第7話 無私でも無欲でもなく


 ああああ!うれしいうれしい!ずっとずっと一緒にいられるわ。ううん、離れることなど考えたことなどなかったわ。もし誰かほかの人と結婚させられそうになったら本当の事を打ち明けるつもりだった。私とナイジェルは本当はもう結婚してるのよ、って。

 だって私覚えているもの。お兄様がお義姉様と結婚された時


 ‟やめる時も健やかなるときも共にいることを誓います”と言って口づけをされたわ。そしてお兄様たちの結婚の儀が終わった後すぐ私とナイジェルも同じように誓ったのよ。そして口づけもした。他に誰もいなかったけどそんなの関係ないわ。だって後からカトリーヌお姉さまにその話をしたら‟あら、ジョセフィーヌは私より先にお嫁になってしまったのね”っておっしゃったもの。

 だから今更他の人と結婚など出来ないのよ。でもお父様に言うとなんだか癇癪を起されそうだから‟お父様のお傍に居たい”と言っておけば私を他所にお嫁に出そうなどど言い出さないだろうから。

 式なんて上げないくていいの。ただナイジェルとずっと一緒にいたいだけなのだから。ナイジェルが育てた野菜を食べて健康でいて彼が薬草を採りに行く時は私が護衛をして。今までそうしてきたのだもの。私だって王族としての務めがあるのはわかる。だから勉強もしてるわ。ナイジェルはラファエルのように医師になるための勉強をしてるし。私たちはずっとこのままでいいのよ。


 ~~~


 カトリーヌのもとに婚約者フィリップが訪ねてきた。お茶を持ってくるように侍女に言いつけて二人で長椅子に座る。


‟ジョセフィーヌ妃殿下とナイジェル殿の事、上手くいって良かったね”


 ほっとして気が抜けたせいか二人きりな所為か砕けた口調で会話が始まった。


‟本当に。ぎりぎりまでナイジェルが現れなかったから肝が冷えたわ”


 大きくため息をつくカトリーヌの手を取ってフィリップは言う。


‟伯爵家が彼を夜会に行かせないために令嬢の病気を装って呼びつけたことは確認したよ。令息は彼の事を侮っていたけど、伯爵本人は十年前のことを知っているうちの一人だったんだね”


‟愚かなことを”


 そんなお粗末な妨害工作をしたってすぐばれるのに。


‟ロドリゲス王太子だって王妃の座をジョセフィーヌ様に差し上げるなんておっしゃてたけど実は自国での王太子の座は盤石ではないらしいよ。一つ下の弟王子が優秀で彼の婚約者が有力貴族の令嬢なんだって。だから我が国の妃殿下と結婚することで自分の王太子としての立場を強めたかったんだろう”


‟それ自体は王族として悪いこととは言えないけど、誠実なふりはだめよね。かえって恥をかくことになったんだから”


‟ああ、海運王の息子はもうすっかりナイジェル殿に心酔して、これから外国の薬草の買い付けを率先して行ってくれるらしい。ナイジェルが欲しいと言ったらそれこそ草一本だとしても船を出すと言っているよ”


‟それは頼もしいわね”


‟ところで一つ気になることがあるんだけど。君は前ナイジェル殿に貸しがある、と言っていたね。結局何だったんだい?”


“ああ、あれはね。本当は二つ目の条件である、勇気の事なんだけどさすがに今でも人前では言わない方がいいことかも”


 十年前ナイジェルが件の病の治療法を確立してしばらく王都ではその効果が認められ始めていたが、それと同時に薬の需要に生産が追い付かなくなっていた。特に発疹の出た肌を感染から防ぎ瘢痕を残さずに治癒するための薬は出来上がるまで時間がかかる。在庫が底をつきかけた時にジョセフィーヌが、そしてその翌日にカトリーヌが発病した。幸いにも王宮には二人分の薬が残っていた。しかし王女たちよりも数日早く王妃付きの侍女と下働きの女が病に罹ってしまっていたのだ。熱さましはまだ何とかなるが発疹を押さえるための薬は製造中で出来上がるのにまだ数日を要する。王宮の皆はもちろん残っている二人分を王女たちに与えると思っていたのだが、その時ナイジェルは侍女と下働きに投与すると言い出したのだ。王女と召使い、本来なら比べるべくもない。

 だが


『姫様達は熱が出始めたばかり。発疹が出る時期までまだ数日の猶予があります。侍女たちに今薬を与えなければ彼女たちの発疹は全身に広がるでしょう。そうすれば皮膚への感染で命の危険が増す上砂肌が後遺症として残るのは防げません。姫様達には引きつづき熱さましと水分補給を』


 この意見に王はもちろん大臣たちも激怒した。ラファエルでさえ驚いた。薬を作れるのがナイジェルだけでなければその場で切り捨てられていただろう。しかしこの時ナイジェルを擁護したのがほかならぬジョセフィーヌだったのだ。彼女はナイジェルの意見に怒った侍女の一人と護衛が病床にいる姫たちのもとで話しているのを聞いたのだ。

 王宮医師の一人が薬を持って行っても頑として飲もうとせずナイジェルを呼び続けた。姫の呼び出しになかなか応じなかったナイジェルは困り果てた王宮医師が宰相に相談しようやくジョセフィーヌへの面会が許された。

 高熱に慣れているジョセフィーヌはベッドで上体を起こして、姫たちのもとに引き立てられたナイジェルの顔を見て息を飲んだ。その顔は殴られた痕で青黒く腫れあがっており手は後ろ手に縛られたいたのだ。それを見たジョセフィーヌはぽろぽろと涙をこぼす。


 『ひどい…』


 当然ナイジェルを責めると思い込んでいた周りの大人たちはジョセフィーヌの反応を訝しむ。


