片面
足の踏み場がほぼなくなった床を歩く。
気を抜くと山になった配布物や教科書、
ペットボトルの山やら何やら
いろいろなものが崩れゆくから
気をつけなければならない。
カーテンを開いていないせいで
隙間から漏れる朝日が一直線だけ光さす。
簡単に朝風呂を済ませて化粧、髪のセットをし、
置き勉しているが故に
重みのない鞄を背負う。
箱買いしていた、
手軽にカロリーを取れるゼリーを食べていると
いつもの時間になっており、
インターホンがなった。
お隣さんはいつだって時間ぴったりにくる。
杏「んあーい、今出るー。」
と言ってからが長いと
この2、3ヶ月の間にバレているようで、
容赦なく再度インターホンを鳴らしてきた。
今日ばかりは運良く間に合いそうで
2回目にして堂々と扉を開く。
目の前の隣人は目を丸くしていた。
一叶は相変わらず時間通りに
いつもの制服、いつもの髪型で
うちの家の前に立っている。
一叶「おはよう。早いね。」
杏「でしょ。いつも早いけど。」
一叶「いいや。そんなことはないね。いつもは10分くらい待ってる。」
杏「10分で済んでんのすごくなーい?」
一叶「きちんと時間に来る方が素晴らしいよ。」
杏「いやいや、集合時間だんだん早めてるの一叶でしょ。」
一叶「元の集合時間からさらに10分、15分待ったら遅刻しちゃうからね。」
杏「元の時間だったらうち遅れてないからー。」
一叶「遅れてたから前倒ししてるんだよ。私は覚えてるからね。」
杏「ひぃ、こわー。そのー…あの説はほんとに…えぇ。」
一叶「成山に入ってるから勉強はできるんだと思えば私生活がぼろぼろだったのは意外だったよ。いい意味でギャップあるよね。いい意味で。」
杏「念押しやめろやめろ。絶対いい意味じゃないし。」
そう言いながら最寄りの駅まで歩く。
駅からは学校が違う関係で
方向も別になってしまう。
朝のちょっとした楽しみは
登校早々に途絶される。
杏「そういう一叶こそ意外とちゃんとしてるよね。無頓着でいろんなことに興味とかなさそうなのに、きっちりしてたり数学だっけ?理系強いし。」
一叶「テンション感があまり変わらないから冷静そうに見えるだけじゃない?きっちりしてると言えば蒼の方がしっくりくるよ。」
杏「まあそうだけど、蒼みたいって思う時あるくらいには一叶もそこそこだよ。あー、いいなー。2人同じ学校って。」
一叶「案外話さないよ。登校も別だし。」
杏「一緒には行かないの?」
一叶「親しくてもずっと一緒にいたいって感じじゃないんだろうね。1人の時間が欲しいとか話題が飽きるとか考えられそうだけど、あの子に限っては非効率の一点だと思うよ。」
杏「非効率かー。うちにはぜんっぜんわかんない。」
一叶「非効率というよりかは不必要の方が近いかな。その考えもわからなくもないけれど。」
杏「え?え?じゃあうちとの会話全部いらないって!?」
一叶「そうは言ってないよ。私自身、会話自体は嫌いじゃないからね。」
杏「何その含んだ言い方はー。うちは人といる方がいいな。なんか、こう…安心するじゃん?」
一叶「安心?」
杏「そ!なんで言えばいいのかわからないけど、今は大丈夫だ、みたいな感じになんね?」
一叶「あまり。」
杏「マジかー。」
一叶「だからしょっちゅう私の家に入るの?」
杏「それもある。し、一叶だからいいかなー、みたいな。」
一叶「舐めてる的な。」
杏「いいやいいや、親しみを込めてね?現に1人でいるより一叶といた方が楽しいし。」
一叶「特に会話してない時間も長いのにね。」
杏「だからー、そういう時間もいいのってー。そこに人がいるって知ってるだけで案外落ち着くもんなのー。」
一叶「そうなんだ。まあ、なんでもいいけど。」
杏「これからまた一叶の家に行っても?」
一叶「それはご自由に。」
杏「よっしゃー。」
一叶「杏ってよく家に行ってもいいって聞くよね。」
杏「そりゃね。来てほしくもないのに来てるとか互いに良くないじゃん?」
一叶「へえ。そこのところ無神経そうなのに。」
杏「ひどー。うちだって傷つくんですけどー。」
一叶はくすりと笑いながら
もう他の話題を上げており、
ほいほいとつられて話の舵を切る。
