雨休み

PROJECT:DATE 公式

迷宮

蝉が鳴き出すのではないかと思ってしまうほど

気温の高く湿気の多い日が続く。

まだ梅雨にもなっていないのに、

明日には30℃を超えるとの

予報が出ているらしい。

廊下を通る間に教室を覗く。

教室内では教科書や稀に下敷きで

仰いでいる人が何人も見受けられた。


古夏「…。」


ちょうど明日から中間試験とのこともあり、

勉強している人も何人もいる。

誰かの机の下に寄って話す人も

最近ではテストの話題が多い。

高校三年生のこの季節だ、

その話題の傾向にも納得がいく。


そうだ。

もう高校3年生なのだ。

誕生日もとっくのとうに過ぎている。

18歳だ。

もう大人だ。

そんな自分が信じられなかった。

まだずっと子供のままで止まっている。

成長していない。

勉強は小学生の頃に比べれば

些か難しい問題もできるようになった。

しかし、人間としては全くだった。

その場で立ち止まり続けている。


教室の床面積ほどの大きさの沼に

足を取られたまま立ち尽くし、

その場で助けを呼ぶこともせず

ただただ時間を過ごした。

沼が勝手に蒸発するとでも

思っていたのだろうか。

周囲には木々が方々に伸び、

一寸先は闇が広がっている。

ある一方、遠く、遠くから

木々の合間を縫って光がちらつく。

その光を、私はどうしたろう。

その光から身を隠すように

より沼に潜ろうとしてしまったのだと思う。

自分が惨めで見られたくなかったのか、

真っ暗な中の光という存在が怖かったのか。

どちらにせよ、反射的だったとはいえ

拒んでしまったことに変わりはない。


助けてあげる、と手を伸ばされた時

一体どうすればよかったのだろう。

何度かあったのだ。

何度もあったのだ。

藍崎さんに私の過去について情報を集め

声を失ってしまった謎を解こうと言われた時。

藍崎さんに遊びに誘ってもらった時。

園部さんに声をかけられた時。

もっと昔にもあった。

お姉ちゃんが…あれ。

お姉ちゃんが、何だっけ。

他にもまだあった。

あったはずだ。

助けてもらえそうな時があったはずだった。

それも覚えていない。

覚えていられないほどに捨ててきた。


古夏「…。」


今の私は何を持っており、

何を選ぶことができるのだろう。

そんなことを考えていると、

授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。


1日というものは泡のように儚く

すぐに過ぎ去ってしまう。

今日も授業を受けて、

帰る頃には15時を回っていた。

放課後になり、勉強のために教室に残る人、

友達と談笑しながら帰る人を横目に

自身も帰る準備をする。

テスト期間前のため部活もない。

皆制服のままであることが

不思議と違和感になっていると気づく。

ふと、視界の隅で園部さんを捉えた。

最近暑いからか、時折艶やかな髪の毛を

上の方でひとつにまとめていた。

束になった髪の毛が揺らぐ。

そのまま誰と話すこともなく

静かに教室から抜け出した。


古夏「…。」


園部さんとは…藍崎さんともだけれど…

5月の中旬…調査をやめたあたりから

あまり話さなくなっていた。

それまでの生活に戻ったといえばその通りだ。

2人とも決まって私に

用事があるわけではない。

園部さんはそれ以降1度

「藍崎さんから何もされてないか」と

聞かれたことはあったけど、それっきり。

元より私たちは関わらないはずだった。

だから当然といえば当然なのだ。


けれど、今日ばかりは何故か目に留まった。

園部さんの後ろ姿が

やけに脳裏にこびりつく。

思わずその場を立ち、

音を立てないようにと彼女の背を追った。


ストーカーまがいのことをして

どうにかなるわけでもない。

自分が何故こうしているのかも

理由がてんでわからない。

もしかしたら、この不明瞭な感覚を

園部さんならわかってくれると

思ったのかもしれない。

感覚を共有できずとも、

この靄を晴らす手法が

わかるかもしれないと感じてしまったのだろうか。


昇降口近くの階段を降りたところで、

足音に気づいたのか、

不意に彼女が振り返った。

踊り場にいたままの私と見上げる園部さん。

ぱ、と目が合う。

急なことに背がのび、

続けて丸まって俯く。


蒼「…?」


古夏「…。」


蒼「どうかしたの?」


古夏「…。」


蒼「私に用事かしら?」


古夏「…。」


これと言って用事があるわけでもない。

何もないのに勝手に背を追い、

気づかれては気まずくなって

その場で固まっているだけ。


じっとしていると、

「降りていらっしゃい」と声がした。

園部さんのことだし

理不尽に怒ることはしないだろうが、

常の冷静が声に表れていて

とても冷たく感じてしまう。

恐る恐る降りると、

はあ、とため息を吐かれた。


蒼「また藍崎さんが何かしたのかしら。」


古夏「…!」


違う。

そういうわけではないし、

先月ほどちゃんと話した日もあまりない。

そう伝えられる術がなく、

ただ首を振った。


