テレビ局と話し合った結果、果実風呂の開始初日に取材を受けることになった。このことはすぐに町中に知れ渡り、静かな商店街が町の話題の中心となっていった。そしてその日が訪れた。


 銭湯に入ってすぐのフロント。木造造りの番台には銭湯のおかみが座り、忙しそうにお客さんの相手をしている。


「今日は商店街の銭湯にお邪魔しております、なんと本日から果実風呂に入れるということで中はとても賑わっています」


 フロントの一角を数人のテレビ局のスタッフが占拠し撮影が始まりだした。あの時テレビで見たリポーターが私の眼の前で喋っている。


「それでは少しお話しを聞いてみたいと思います、果実風呂を企画された八百屋のおかみさんです。大盛況ですね」


「ありがとうございます、みなさんに果実風呂を楽しんでいただけたらと思います」


 昔の私なら積極的にここまでできなかったであろうが今は違う。これで私も晴れて全国デビューである。美容院も昨日行ったばかりだ。


「なぜ果実風呂を企画されたんですか?」


 私は自分のできる精一杯力強い眼差しでリポーターを見つめ訴えかけた。


「今年は天候の荒れた日が多く、売りに出せない果物が多い状態でした。その果物を有効活用し、商店街の活性化にも繋げられるのではと思い、果実風呂を企画しました。」


「それは素晴らしい企画ですね」


「はい、何よりも商店街と皆さんのためです」


 得意のうわべだけの会話が炸裂し、リポーターだけでなく周りで聞いていた銭湯のお客さんからも歓喜の声があがる。


「八百屋のおかみさんありがとうございました、それではさっそく果実風呂を堪能したいと思います!」


 私は軽くお辞儀をすると、リポーターとテレビ局のスタッフは男湯の方へ向かっていった。


「インタビューおつかれさまでした」


 端で見ていた呉服屋のおかみが駆け寄りねぎらいの言葉をかけてくれた。


「ありがとうございます、緊張しましたよ」


「そんなふうには見えませんでしたけど」


 私の心の内を見抜いているのか呉服屋のおかみはきょとんとした顔をしている。


 一瞬戸惑いながらも弁明しようと口を開こうとしたとき、彼女は宝物を見つめるように辺りを見渡しだした。


「本当にみなさん楽しそうですね、子供も大人も・・・・・・」


 待合室には駄菓子屋の出店があり、駄菓子屋のおばあちゃんが子供たちに囲まれ、みな嬉しそうな顔をしている。


 祭りとは程遠い規模ではあるが、かつての活気を感じたのか呉服屋のおかみの目にはうっすら光るものがあった。


「大成功ですよ」


 私も呉服屋のおかみと同じ方を向き呟くと、彼女は活気に満ちた銭湯と同調するように声を弾ませた。


「八百屋のおかみさん、ありがとうございました」


「いえいえ、わたしなんて・・・・・・みなさんのおかげですよ」


 深々とお辞儀をする呉服屋のおかみに、なせだか胸が張り裂けそうな思いになった。きっとこの感謝の言葉を私は受け取ってはいけないと感じた。


「次は私の番ですね」


 呉服屋のおかみは「にっ」と私に可愛らしい笑みを見せ、嬉しそうに銭湯から出ていく。呉服屋のおかみの言葉に違和感を感じたが、今日という日を迎えられた安堵感からかそこまで気にはならなかった。



