慌ただしい一日
「ミツキ、もう7時半だよ!いい加減に起きなさい!」
テルの怒声に私は起こされた。
「今日は授賞式だろう?支度に時間がかかるんじゃなかったのか?」
授賞式。瞼を擦りながら考える。そうだ。今日はウメザカヤ美術館に私の絵が所蔵される記念式典とその授賞式の日である。
有り難いことに、満月と星空を描いた作品「月と星が交わる夜空」がウメザカヤの美術部員の目に留まり、あれよあれよという間に収蔵の話が決まった。と同時に収蔵記念に賞までいただけるという。作家としての一歩を進んだ感じだ。
「ほら、早く化粧をしておいでよ」
テルが急かす。化粧をして髪をアップにセットし、ドレスを着る。まるで結婚式に呼ばれたような格好になるが、まぁ上々だろう。
「お、馬子にも衣装だな」
そう言って背中をポンと叩かれた。けれど私は知っている。テルが明後日の方向を見遣りながらニヤニヤしていることを。
「なーによ。本当は似合うって思ってるんでしょ?」
私はテルに近付いてテルの顔を覗き込む。
「わっ。こっち来んなよ」
「似合うでしょ。たまにはいいでしょ、こういう格好も」
「わかったわかった。ミツキちゃん可愛い可愛い」
言い方がなんだか気に食わないが、まぁ良しとしよう。
「車、出そうか?」
「うん。行きだけお願いできるかな?帰りは伸先輩と約束があるの」
「それなら帰りも迎えに行くから、電話しなさい。待ち合わせしよう。間違ってもあの男に送らせることのないようにな」
授賞式は滞りなく終了した。この式典には伸先輩も出席していた。なぜなら先輩の絵「セレーナ」も所蔵が決まっていたからだ。
「美月、お疲れさま」
関係者に挨拶を終えた伸先輩に声をかけられる。
「先輩もお疲れさまです」
二人で美術館の喫茶室に移る。
「二人同時にウメザカヤ美術館に所蔵が決まるなんて思ってもみなかったよ。美月の場合はフランスの巨匠マルタン先生の推薦が大きく影響したんだろうな」
コーヒーを片手に伸先輩が話す。
「有り難いです。先輩の『セレーナ』はどこかの美術館が買い取ることになるだろうとは思ってました。他の美術館からもオファーがあったんですよね?」
「ああ。こちらも有り難いことだ。でも美月と同じ場所で飾ってもらえるウメザカヤにしたんだ。あの絵、『セレーナ』は君だからね」
「ちょっと照れくさいです。先輩の絵の解説書きにも、モデルは「月と星が交わる夜空」を描いた画家・山岡美月、なんて書かれてましたし」
「美術館にとっては宣伝になるからね。どちらの絵も」
「そうですね」
「僕も来春から絵画教室を開こうと思っていたんだ。宣伝になるなら何でも使わないと」
それは初耳である。
「絵画教室ですか。塾はどうするんですか?」
「しばらくは両立するよ。でもそのうち独立したいと考えてるんだ」
「そうなんですね。先輩は画家としてどんどん先に行ってしまいますね。私も気合い入れないと」
「先に進んでるつもりはないよ。やりたいことをしているだけさ」
「そんなに働いて過労死しませんか?」
「大丈夫。仕事が好きでやっているんだ」
それはなかなか言えない言葉だ。改めて私は伸先輩を尊敬した。
「ミツキ」
振り返るとテルが喫茶室に来ていた。学生らしき人を何人か引き連れている。
「テル。そちらは?」
「俺の教え子」
学生たちはそれぞれ挨拶をした。
「ミツキを迎えに行くってうっかりこぼしたら、ついてくるって聞かなくて」
「先生の彼女さん、有名な画家さんなんでしょ!どうしても会ってみたくて」
「私も」
テルの陰から出てきたのは、以前、科学前広場でテルに一方的にくっついていた女性だ。確か名前を…
「戸谷綾香です。山岡美月さん、ですよね。よろしくね」
戸谷綾香は不穏な笑みを浮かべて私をまじまじと見つめた。