昨日の大雨から一転、
水溜りはまだあるものの
随分と歩きやすくなっており、
昨日が信じられないほどの
天気の良さに躊躇いを覚えた。
やがて駅に着き、一叶に手を振って
別々の電車に乗る。
そして学校に着いては教室に向かい、
いつも一緒にいるグループの人たちに
話しかけに行く。
それがうちの生活。
なんら変わらないうちの。
ああ、中学生の時はどうだっけ。
授業が始まり、暇つぶしにと考え事をする。
時々ペン回しをして、
板書しながら頭を回す。
中学生の時も友達とそこそこ
仲良くしていた気はする。
そこそこ、であって
ちゃんと仲が良かったかと言われると
少々危ういけれど、
それは自分のせいだった。
気をつけていれば大丈夫なはずだ。
前回の間違いをまた繰り返さないよう、
このままのらりくらり、
へらへらしていればそれで。
放課後になると、
既に期末テストに向けて
勉強している人たちがいた。
成山は3学期生のため試験が多い。
その分、成績が返される回数も多く、
見直すきっかけになるのは利点だが、
テストが多いのは純粋に体力が持たない。
部活もして、バイトもしてという人たちは
一体いつ勉強しているのだろう。
そんなことを思いながら
クラスメイトに手を振って教室を出る。
廊下を歩いていると
普段関わらない、
名前すら知らない人とわんさかとすれ違う。
もしかしたら、今年4月から始まった
訳のわからない出来事がなければ、
同じ高校のいろは、湊、彼方、詩柚も
赤の他人のままだったろう。
とは言え、あの出来事以来
あのメンバーとはあまり関わっていない。
同じグループでない限り、
同じクラスでない限り、
同じ学年でない限り、
そもそも用がない限り
話しかけに行こうとは思わなかった。
だからこそ、皆がそれぞれ
どう過ごしているのかもわからなかった。
靴箱に向かう間、
いつもは目に入らないはずの
美術室が視界に飛び込んできた。
そう言えば学校に閉じ込められていた間、
いろはだったか、ずっと美術室に
入り浸っていた気がする。
ふたつ結びで穏やかな目をした
彼女の姿が朧げながら浮かぶ。
稀にしかすれ違わない上
会っても会釈程度しかしていないため、
絵が好きなんだろうな、程度の印象しかない。
徐に美術室を覗く。
すると、わいわいと声が聞こえてきて
美術室には何人かの生徒がいるのが見えた。
描いている…というよりは
まだ集まりたてなのだろう、
準備をしながら談笑しているようで、
その中にいろはの姿はなかった。
戻ろうと思ったその時、
もう片方の美術室に目が向く。
覗いてみると、そこには4月同様、
机にうつ伏せている姿があった。
ずっと眠っているのだろうかと
気が向いて美術室の扉に手をかける。
ゆっくり開いたつもりが音が出ては
彼女はのそ、と顔を上げた。
いろは「あれ?珍しいー。」
杏「そうかも。久しぶり。」
いろは「どうしたの?何か提出物でもあったの?」
杏「いーや、気まぐれ。適当に来ただけ。」
いろは「そっかー。」
いろははそう言うと
興味なさげに、はたまた自分の役割は
終えたと言わんばかりに
また顔をこてんと机につけた。
今度は腕の中に顔を埋めず、
窓のある方へと顔を向けているらしい。
思えばいろはと話した記憶は
ほぼないに等しかった。
話したとは言え主に皆と集まっている間のみ。
同級生だと言うのに
ろくに挨拶も交わしてこなかった。
無意識のうちにうちといろはは
タイプの違う人間で、
関わることはないと思っていたのかも知れない。
話したことがあまりないせいで、
勢いに任せて美術室に入ったものの
既に気まずい空気が流れていた。
このまますぐに退室するのもどうかと思い、
いろはのうつ伏せる隣の机から
椅子を引いて座った。
杏「…。」
いろは「…。」
杏「あのさ。」
いろは「うんー。」
杏「…そうだな、最近どう?」
いろは「最近?特に何もないかなー。」
杏「そうなんだ…。でも、ほら。彼方と仲良かったってTwitterで言ってなかったっけ。」
いろは「うーん、明言した記憶はあんまりないけど…多分彼方ちゃんがいなくなった時、私の方に連絡の矢印が向いたからそう思ったんじゃないかな?」
