三流作家の神様へ

北折 衣

神とかいう

適当に作りすぎだと思うんだな。野田洋次郎も「もしもこの僕が神様ならば全てを決めてもいいなら7日間で世界を作るような真似はきっと僕はしないだろう」って歌ってた。

信心深い人々に不快感を与えるかもしれないけど、そういうつもりじゃない。私が言う神は、作者としての神だ。


人間という、神を認識(または想像)するほどに知能が高い生き物が生まれるような環境を放っておくのがまずどうかと思う。世界が創作物なら、メタいにも程がある。もしメタい作風でいきたいんならもっと振り切らないとだめだろ。

私は絵を描く。同じクリエイターとして分析するならば、この世界の創作意図として考えられるのは、意思のない自然と意思のある生物の関わり合いをあらゆる事象をもって魅せることではないかと思う。自然というのは植物、空、海、風とかで、対するものとして動物や昆虫という生物を出したのかなと思う。問題なのは、人間という人工物をガンガン作り出して分かりやすく自然と対立する生物が登場する事だ。これには作者(神)の雑さを感じる。

恐らく講評会か何かで、「テーマが分かりずらい」とかいう批評を受けて「なんでこれが理解できないんだ、馬鹿ども」とか怒って「分かり易ければいいんですね?どうですか?ん?」と言いながら作り直したんだと思う。だから多分人間は2時間くらいで適当に作ってると思う。

きっと作者(神)は始め、自然と共存する生物、しかし互いは融合することは絶対に無く、お互いが持ちつ持たれつの関係であると共にそれが原因となって世界は一つにはなれない...という、美しい不協和音のような世界を作ったんだ。だけど観客はエンタメを求めていた。それでバカの極みみたいな人間を山ほど作って核を作らせてみたり温暖化させてみたりしている。愚かさの象徴として戦争もさせよう!とかもやっている。しかもウケが良かったんだろう。結構長いことこの作風でやっている。


私は神に怒っている。しかし神の気持ちもわかる。いつだって作家と観客の思いは遠くすれ違っているものだ。私が許せないのは、観客に合わせて作風を変え、人間を登場させたことじゃない。人間をあまりにも雑に作った事だ。賢い生物だから何でもあり。になってしまってる。もし私たちがホラー映画を見る時、悪霊が怪力で空を飛びビームまで出したら冷めるだろう。「こいつなんでもアリじゃん」と。それと同じことが起こっている気がする。キャラクターには縛りが必要だ。ヒーローにも悪役にも、興味が湧くようなギャップが欲しい。そういう意味で人間は雑なのだ。作風を変えるのはいいが、各ジャンルで優劣は無いはずだ。エンタメ路線でブラッシュアップしていくことだって可能なんだ。

ひょっとすると作者(神)はB級世界を作ろうとしているかもしれない。もしそうなら人間はもっとバカでもいいと思う。どう思う?(神に聞いています。)


私は生まれてきたことが辛い。こんなに物事を考える時間があるのが苦痛だ。今から死ぬのは怖い。だからより一層生まれてきたくなかった。神を許さないつもりでこの文章を書き始めた。同じクリエイターとして、「もっと考えて人間を作れ」と神を批判してやろうと思ったのに、なんだか作家としての苦悩に共感してしまった。神はまだ机の上で、我々の生きるこの世界をこねくり回しているかもしれない。中々認められずに悔しくて泣いているかもしれない。三徹しているかもしれない...

可哀想になってきた。神も頑張ってんだな。じゃあ私も登場キャラクターの一員として、神の設定したように生きようかな。いいよ、とりあえず許してやる事にするよ...

私が悩み、苦悩している時、神も悩み苦悩している。そう思うと少しだけ頑張れる。これから、苦しくて泣く時は神も一緒に泣いていると思おう。

お前は同じアトリエの仲間だ。私はこの世界も結構いいと思うよ。

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