察知していたかのように、出来立ての物がすぐ出てきた。


(どどど、どういうことザんす⁉)


 伯爵の混乱は止まらない。

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