不出来な私は婚約破棄?ええ、よろしくてよ。

椿谷あずる

不出来な私は婚約破棄?ええ、よろしくてよ。

 

「皆の者、聞いてくれ」


 それはある日のパーティ会場。

 来場者の視線を一気に集めるように、ひときわ目立った力強い声が辺り一帯に響いた。ざわざわとどよめく会場。視線が一点に集中した。


「もう一度言う、聞いてくれ」


 彼は凛とした表情で皆を見つめた。

 その一言には重みがある。


「大切な話だ」


 しんと静まりかえる場内。

 誰も彼もが目を離せない。


 けれど。

 けれど、その中で私は一人視線を背けた。


 だって誰であるかは見なくても分かっていたから。

 王太子。

 その声は、私の他愛ない人生史の中で唯一誇るべき婚約者、王太子のものだったのだから。


===


 記憶を少し遡る。


 私は元より出来の悪い女だった。

 何をやっても覚えが悪い。人が一瞬で覚えることも、私の手にかかればその五倍、いや十倍かかってしまう。そんな最悪な女。

 しかしそれでも愛嬌さえ良ければ少しはマシになっただろう。

 けれど残念なことに、私はそれさえも持ち合わせてはいなかった。

 無理してにこりと笑おうものなら、筋肉が拒絶反応をして醜悪な笑みを浮かべてしまっていた。

 もちろん容姿の美しさなんて論外。根暗な粘菌が地を這っているようなものを思い浮かべればいい。


 だからこそ、私の人生なんてものは、暖炉に焚べられて燃えているんだか燃えていないんだか分からない種火のように、地味に燻っていればよかったのだ。


 しかしあろうことか、現実はそんな私を認めてはくれなかった。


 王太子の婚約者。

 まるで完全創作の夢物語のような出来事が、私の身に降りかかったのである。


 あり得ない。

 真っ先にそう思った。

 しかし可能性というのは決してゼロにはならず、たとえ私であろうとも微かに与えられていたのだ。

 数多の選択肢の中から自身が選ばれるとは想定もしていなかった私は、その申し出を受けた時、嘔吐と下痢が止まらず二週間寝込んだ。何故こんな事に。



 結論から言おう。


 みんな死んだからである。


 彗星の如く突如現れた流行病によって、王太子の婚約者となるべき麗しの令嬢達はことごとく帰らぬ人となった。そうでもしなければ、見劣りしかしない粘菌女に王太子の婚約者なんていう大役がまわってくるはずもない。ああ、私の体が無駄に頑丈だったために……!



 ――皆の者、聞いてくれ。


 その言葉と彼の隣に立つ美しい女性を見た時、私は心臓が破裂しそうなほど気持ちが込み上げた。

 胸が張り裂けそうなのでははない。喜びに胸が躍ったのだ。

 『大切な話』と『美しい女性』、ならば導かれる答えは一つしか無い。


 婚約破棄だ。


 間違いない。

 何故なら私は、この分不相応な立場からなんとかして逃げ出そうと、古今東西あらゆる文献や噂を調べに調べたことがあるからだ。勉学が得意でない私がここまでやるのだから、よっぽどだと思ってもらいたい。

 それはさておき婚約破棄。

 資料によると、身分を超越し真に愛すべき相手を見つけた事により、これまで婚約していた相手との関係を解除するに至るもの、とあった。今の私は完全に後者。婚約破棄をされる側なのは言うまでもない。

 本当はもっと早くにこの展開が訪れてもよかったが、この王太子、変に真面目でちっともそんな素振り見せなかった。でもこれでようやく。ああよかった。若干相手が若い気もするけれど、好みは人それぞれ。別に私が口を出す問題じゃない。

 そんな事を考えていたら口元がにやりと歪んだ。


 ああ、いけない。


 私は咄嗟に下を向いた。

 けれど、その行為はものの数秒で無駄なものとなる。


「おい、フェリシアは何処だ」


 王太子が私の名を呼んだのだ。


「フェリシア」


 彼は私を見つけられずにいる。

 当然だ。

 広い会場。多くの来客。光が反射し、照り返す装飾たち。こんな賑やかな状況下で、華のない、はずれくじのような女をどうやったら見つけ出すことが出来ようか。絶対に不可能だ。

 婚約破棄は大いに嬉しい。

 けれど私は、今の状況が面白くて、もう少しだけ下を向いて肩を震わせた。


 今はまだ婚約者の肩書を持つ私だけれど、誰も私に気付くことはない。


 それはきっと、婚約を解消された後でも何も変わらない。


 私という存在一人には、何の違いもない。



「フェリシア、さっきから何をしているんだ。呼んだんだから、こちらに来なさい」


「え?」


 え。


「え、ではなく」


 恐る恐る意識を現実に戻すと、私の目には王太子の顔が映っていた。

 彼は私を、困ったような、呆れたような顔でじっと見つめていた。


 ……私、見つかってしまったの?


