傲慢な兄王子を優しい弟王子が倒した御伽噺

沈丁花

第1話

やあ、見ない顔だね。そもそもこの辺りに人は滅多に来ないのだけれど。色々な場所の様々な話を集めて旅を? それは素敵だ。ここかい? ここは、ある尊い方の墓だよ。私は墓守さ、ずっとここにいる。

話を集めてるなら、この話は聞いたかな。傲慢な兄王子を優しい弟王子が倒した御伽噺。聞きたいのかい。そうか、じゃあ、聞いてくれるかな。墓守の語りでは、退屈してしまうかもしれないけれど。





ここは昔はたいそう豊かな国で、旅人たちや貿易の要所として栄えていた。

とある時代、王子がふたりいた。兄王子のマークス、弟王子のダニエル。マークス王子は外交と武芸に長け、ダニエル王子は民にとても好かれて国民の声をよく聞いていた。ふたりとも優秀な上に眉目秀麗で、お互いを褒めあっていた。

弟王子は「マークス兄さんは陽光を切り取ったような美しい金の髪が諸国の姫君たちの心を掴んで離さず、他の国から縁談の話が絶えない。私の兄はとても優秀で美しい」と。

兄王子は「弟のダニエルは艶のある美しい黒い髪で、誠実で真面目な人柄に惹かれる者が多い。私の弟はとても優秀で美しい」と。

兄がよく晴れた真昼の太陽ならば、弟は静かに月が昇る夜だった。


だから王と王妃が早逝されても国民たちは「王子たちがいるから国は大丈夫だ」と口にした。

事実ふたりはとても仲が良く、お互いの長所を認め合い協力して国を治めていた。



ダニエル王子には、兄とは別に心から信頼している人間がいた。厩舎係の優しい青年、ケビン。共に馬好きだということで気が合い、子どもの頃からよく一緒に遊んでいた。しかし身分違いゆえ、もちろん王や王妃、兄のマークス王子からはあまりよく思われていなかった。

だが、ダニエル王子にはそんなことは関係なかった。王子という立場では、国交関係なく遊べる相手というのはとても貴重だった。よく両親の目を盗んで遠乗りに行ったり、熟した木の実を採ろうと木に登って落ちたり、裸足で川に入ってみたり、時には追ってきた城の衛兵の目を躱すために市場でかくまってもらったり。

バレれば怒られるが、両陛下もダニエル王子の気持ちは分かっていた。それゆえ、厩舎係の青年との関係を完全に壊すことまではしなかった。

だが強く「我ら王族に女神の血が流れていることは、ゆめゆめ忘れることのないように」と何度も何度も言い含められた。

そしてマークス王子には「王族である最低限を守るのだ。父上も母上もお許しになっているが、現状を私は賛成しない」と何度もきつく言われていた。



ある日、ケビンは言う。

「女神様を始祖とする王族のダニエル様が、ただの厩舎係の僕とこんなに仲良くしてもらえるなんて夢みたいです。マークス様には嫌われちゃってるけど。せっかく仲の良いご兄弟なのに、おふたりに申し訳ないです」

ダニエル王子は兄とは対称的な艶のある黒い髪をいじりながら返した。

「きちんとした記録も残っていない何百年も前の話だから伝承のようなものだ。もし本当であっても女神様の血なんてとうの昔に薄まって、いまの私たちはただの人だよ。実際、女神様の加護が顕現したなんて話は聞いたことがないからね。兄さんもああは言ってるけれど聡明な方だから、ケビンと私の関係の尊さを分かってくださるはずだ」