杏「あー…じゃあ別に関わりない感じ?」
いろは「ううん、ちゃんとあるよ。大丈夫、大丈夫ー。」
何が大丈夫なのかわからなかったが、
いろははうちのいる方とは
反対側に顔を向けたまま
こちらに向かって指の曲がったピースをした。
いろは「巻き込まれたみんなの中だと、もしかしたら1番会ってる人だったかもー。」
杏「その、さ。悲しくないの?」
いろは「寂しいは寂しいよ。戻ってきて欲しいとも思うよ。」
杏「一応そうは思ってたんだ。」
いろは「でも、本人が望むならだねー。」
杏「え…?」
いろは「本人がまだ生きていると当たり前のように仮定しているけれど、まあそれはいいとして。もし今ここじゃない場所で穏やかに過ごせているのなら、無理やり連れて帰るようなことはできないよー。」
杏「いやいや、戻った方がいいでしょ。だって周りの人とか…心配するし。うちだって心配だし、彼方のこと似てるってちょっと思ったから…仲良くなれるって思ったし。」
いろは「互いのエゴだよねー。」
杏「エゴ?」
いろは「そう。こうあって欲しいってものを無自覚のうちに押し付けちゃうの。」
いろははテンション感の変わらないまま
そう言っていた。
寂しげもなく、かと言ってもちろん喜楽もなく。
彼方に対していろはは
ただ本人の思うままに自由にあれ、と
思っているのかも知れない。
対してうちは戻ってくる、
連れ戻すのが普通で、
皆だって喜ぶと思っているのだろう。
杏「それでもうちは戻ってきて欲しいよ。念の為聞くけど、彼方のこと嫌いなわけじゃないんだよね?」
いろは「うん。」
杏「好き?」
いろは「好きかどうかで聞かれると、誰に対しても普通って答えちゃうな。好きかどうかと大切かどうかって私の中で違うからー。」
杏「好きだと大切になるもんじゃないの?大切だから好きはなんか違う気がするし。好きが募っていずれ何にも変え難い大切な人に…」
自分で何言ってるんだ、と思い
言葉半ばで口を止める。
こんなの、普段仲良くしている
グループの人らの前で言ったなら
どっと引かれるか笑われるだろう。
うちはそういうキャラじゃないから。
けれど、いろははまるで
当たり前のことのように
笑いも否定もせず
ただただ息を吸って吐いた。
いろは「そっかー。そういう考え方もあるんだー。」
杏「…好きと大切が別って初めて聞いたかも。好きと愛の違いとかは聞くけど。それともまた違うんだよね?」
いろは「うんー。」
杏「はは、変なの。もちろんいい意味で。周りにいなかったから、こういうタイプの人。」
いろは「そう?…とにかく、彼方ちゃんのことに関しては何か動きがあったり、解決したりするといいねー。」
杏「うん。うちもそれを願ってる。」
それからしばらく、
授業の話や私生活の話を少しだけした。
長居するつもりもなく、
ほんの少しだけと思っていたのだが、
気づけば30分ほど経っていた。
いろはは会話が続かない
無口な人かと思っていたが、
話しかければほろほろと
自分の考えや感想、相槌を返してくれる。
ちゃんと話してみれば
面白い人だと思った。
そろそろ帰る、と伝えると
いろはは顔を上げて「はーい」と
目を細めて言った。
杏「また暇だったらくるかも。」
いろは「わかった。私は大体いつでもここにいるよー。」
それを心の底からすごいと思った。
うちは1箇所にとどまれず、
いや、止まらないようにと
ふらふら様々な場所に足を運んでいるから。
だからだろう。
どれだけ話そうと根の位置が違ううちらだから、
どうにもいろはの本心はわからなかった。
事なかれ主義でなあなあな意見を
述べているわけでもない。
が、どうにも実態のない
お化けのような感覚がしていた。
感情表現やテンションの上げ下げが
乏しいからと言えばそうかも知れないが、
まだまだ彼女のことは
知らないことだらけだと思わざるを得なかった。
美術室を静かに後にする。
扉越しに手を振った。
雨休み 終
雨休み PROJECT:DATE 公式 @PROJECTDATE2021
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