第一一話 聖女の地獄


 それはあまりにも、異常な光景だった。


「く、ぅ……!」


 噛み締められた歯の間から、ナターシャが苦悶を漏らす。


 抑え込んだ目元からは、絶えず血涙が流れ落ち……


「ゼノス様ッ!」


 リスティーに一喝されたことで、俺はハッとなった。


 何をしてるんだ。


 俺は彼女の専属医だろう。


「で、殿下ッ!」


 本来であれば、ナタリアと呼ぶべき場面。

 だが、事ここに至り、そうした冷静な判断が出来るほどの余裕は、俺の中にない。


 慌てて彼女へ駆け寄り、目の状態を見る。


 血涙は止まった。

 しかし。


「ゼ、ゼノス、様……どちらに……?」


 目が、完全に、見えなくなっている。


 後天的な全盲。

 それ自体は誰にでも起き得る不幸だ。


 年齢を積み重ねれば、多くの人間は緑内障を患うことになるし、不摂生を積み重ねれば、糖尿病を発症した結果、目が見えなくなるといったこともある。


 だが。

 ナターシャの場合は、そうした真っ当な症状じゃない。


 いきなり眼球が破裂し、物理的に、全盲の状態になってしまった。


「殿下……! 難しいかもしれませんが、どうか、落ち着いてください……!」


 唐突に失明したナターシャ。

 だが、彼女は平然とした様子で。


「大丈夫、ですわ。わたくしには、貴方様が付いているのですから」


 この信頼には、必ず応えてみせる。

 俺は透過の魔法を用いて、ナターシャの眼球を観察した。


 ……なんだコレは。


 まるで、内側に潜んでいた何かが、大暴れしたかのような惨状。

 血管や網膜などがズタズタにされ、水晶体が大きく破損している。


 ……明らかに、異常だ。


 しかし不幸中の幸いか、この程度なら俺のスキルで治癒が出来る。


「《オール・エラー》……!」


 ナターシャの眼球へと極小生物を送り込み、細胞へと変換。

 それらを増殖することで、元の状態へと戻す。


「……いかがですか? ナターシャ様」


 果たして、こちらの問いかけに対し、彼女は。


「さすがですわ、ゼノス様。むしろ以前よりも、視力が上がったように感じます」


 ついさっきまで、重傷を負っていたというのに。

 彼女は平然と笑顔を作り、こちらへ感謝の意を示すと、


「……失礼いたしましたわ。さぁ、治療の続きをいたしましょう」


 ついさっきまで治してた相手へ、向き直る。

 まるで、何事もなかったかのように。


「…………!」


 俺は思い悩んだ。


 この人は、聖女なのか?

 それとも……狂人か?


 ……いや。

 そんなことはこの際、どうだっていい。


「ナターシャ……いや、ナタリア」


「はい。なんでございましょう」


 治療の最中ではあるが、しかしそれでもあえて、俺は問うた。


「貴女は一体……何を、抱えておられるのですか?」


 彼女はしばし沈黙し、患者を治し切った後。

 こちらを見て、一言。



「特に何も」



 ふざけるなと、そう叫びたかった。


 短い付き合いではあるが……俺はナターシャを、尊敬しているのだ。

 しかし、そんな彼女が口にした内容は、明らかな拒絶である。


 お前には何も関係ないと、ナターシャはそう言ったも同然だった。


「ッ…………!」


 無意識のうちに、拳を握り締め、彼女を睨む。


 されど。

 喉元まで迫り上がってきた怒声は、いつまで経っても、放たれることはなかった。


 ナターシャの顔に宿った悲哀が、そうさせなかったのだ。


「……ゼノス様」


 患者が去った後、ナターシャは言った。


「何も問うことなく……わたくしを、治し続けてくださいませ」


 きっと彼女は理解しているのだろう。

 自分の発言が、俺の心を苛むということを。


 だがそれでも、彼女は意を曲げることなく。

 むしろ。


 こちらの心を、ねじ曲げようとする。


「ゼノス様。わたくしにはもう、貴方様しか、居ないのです」


 ズルい人だと、心の底からそう思った。


 そんな、泣きそうな顔をして、言われたら。


「…………わかりました」


 そして。

 この日より、一週間後。


「く、ぁっ……!」


 今度はナターシャの四肢が、腐り堕ちた。


 俺は、そんな彼女の手足を、淡々と治し――


 また一週間後。


「うっ……!」


 ナターシャの美貌が、ドロドロと溶けて。

 腐った皮膚と肉片が、床に散乱する。


 俺は、それを、淡々と治し――


 また一週間後。


 また一週間後。


 また一週間後。


 また一週間後。


 また一週間後。
















 ――もはや、限界だった。


 何も知らぬまま、苦しむ彼女を見ているだけだなんて、もう耐えられない。


 だから俺は、家宅にて、ナターシャが眠りに就いたことを確認した後。


 イザベラの自室へ、足を運んだ。


「…………聞かせてください、イザベラさん。貴女は全てを知っているはずだ」


 この問いに対して、彼女は。


「君が、そう言ってくれる日を、待っていた」


 口止めされていたのだろう。

 だからこそ、自分からは言い出せなかったのだろう。


 しかし今、彼女は俺の要請を受けたことで。

 躊躇いなく、ナターシャの真実を口にした。



「――――殿下は、






 ~~~~あとがき~~~~


 ここまでお読みくださり、まことにありがとうございます!


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 今後の執筆・連載の大きな原動力となりますので、是非!

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