「国に伝わる伝承」にある女神様は時間を司るお方だったそうだ。この国の王族の始祖である人間と恋に落ち、国の礎を創った。そしてこう言い残した。

「この先、我々の子孫の中に私の力を扱えるほどの者が産まれたのなら、その者は私の夫のように優秀で美しく、王となるべき者。私の加護と永い繁栄を与えましょう」


ダニエル王子は、国に伝わる伝承を口にしたあと、さらに続けた。

「もし、女神様の言う通りにそんな人間が産まれているのだとしたら、それは兄さんだと思うのだけれど、どうだろう」

ケビンはその問いに、笑って首肯を返した。

「私は兄さんを手伝って、国を守っていきたい。兄さんの戴冠式は来月だし、それに不満もない。ケビン、馬たちをピカピカに磨いておくれよ」

「もちろんです。あの子たちもなんとなく浮き足立ってるんですよ。すごい事が始まるのが分かるんですね。僕はダニエル様を手伝えるなら喜んで働きます」


ダニエル王子は、素直で明るいケビンを本当に大切に思っていた。ケビンも、優しく誠実なダニエル王子を同じく大切に思っていた。

だから、ふたりは自分たちの持ち物をひとつ交換することにした。ダニエル王子は昔から愛用していた短剣を、ケビンは城で働くことが決まったときにお守りとして持ってきた蝶のブローチを。

「僕はこんなに大切な短剣をいただけるのですか」

「何を言ってるんだ。蝶はとても縁起が良いだろう」

ふたりは顔を見合わせると笑って、今日から一番の宝になるものをお互いに大切に抱え込んだ。


しかしマークス王子がそのことを知ったとき、たいそうお怒りになった。

「王族であることを守れと言ったはずだ。互いの物を交換し宝とするなど、王子と厩舎係で行って良いわけがない」

ダニエル王子は言い返した。

「いいえ、兄さん。ケビンと私は対等です。彼といるとき、私は心から笑えるのです。どうして分かってくださらないのですか」

マークス王子はそんな弟を一瞥すると、

「お前はもっと賢い弟だと思っていた」

そう言い放ち、その場を立ち去った。


仲の良かった兄弟王子は、次第に言葉を交わすことが少なくなっていった。


そしてダニエル王子はマークス王子の命令でケビンと会うことを禁じられた。何度抗議しても許されず、厩舎係を外されたケビンがどこにいるのかも教えられなかった。

城仕えの者たちも、次期国王のマークス王子からの緘口令のために誰もケビンについて触れなかった。

ダニエル王子からは日を追うごとに明るく優しかった笑顔が消え、街に行くことも無く、部下たちとも口をきかなくなった。




次期国王の戴冠式が間近になり、街も祝賀ムードで溢れ始めた頃、ダニエル王子により大きな異変が起きた。


少し前ならば兄弟で仲良く食卓を囲んでいたはずの昼食。最近は何にも気力が湧かず、ふとグラスを落として割ってしまった。

「しまった、母上のお気に入りだったのに」と呟いて手を伸ばす。メイドが「危ないですから片付けは我々が」と制しようとした時、グラスの破片がひとつずつ浮き上がり、目の前でカチカチと音を立てて組みあがった。ダニエル王子とメイドがいま視界に入れているグラスは、確かに先程割れた、王妃お気に入りのグラスだ。しかし、いまはヒビひとつ入っていない。