「あの、私」

「ほら早く」

「わ……」

「わ?」


 思いもよらない状況に、頭の中が混乱する。さっきまで、余裕を持っていたっていうのに。

 ああ、実際の私なんて、やっぱり駄目な存在だ。


「分かっていますわ!」


 声がうわずる。うわずって若干涙目になりながら必死に言葉を返す。


「分かっているって何が」

「こっ、ここ、婚約破棄でしょう?」

「婚約破棄?」

「そう! 不出来な私よりも、素敵な方を見つけたのでしょう? 分かっていますわ。ええ、いいわ、いいですとも、よろしくてよ。お望みどおり婚約破棄致しましょう」

「何を馬鹿な」

「そうですね、私は馬鹿な女です!」


 今までの中で一番多く言葉を交わした気がした。

 馬鹿だと思われたくなかったから、極力口数を減らしていたけど、これで最後だと思えば遠慮なく言葉が出てきた。


「それでは殿下、どうかお幸せに」


 そう言って私は、くるりと彼に背を向けた。


「おい、待つんだ」


 待つもんか。


「フェリシア!」


 ああ知らない。知らないったら知らない。


 後ろから呼び止める声を無視し、会場の外を数歩出て、そこで意識はプツリと途切れた。


===


「ううーん……」


 目が覚めると私はいつものベッドの上にいた。

 どうやら全て夢だったらしい。

 人騒がせな夢にも程がある。


「よく寝ていたみたいだな」

「で、殿下!?」


 声をかけてきた存在に私は驚愕した。

 夢と現実は地続きではないとはいえ、よりにもよって彼がこの場にいるとは思わなかったからだ。


「あ、あ……」


 言葉を失い王太子を見つめていると、奥の部屋から見覚えのある女性が一人顔を出した。


「よかった、目覚めたのですね」

「あああっ!」

「なんだその驚きようは。あと指をさすな」

「だ、だって……」


 だって彼女は私がさっき夢に見た、王太子の新たな婚約者その人だったのだ。


===


「夢の中で、私が新たな婚約者を迎えて、自分は婚約破棄されると思った?」

「……はい、そうです」


 あれから私は夢で見た話を洗いざらい話した。


「まず最初に言っておくと、それは夢じゃない」

「夢じゃない」


 私は彼の言葉をゆっくり噛み砕いた。

 夢ではない。つまり婚約破棄も新たな婚約者も現実に起こるということか。


「だが、事実でもない」

「????」


 事実……でもない?


 首を傾げた私を見つめ、彼は一つ大きく溜息をついた。


「この子は私の妹だ」

「い、妹?」

「ああ。色々と込み入った事情があってな、君を含め、公にはしていなかった。でもこの度それが解決したから、改めて紹介するという運びになったのだ。それをまさか……」

「私が誤解していたと?」

「そうだ……はあ」


 彼はそう言って頭を抱えた。


「今まで私が黙っていたのが悪かったとはいえ、普段あれほど冷静な君がこんな風になるなんて」

「ふふっ、それだけフェリシア様がお兄様を大切にしていたということでしょう」

「だといいが」


 俯いた彼に私は何も言葉がかけられなかった。

 こんな事実あまりにも想定外で対処の仕方が見つからなかったのだ。


「ですよね? フェリシア様」

「あ……ええと」


 ニコニコ顔の美少女が今度は私に問いかけた。

 私はというと。


「そ、そう……なりますかね」


 王太子さながら、私も同じように俯いた。




「ふふふっ似たもの夫婦として二人とも可愛らしいですわ。どうか末永くお幸せに」


 部屋に一人明るく楽しそうな声が響く。

 それは暖かな昼下がりのことだった。

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