「戸谷、ミツキに不用意に近づくなよ。ミツキもそいつは相手にしなくていいぞ」
「えっ、ひどぉい!輝之くん」
綾香はテルに笑顔を向けたが
「私、輝之君のこと、諦めてないから」
私には挑発するようにそっと囁いた。
「女性は怖いなぁ」
伸先輩がおやおやという顔で言う。
「あれだけのガッツがあったら僕も美月を横取りできるんだろうか」
「先輩、冗談はよしてください」
「ミツキ、その男の言葉も相手にしなくていいからな」
「これはこれは」
伸先輩は呆れたような顔をして見せた。
「さて、何かうまいもんでも食いに行こうか。ミツキは着替えてからな」
学生たちが歓声を上げる。
「おい、喫茶室では静かにな」
テルと学生さんたちに伴われて、焼肉の店に向かった。伸先輩は仕事の準備があるとのことで先に帰った。
「ねえ、美月さん、輝之君とは幼馴染だって聞いたんですけど、本当?」
焼肉を焼きながら綾香さんはしれっと私の隣の席を確保した。
「ええ、まぁ」
「輝之君の大学時代に頻繁に話題に出てきた幼馴染もあなたのことね」
「えっと、おそらく」
「なぜ輝之君はあなたを好きなのかしら。魅力的な女性は他にもたくさんいるのに」
ヘビのようなねちっこさで執拗に聞く。
「さぁ。それは本人に聞いてください」
段々と相手をするのが面倒くさくなる。
「そうねぇ。聞いても答えてくれないけど」
「あなたはテルに執心しているようですが、今後テルがあなたに振り向くことはないと信じてます。だから諦めて他の男性を当たってください」
そう言い切ってみた。
「やだ、ふふふ。美月さんこわぁい。私が誰に執心しようと私の自由でしょ?」
「そうですね。でも無駄な時間を費やすことになるかと思います」
「あなただって、10年も無駄な時間を費やしたんでしょ」
「私にとっては無駄ではありませんでした。テルが戻ってきてくれたから。だから私は信じるって決めたんです。テルを」
「そう。それはあなたの自由ね」
綾香さんはそう言うとトングを持ったまま学生たちの元に戻って行った。
家に帰宅すると直ぐ、珍しくテルが後ろからハグをしてきた。
ドアの前で。鍵も閉めずに。
「ミツキ」
「うん?」
「ありがと。俺を信じてくれるって言ってくれて」
「信じないわけにはいかないじゃない。ずっと待ってたんだもの」
私は向き直り、テルの鼻先に軽いキスをする。
テルはそのまま腕の力を強めた。
「ふふ。テルってば、苦しい」
「苦しい?苦しいのは俺の方だよ。ミツキが可愛くて可愛くて苦しい」
今朝、ドレスを着て見せた時のおざなりの「可愛い」とは比べものにならない言い方をする。
テルは抱きしめたまま解放してくれそうにない。
「ミツキは俺の一番だ」
言葉と共に深いキスが落ちてきた。今夜は離してくれないだろう、そんな予感がした。
「私にとっても一番大切な人」
キスを返す。テルが喜びの表情を浮かべた。
「ミツキは俺の最愛だ。何度でも言うよ。ずっと言えなかったんだ」
腕の力は一層強まり、たくさんのキスの雨あられが降る。おでこに、鼻先に、頬に、唇に、顎先に、首筋に、鎖骨に、肩に。そうしていつの間にやら私は寝室へ連行されていた。
目を覚ますと明け方で、隣には幸せそうに眠るテルがいた。
「大好き」
囁いておでこにキスを落とす。と、目を覚ましたテルに腕を引かれ、布団の中に引きずり込まれた。体温の温かさにやわらかい眠気が襲ってくる。
「俺も大好き」
テルがそう呟いた頃、私はもう一度幸せな眠りの中に落ちていた。
月と星が交わる夜空の果て【番外編】 檀 まゆみ @mayumi01
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