「これは……まさか……」

ダニエル王子は驚いているメイドを押しやって席を立ち、自分の部屋へと走った。そして飾ってある花瓶の花に手を近付けると、願った。

「枯れろ」

花はみるみるうちに枯れていった。

そして再び願った。

「咲け」

花はみるみるうちに美しく咲き戻った。

ダニエル王子はそれを他の装飾品や家具で何度も試し、確信した。

「時間を操れる……女神の加護だ」

それならば。伝承の通りならば。



宝石箱の奥に隠していた蝶のブローチを掴み、走った。向かうのは兄の部屋。この時間、自分と食事を共にしなくなった兄はいつも自室で食事を摂る。

話をつけなくては。自分が王になれるのならば、ケビンを取り返せる。

ああ、いつから兄は、あんなに傲慢な人になってしまったんだろう。


ダニエル王子は、ちょうど自室から出てきたマークス王子の目の前で廊下の壺を叩き割り、加護で壺を元通りにしてみせた。マークス王子は口元を手で覆った。

「私に女神の加護が顕現しました。国に伝わる伝承の通り、王になるのは私です。兄さん、王位を譲り、ケビンを返してください」

そんな弟王子の言葉を聞くと、兄王子は白黒させていた目に気力を戻して「ならん」と言った。

「王になるのは私だ。いくら伝承とはいえ、今のお前に王位を譲るつもりはない」

冷たく言い放った兄の言葉は、ダニエル王子の脆くなった心を砕いた。

「兄さんは、王族であるのに国の伝承を破るつもりですか」

「くどいぞ。お前は何も分かっていない」


睨みつけた弟の目に、兄の部屋の奥にある自分の短剣が映った。

あれは私が、ケビンに、蝶のブローチと。



気付けば、兄は居なくなっていた。足元にあるのは白い灰。敬愛する兄だった灰。

ダニエル王子は、その灰を城から離れた丘の上に棄てた。


マークス王子が居なくなったことに城は大騒ぎになったが、ダニエルは真実を部下にも国民にも知らせることはしなかった。

「兄王子マークスは王位を継承するにあたり傲慢になっていた。説得したが分かって貰えず、排斥した。幸運にも私には女神の加護が宿った。国はこの私、ダニエルが守る」


国民たちはマークス王子の変わり様に嘆き悲しんだが、時期国王に我らがダニエル王子が擁立されるならばなんの問題もない、と口にした。



ダニエル王子は国王となった。そして、兄王子が居なくなった日から部下に薄らと向けられる恐怖の視線など気にせず、ケビンの居場所を見つけ城に連れ戻した。


ダニエル王と再会したケビンはたいそう喜んだ。

「ダニエル様、ああ、お会いしたかった!」

「私もだ、ケビン。ようやくお前に会えた」

ケビンはひとしきり喜んだあと、当たりを見渡してダニエル王に訊ねた。

「マークス様はどこですか?」

ダニエル王はケビンにだけは、と事の顛末をすべて話した。だから自分がここにいる、だから兄はここにいない。

ケビンの顔色がみるみる青くなっていく。


「そんな……ダニエル様、それは勘違いです! マークス様は僕を貴方様の近衛にしようと勉強と武芸を教えて下さっていたのです! ダニエル様が大切ならば、きちんと教養と地位を見に付けろと。それまで、ダニエル様から戴いた短剣は預かってくださり、その時が来たら僕に返していただける約束でした」


ダニエル王は耳を疑った。ケビンは続ける。

「ダニエル様は僕を大切にするあまり王族として必要な心構えを忘れていらっしゃる。ですから、いまは距離を置いて考えさせ、思い出させる。ダニエル様は聡明な弟だから、きっと分かってくれるはずだと。ですから王位も、きっと時期を見て……」

ケビンは俯いた。

兄から何度も言われた言葉が回る。王族である最低限を守るのだ。現状を賛成しない。


ダニエル王は丘へ走った。そして加護に願った。

「帰って来てください、兄さん。私はとんでもないことを。傲慢だったのは、私でした」

しかし、加護は働かなかった。丘は静かなままだ。ただひとりの王の嗚咽が響く。



ダニエル王は伝承について調べた。近衛となったケビンも懸命に手伝った。正式に資料が残っている訳ではないが、国の端にある農村部まで足を伸ばして調べ尽くした。また、加護が働くきっかけがあるかもしれない。

途中、ケビンは老いに倒れた。国外からも医者を呼んだが、みな一様に首を横に振る。

「私に加護が使えたら。どうして消えたのだろう」

力なく言うダニエル王に対し、ケビンは弱々しく笑顔を向けた。

「加護は消えていないですよ。だって貴方様は、あれから驚くほど見た目が変わっていません」


ケビンが居なくなってからも、国王の見た目は艶のある黒い髪の若者だった。やはり女神様の加護なのだ、と国民たちは嬉しそうに口にした。

しかしダニエル王には分かっていた。なぜ加護が扱えなくなったのか。理由は簡単だ、自分がもう美しくないから。加護は呪いになった。



ダニエル王は静かに王位を手放した。そして永い年月、伸びる黒髪と共に国中で語られる「傲慢な兄王子を倒した優しい弟王子の御伽噺」を耳にし、戦争や疫病で衰退していく国を眺めていた。

女神について新たに分かったことはひとつ。その夫となった人間が美しい黒い髪の持ち主だということだけだった。





どうかな、コレクションのひとつに加えられそうかい?

ごらん。ここから見える全てが国だった。いまはただの草原だけれどね。

ここはとある王子と、ある王が信頼した近衛が宝と共に眠っている丘だ。それを守るのがいまの私の役割だ。

え、私のブローチ? ああ、蝶だよ。とても縁起がいいだろう。

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