蒼「そう。話があるのかしら?」


古夏「…。」


蒼「…。」


古夏「…。」


蒼「じゃあ、私が聞きたいことがあるからついてきてちょうだい。」


古夏「…!」


でも。

そう思って袖を引こうと手を伸ばすも

園部さんは1歩進んでしまう。


蒼「明日は試験なのよ。ここで時間を無駄にしても仕方ないわ。」


古夏「…。」


蒼「それに、筆談なのであれば机は必要でしょう。食堂…は騒がしいでしょうし、職員室前の自習スペースでいいわね?」


古夏「…。」


テキパキと決めては私に視線を

送ることもなく前を歩んだ。

藍崎さんとは全く違った背中だった。

藍崎さんは隣を歩くようだった。

隣を歩き、しょっちゅう前へと突っ走る。

けれど、時折後ろを振り返るのだ。

園部さんはその逆だ。

常に前を歩き、後ろを振り向かない人だった。

信頼性と親密性の違いを目の前にするようで、

自然と2人は相反する形に見えていた。


自習スペースにはぱらぱらと人がおり、

明日からの試験のために

ペンを走らせる音が響いていた。

友人と勉強している人もいるようで、

ひそひそと話し声がする時もあった。

そのうちのひとつの席に対面するように座り、

園部さんは時間を無駄にすることなく

すぐに教科書や問題集を取り出した。

そして、まっさらなルーズリーフを取り出し、

私の方へと渡してくれた。


蒼「話しづらいなら初めに質問するけれど。」


古夏「…。」


話しづらいも何も

理由もわからずつけてきただけなので

話題もこれ一つとしてないのだ。

小さく頷き、この空間に馴染むようにと

勉強道具を取り出した。


蒼「わかったわ。まず…そうね。藍崎さんとあれから何か話でもしたのかしら。」


突然なことで、慌ててペンを取りだす。

そして渡してもらった紙に文字を綴り、

勉強を始めて少しした彼女にそっと渡す。

すると、手を止めて目を左右に動かした。


古夏『挨拶をすることはありましたが、ちゃんとお話はできていないです。』


蒼「そう。ネットでも調査はやめると言っていたし、あの一件は一旦終わったようね。」


古夏『あの時はすみませんでした。』


蒼「あなたが謝ることはないでしょう。どうせ藍崎さんに連れられて来たのだろうことは目に見えるもの。それに、当時も言ったけれど、その時の現状を目の当たりにして口を出さずにはいられなかっただけよ。藍崎さんのやり方は間違っているわ。」


古夏「…。」


間違っている、と断言してしまうのも

億劫だったけれど、

どうやら園部さんはそうではないらしい。

どう生きたらこうも自分軸を持って

考えられるのだろうと思っていると、

「ところで」と彼女が口を開いた。


蒼「私もあまりネットでは発言していないけれど…古夏は全くしていないわよね?それは何か理由があるのかしら。」


古夏『誰かから聞いてくるように言われましたか。』


蒼「いいえ、ただの興味よ。4月から黙秘を貫いているのはあなただけだもの。」


古夏『不必要なことは話さなくてもいいと思っています。』


蒼「同感ね。」


古夏『火のないところに煙は立たないと言いますが、火のないところにも煙が立つことはあると思います。』


蒼「全てはその人の言動から成り立つものでしょう。本人がしっかりしていれば煙は立たないわ。」


古夏『もし、悪意のある人がいたらどうでしょうか。』


蒼「なるほど。つまりあなたが言いたいのは、自分の言動が悪い場合には火のないところに煙は立たない。自分がちゃんとしていても悪意を持った他者が関係すると、火のないところにも煙が立つということかしら。」


深く、ゆっくり頷く。

たとえどれだけ善く生きていた時でも

自分を嫌う人は出てくる。

よく20%の他者からはよく好かれ、

60%からはどちらでもなく、

さらに20%の人からは嫌われる

というものがあり、262の法則と言われる。

好かれやすい人、

嫌われやすい人はいるが、

一定数いる自分を嫌う人がいるのは仕方ない。

どれほど言動に気をつけようと

2割は悪意を持つ。


それは現実世界でも、ネットの世界でも同様だ。

どれだけ気をつけようと

嫌い、あらぬ噂を立てる人はいる。

自分だけならまだしも、

家族や友人に関してまで

憶測でものを語る人がいる。

それに。





°°°°°





蒼「ある人からのリプライで、藍崎さんに対して古夏の反応が気になる…といったニュアンスのことを書いていた人がいたの。けれどそれっておかしいでしょう。」


七「何が?」


蒼「古夏は最近特にツイートしていない。藍崎さんから入る古夏の情報は、あなたのことだから古夏視点のものとまるっきり違うでしょう?じゃあ一体何を見た上で古夏の反応が気になると書いたのか。過去のツイートを見たって人格そのものを高解像度で想像することは不可能に近い。」



---



蒼「藍崎さんが古夏のことを振り回しているからの止めるようTwitterで言われていたの。それが事実とは限らないし、客観的に見て彼らの言うとおりにすることで悪しき事態になる可能性を完全に否定できないから手助けしないと伝えたわ。けど、現状を目の当たりにした上で無視するのは違うわね。」





