応援コメント

夜が朝に変わる頃」への応援コメント

  • お話が13歳の少年の一人称で進められていて、とても素敵です。
    子供から大人へと変化する年齢なので、言葉遣いが丁寧なようで子供っぽかったり、かと思えば変声期の前兆が来ているという描写もあって、思春期特有の不安定な心情がよく表れていると思います。
    その不安定さは、大好きなヒューへの愛情と、彼と二人でいられる早朝の時間で支えられているんですね。

    私は、冒頭の

    >夏休みの前は、学校全部が

    から

    >気の早い太陽のように笑った。

    までの情景描写が特に好きです。
    本当にきれい。しかも無駄な文字が全然ない。
    素晴らしいです。

    アンドリューへのやきもちもヒューへの思いも、テオドアのペンは書き出してくれるのでしょうか。
    朝焼けの楡の木の下から、彼は前へ進むことができるようになるのでしょうか。
    そんな切ない気持ちになりました。

    素敵なお話をありがとうございました。

    作者からの返信

    わーいコメントありがとうございます(´▽`)

    最初は密会らしく消灯後にしようと思ったのですが、いちいちランプの描写を書くのが面倒になったので「少し明るくなって字が読めるくらいの時間」に変更しました。

    寄宿舎の少年モノなので、空の描写はとびきり耽美的な感じに寄せてます。大人になってどうするつもりだったのかとか、珍しく両思いのカップルだなあとか、ヒューはテディって呼んでたんだろうなとか、作者はそんな邪なことばかり考えながら書きました( ´‎ࠔ`* )こちらこそ素敵なコメントありがとうございました(˶' ᵕ ' ˶)


  • 編集済

    自主企画参加ありがとうございます。
    1行目から引っかかってしまいました(^_^;)

    私は言葉遣いに違和感を覚えるとGoogleで使われている数を調べています。
    (“ ”を忘れずに)

    “学校全部” 約2,700件
    “学校全体” 約11,800件

    全部 「すべて みんな」
    全体 「あるものやことがらのすべて」
    三省堂例解小学国語辞典より

    「全体」の方がより強くて具体的なのですね。あるもの・事柄にかかる「全体」の方を「学校」にくっつける方を、一般的には好んで使うのではないでしょうか。
    いい悪いではないのですが、語感には敏感になって損はないと思いますよ。

    作者からの返信

    自主企画お疲れ様です。

    この度は厳しいご指摘ありがとうございました。確かに語感にもっと敏感になりたいと思うことはあります。一行読んで全てわかってしまう方のようになりたいです。

    言い訳程度に何故「全部」にしたのか聞いてください。自主企画でお忙しいようでしたら、以下は読まなくても構いません。理由はふたつあります。

    ひとつはご指摘の通り「全体」という言葉の意味が強すぎるからです。お読みになられているからわかる通り、この作品の舞台はイギリスの寄宿学校で、通信技術がまだ圧倒的に手紙であった時代の話です。良いところの優秀な令息たちが在籍しているこの学校は、おそらく厳格な校風で規則の厳しいところなんでしょう。

    そうすると、夏休み前で浮かれている生徒たちを押さえつけようと教師たちは躍起になります。「そわそわして落ち着かない」のは生徒と雰囲気で、教師陣は「そわそわ」していません。この作品は一人称であるため、主人公の視点からは全体的にそわそわしているように見えますが、実際はそわそわしていません。ここで「学校全体」と書いてしまうと読者には教師陣もそわそわしているように見えてしまいます。その後で「教師はガミガミしている」とあると多少ちぐはぐになってしまいます。

    そもそも、主人公は「全体」が見えないのです。「僕の見ていることがらのすべて(全体)」と「僕の見ているものみんな(全部)」であれば、この場合先の展開を考えて後者が適切であると考えました。

    もうひとつの理由は、この作品の主人公が13歳の少年だからです。そして作品を読んでもらえればわかる通り、この作品は全体的に狭窄的な雰囲気を楽しむ作品です。また、コメントの通り「学校全部」というのは耳に馴染まない言葉です。言い方を変えると舌っ足らずで、まだまだ幼い印象を与えると思います。

    それもそのはずで、この作品の主人公は大人になることを少し怖がっています。まだ子供でいたい気持ちと、はやく大人になりたい気持ちが交差して物語の中でその感情と向き合います。そうすると、この作品の冒頭はやはり子供っぽい言葉のほうが主人公にふさわしいと考えました。

    そういう雰囲気を作品に込めているので、ここで「学校全体」という言葉を使うとやはり「全体」という言葉につられて大人びて俯瞰して見ているような印象を与えてしまいます。

    そういうわけでここは試行錯誤したのですが説明口調になってもテンポが悪くて少年らしさがなくなるので、結局「声に出した時に一番幼くて元気の良さそうなワード」というわけで「学校全部」という表現にしました。違和感は確かにあるのですが、日本語として破綻しているわけでもないうえに「この作品を読もう」という人がまさか一行だけ読んで「学校全部は誤字だから読むのやめるか」とリターンするとも思わないので……本当に語感に鈍感ですみません。

    Google検索の結果も出されてしまうと「学校全部」というのは一般的には誤字と認識される表現なのでしょう。語感に敏感な方でも読んでもらえるように「学校の全部」と助詞を入れる案を今考えております。

    こちらの指摘で気がついたのですが、こういった作品を書く時に「全体を見通す」「客観的な表現」というものを無意識に禁止していることに気が付きました。こういった癖は自分ではなかなか気が付きませんね、ありがとうございます。

    これからも作品全体の雰囲気より、ご指摘の通り客観的な表現と語感に敏感になって執筆しようと思います。わざわざ検索など客観的なデータも用意して頂き、大変お手間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。この指摘を胸に頑張ろうと思います。

    老婆心ながら、一行読んで文脈を読まずに断言して「語感に敏感になって損はないですよ」というのはなかな(略)と思うので、これからコメントを書くときは相手がどう思うか敏感になってくださいね(・ω<)

    編集済