『ナイジェル、私の病気はうつるのかしら?』


『…顔の前で咳きこんだり、発疹からでた汁を直接触って手を洗わなければうつる危険が高いです』


『ではここに来て。私は今咳は出ていないわ。発疹が出るまでまだ間があるのでしょう?』


 『姫様!その不敬な罪人に触れてはいけません!』


 悲鳴を上げる侍女や医師を睨みつけてジョセフィーヌはナイジェルに手を伸ばす。


 『今すぐ傷の手当てをするものをここに持ってきて』


 そう言って更に手を伸ばすジョセフィーヌに恐る恐る膝でにじり寄るナイジェル。熱で熱い小さな白い手がそっとナイジェルの頬に当てられる。


『可哀そうに。ナイジェル。痛いわよね。こんな…ひどい』


 ナイジェルは上目遣いにジョセフィーヌを見た。彼とて気まずい思いはあった。苦しんでいるジョセフィーヌを後回しにして薬を他の者に与えろなどと言ったのだから。


『薬は出来るのでしょう?』


『は、はい。あと二日あれば』


『マリアン(侍女)達の具合は?』


『一刻も早く薬を投与せねば命が…』


『貴様また余計なことを』


 護衛騎士が手を上げようとする。


『やめて!なぜナイジェルをこのような目に遭わせるのです。彼は皆を助けるために頑張ってるのに』


『しかし姫様』


 さすがに宰相もいさめようと声を上げる。


『ナイジェル、あなたは私もお姉さまも必ず助けてくれるのでしょう?二日後に薬が出来たら持ってきてくれるのでしょう?』


『も、もちろんです。私の命を懸けて姫様達をお助けすると誓います』


『ナイジェルは間違っていないわ。それなのにこんなひどい目に遭わせて。すぐにお父様にお話があると伝えてちょうだい』


 まだ少女ながら凛とした声で宰相に命じた後、俯いているナイジェルの耳元に顔を寄せてこういった。


『ナイジェル、あなたの事を信じているけど、もし、もしもよ。私の肌がきれいに治らなかったら、それでもあなたのお嫁さんにしてくれる?』


『!』


 このジョセフィーヌの言葉と真っ赤になったナイジェルの返事が聞こえた者は何人いたか。

 ジョセフィーヌは王と話をするまで断固として薬を拒否し慌てて駆け付けた両陛下の前でナイジェルの弁護をした。そして王はすぐに薬を侍女たちに薬を与えるように指示したのだ。それを確認した後ジョセフィーヌはナイジェルに罰を与えるように指示した父王とは三日間口を利かないと言って王を泣かせ、ベッドに倒れこんだのだ。



‟すごいね。ナイジェル殿もすごいけど、ジョセフィーヌ様にも感服したよ”


 フィリップは感嘆した。


‟そうね。ジョセフィーヌはずっと体が弱くてナイジェルが傍にいたからそういう面ではとても聡い子だわ。本人曰く、別にわが身を犠牲にしたわけではない。薬はあと二日で出来るし私達にはまた猶予があったから、一刻を争う患者が入ればそちらに使うのは当然だと”


‟でも、万が一ということもあるだろうに”


‟あの子のナイジェルへの信頼は絶対だわ。それにもし肌がきれいにならなくとも嫁に貰ってもらうと約束させたし”


‟あの二人はいったい何回結婚の約束をしてるんだい?”


‟さあ?少なくともジョセフィーヌはもう結婚してると思ってるんじゃない?”


‟ところでその時、理解のある姉である君はジョセフィーヌに賛同したのかい?”


‟それがね、私はずっと健康だったから熱がでた途端にもう何も出来なくて。彼らの会話は聞こえてはいたけどろくに声も出せなかったし頭も働いていなくてうんうんうなっていただけよ。だから賛成も反対もできなかったの。問答無用でジョセフィーヌと運命共同体になったというわけ。私は熱が苦しかったからナイジェルに八つ当たりしただけなのよ。薬は間に合って発疹は防ぐことが出来たから本当は彼に恨み言をいう謂れはないのだけどね”


‟それはそれは”


 きまり悪げに言うカトリーヌを見てフィリップはクスクスと笑った。


 幸いナイジェルの言う通り薬は二日後に完成し無事姫たちは回復した。肌もきれいなままだ。結果全て丸く収まったがやはりナイジェルの行動はその場の人々の常識から大きく外れており王宮ではその事実を知る者には箝口令が言い渡された。命を救われた侍女である子爵令嬢とその家族は王家とナイジェルに深く感謝し心からの忠誠を改めて近い、下働きの侍女も同様だった。


‟それにしても、話を聞けば聞くほどそんな二人に今回の婿探しは本当に必要だったのか疑問だな”


‟そう思うのも無理はないけど…やはりちゃんと欲しがってもらわないと”


‟?”


‟ナイジェルも大人になって身分差やらなんやらわかるようになってか、どんどん男としての自分に自信を無くしていったようなの。ジョセフィーヌが望んで王家が後押しをすれば結婚する方法はあったわ。でもジョセフィーヌがたとえ降嫁しても彼女が王の娘だという事実は変わらない。ナイジェルには彼女と並び立つための覚悟をしてもらいたかったのよ。それにジョセフィーヌが欲しかったのはナイジェル本人からの言葉だったのだもの”


‟だから君は可愛い妹のために茶番をおぜん立てしたというわけか。だとしたらジョセフィーヌ様に本当に欲しいものをあげたのはある意味君だという事にもなるね”


‟あら、そんなことになるかしら?”


‟そうだよ、でもそろそろあの二人のことは切り上げて僕たちの事を考えて欲しいな”


 フィリップはそう言ってカトリーヌにそっと口づけをした。