°°°°°





既にTwitterでは私を取り巻く

近況について議論やツイートされていたらしい。

ならば、私のことについて

話されていたっておかしくない。

薬物に関して言われていたっておかしくない。

それは、とても怖い。

私には覚えがないからだ。

気づけば薬物に関与したと批判、

揶揄されるようになった。

ひそひそと話す人の声が、

まるで自分のことを噂しているようで怖かった。

ただ、自分ならまだしも、

それがお姉ちゃん達のことにまで飛び火し、

一家で薬物に関与していたなんて言われた時には

私はどうすればいいのだろう。


もし何かしらがあって

発言しても怖くないと思えるようなことがあれば

きっと私の考えも変わるだろう。

4月より前の…これまでのように

映画のことでもツイートしただろう。

しかし、あのアカウントと根岸古夏という存在が

完全に同一のものだと知られてしまった今、

あのアカウントから発せられるものは

元々のアカウント名である「こえ」ではなく

「根岸古夏」のものとなる。

匿名というネットの鎧などないのだ。


そう。

たまたま今回のことで発言していいと

思えることはなかった。

それだけだった。



園部さんは1度手を止め、

しかしペンを握ったまま

問題集を眺め続けた。


蒼「…そうね。あなたは過去が過去だし、そう思うのも仕方ないわね。ツイートしないことだって少し考えればわかることだったわ。ごめんなさい。」


古夏「…。」


蒼「じゃあ次。続けて似たような話で恐縮なのだけれど、声を取り戻すことは過剰にしろ、もしも真実とやらを知れるとしたら知りたかったのかしら?あの時は答えを出さなかったけれど、今ではどうなのかしらと気になったのよ。」


古夏『今でも答えは出ていません。』


蒼「そう。知りたいと言った手前、藍崎さんが目の前にいれば止まらないでしょうし、いくら知りたかったとしても一概に首を縦に触れないのは理解できるわ。」


古夏「…。」


蒼「けれど、嫌とも言い切らないのね。」


古夏『覚えていないことなので、少しだけ知りたい気持ちはありました。』


蒼「知りたいのなら、それを拒む理由なんてあるのかしら。それが今のあなたの言葉なら答えは出ているでしょうに。」


古夏「…。」


蒼「それとも、あえて答えを出さないのかしら。」


古夏「…!」


蒼「どちらでもいいけれど、どちらにせよこの先私には関係のないことだわ。たとえ藍崎さんのいうように調査がうまくいって、世に知られていない真実が暴かれ、もし何かの拍子に出回ったとしても、私には関係ないもの。」


園部さんはそう言い切って

また問題集へと向かう。

それから数分間

何も書けないまま、

問われないままの状況から

もう話は終わったのだと悟った。


時折考えてしまう。

もしもあの時ああしていれば、と。

考えるだけ無駄だとわかっているし、

無駄であるからこそ諦めることで救われる。

それなのに、どうしても空想に耽ってしまう。

例えば、もしも子役を辞めずに続けていたら。

薬物関連の話題が取り上げられていなかったら。

私がちゃんと覚えていたら。

藍崎さんと探検に行っていたら。

藍崎さんの調査が続いていたら。

続けていたら。


もしも。

声が出せたなら。


古夏「…。」


でも、もう過ぎた話だ。

諦めるべきだ。

私の一存で決めるべきだと言うなら、

きっと私はいつまでも答えを出さない。

私にとって諦めることは正義だ。

正しいことでしかない。


しかし、思い出したい気持ちも

また声を出したい気持ちも、

あわよくばまた演劇をしたい気持ちも

どこかで蕾のまま凍っている気がする。

それを無視したい。

なのに、どうしても視界の隅でちらつく。

まるで家族を殺せるかと

銃を構え続けているようだった。


撃てない。

撃てなかった。


だから、愚かなことに諦めもつかず

共存とはいえない

依存的な感情の傾きを抱えている。


そのバランスは先月、少しばかり揺らいだ。

藍崎さんが無理やり私を引っ張って

調査に行ったり話をしたりしてきたから。

やってることは無茶苦茶だと思った。

けれど、もしかしたら、と。

この子なら、と思ってしまったのも確かだった。

彼女は猪突猛進でただ真っ直ぐ、

ひたすら真っ直ぐに行動した。

わかっている。

全ては私の声を取り戻すためだって。

光のようだった。

眩しい。

近くにいることが怖くなるくらい

彼女は輝いているように見えた。


けれど、どんな心境の変化か、

園部さんと私と3人で話をして以降

調査をやめてしまった。

終わったのだ。

これは一旦終わりなどではなく、

完全に今後このことには

関わらないと言った終わりのように感じた。

過去のことは過去のこと。

私も答えを出さない。

もう私自身でさえも知る由はないだろう。


それでいい。

何度も言い聞かせた。

これまでの数年間と似た生活が

今後も続いていくだけだから。

そう思えば何も怖くない。


また日々が続くだけ。

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