 果実風呂開始から数日は賑わいを見せた銭湯であったが、交通の便の悪さや他に目立った観光スポットもないことから次第に客足は遠のいていった。


 初日の盛況ぶりに期待せざるを得なかった、商店街や町の人々の落胆ぶりは見るに耐えないものがあり、現実とは残酷であることを肌に感じとっていたことだろう。



 私一人を除いては。





 寒い冬が終わり桜も散って緑の葉が芽吹く頃、私は町役場のホールにいた。髪をまとめ背広とタイトスカートの慣れない組み合わせにそわそわしながら、その時をまっていた。


「先生、お早いですね、もうしばらくお待ち下さい」


「先生なんてよしてください」


 一生経験することはないと思っていた呼び名を町役場の職員から受け、小っ恥ずかしさと心に引っかかるものを感じていた。


 胸に小さく光るバッチを指で遊ぶように触り、「先生」という偉くもない私につけられた敬称に改めて自分が何をなしたのかを認識した。



 そう、私はこの町の議員になったのだ。



 果実風呂の一件で商店街が町の話題の中心になったとき、同時に行動を起こした中心人物として私の名前も町に知れ渡っていったのだった。


 ーーいや、知れ渡っていったのではなく、私の名前が知れ渡るよう果実風呂を思いつき利用したのだ。


 八百屋に嫁いでから絶望ともいえる二十年間の後悔が、私を動かし私を変えた。


 思いついてからは簡単だった、「商店街のため、この町のため」と噓を身にまとった私を、皆んなは喜んで持ち上げてくれた。


 私が議員選挙に立候補することを宣言した際には、商店街やその関係者は大いに湧いたものだ。


 果実風呂は失敗に終わったが、商店街を盛り上げようとしたこと、農家の売りに出せない果物に価値をつけことはかなり評価されたようで、少ない選挙費用で投票数三位と無所属新人としては快挙を成し遂げた。


 みんなの商店街を思う気持ちが、自分勝手な私を議員にさせたのだ。


 生まれ変わった私は、もう商店街とともに朽ちていくだけではない。

 失った二十年は返ってこないが、これからは自分の足で前に進んでいく。ーー嘘で固めた自分であっても。


 ただ一つだけ誤算があった。


 後ろからカツッ、カツッと乾いた音がホールに響く。普段聞き慣れない音ではあるが、ゆったりとした品のある歩調は私にとって誰が来たかを連想するのは容易だった。


「八百屋のおかみさん、おはようございます」


 振り向くとそこにはいつもの着物ではなく、背広にタイトスカートの呉服屋のおかみがいた。胸には小さく光るバッチがつけてある。同じコーディネートなのに、溢れ出るオーラのようなものは圧倒的な差があった。


「おはようございます、また一緒ですね」


 無理に声色を上げ作り笑顔で挨拶をする。呉服屋のおかみは満面の笑みだ。


 彼女にとってはかつての戦友に再開したような気分なのかもしれないが、私にとっては因縁のある宿敵のような存在なのだ。


「あなたがいてくれて心強いわ、きっとこの町はもっといい町になる」


「ーーもったいないお言葉で」


 果実風呂の一件がよほど響いたのかもしれないが、ここまで私を持ち上げる理由はわからなかった。


「でも意外でした、お店一筋の呉服屋のおかみさんも議員に立候補するなんて」


 私がずっと不思議にも不満にも思っていたことを尋ねると、彼女はいつかみた屈託のない笑顔で私を見つめる。


「次は私の番って言ったでしょ、あなたを見て私も変わらないといけないと思ったの」


 呉服屋のおかみは私の前に立ち、小さな両手で私の手をそっと握りしめる。


「信じてますよ、八百屋のおかみさん」


 彼女の言葉が心に深く突き刺さる。胸の奥がぎゆっと締めつけられ、早くなる鼓動だけが耳に響く。息を呑み何か返さなければと少し口を開いたが、出たのは言葉ではなく涙だけだった。


 罪悪感というずっと胸に引っかかっていたものが表に現れたのだ。そんなものなど捨ててここまで来れたと思っていたが、止まらない涙が私自身を否定していた。


 長い長い後悔という悪夢からようやく目覚めることができると思ったのに、別の悪夢の種が芽生えていたのだ。嘘をつき続けた罪悪感からくる後悔だ。


 ーーだけど、私は前の自分とは違う。


 この後悔は自分が選んだ道で生まれたものなのだ。決して周りに流されて生じたものではない。


 一つ深呼吸をしたあと涙を拭い、力強く呉服屋のおかみを見つめる。


「一緒に頑張りましょう」


 呉服屋のおかみは何も言わず私を包み込むように眼差しを向けている。


 これからは後悔を背負って生きていくのだ。もう後悔しないために。

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八百屋のおかみの胸の内 @Chikoro

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