 ~~~


‟じい!ホセじい!”


 中庭で植木の剪定をしている庭師にジョセフィーヌは後ろからしがみついた。


‟聞いて。私ナイジェルと結婚できることになったのよ!”


‟それはそれはお祝いを申し上げます。ですがじいはてっきりお二人はもう結婚されてるのかと思ってましたよ”


 小さいころから二人を知る庭師のホセは背中にジョセフィーヌをぶら下げながら剪定の手を止めず飄々とした調子で言った。


‟それは…私はそのつもりだったけど、でも本当は自信がなかったの。結婚の約束を取り付けるのも誓いを促すのもいつも私の方から。私は王女だからナイジェルは断れなかったんじゃないかと思ったりして”


‟今さらですか”


‟なにそれ”


‟いくらナイジェルでも、他の人ならばあそこまで頑張りませんよ。裏庭にどれだけの薬草やハーブが植えられて言えると思いますか?姫様のお世話をするようになってからあの子は儂のところに来て薬草や野菜の育て方をになっ学ぶようになった。因みに儂だとて王宮で野菜を育てるとは思いませなんだからあちこちに教えを乞いましたがね”


‟…ホセじい…”


‟姫様が熱で苦しくないように、咳が少しでも収まるように、良くお休みになれるように。その後は体が丈夫になるように。目に付くありとあらゆる書物を読み漁り姫様の様子を観察し、あの子の頭の中はいつもいつも姫様でいっぱいだ”


 ジョセフィーヌの目頭が熱くなる。

 もともと頭は良くラファエルの仕事を見て育ち医師として人々を救いたいという心構えは早くから育っていたが、ジョセフィーヌに対する情熱は違っていたようにホセには見えた。


‟あの子にとって姫様は特別であり、あの子は姫様にとって特別になりたかったのだと思いますよ”


 やっとホセの背中からはがれたジョセフィーヌの顔は真っ赤だった。


‟それ、本人の口から聞きたいって言ったらわがままかしら?”


‟これ以上は勘弁してあげて下され。大勢の貴族王族の前での求婚でおそらくあの子の寿命の十年は縮まったでしょうからな”


‟そうね…でもホセじいは何でも知っているのね”


‟ホセじいですからな”


 ほっほっほと笑った。


 ~~~


 無事に結婚式を終えた夜。初夜の褥でナイジェルは初めてジョセフィーヌを呼び捨てにした。すべらかな頬を両手で包み想いを告げる。


‟ジョセフィーヌ。初めて貴女と出会ってからの十五年間、俺は貴女の幸せだけを考えてきたつもりでした。いつも貴女が健やかであるように。だけどいつの間にか、それ以上を望んでしまいました。貴女と共に在りたいと。身の程知らずにも貴女をかわいいと思い、美しいと思い、愛しく思ってしまったのです。周りには無欲な男だと言われているけれど貴女に認められれば傍にいられると思ってずっと頑張ってきた。医師としては褒められたことではないけれどそれが正直な気持ちです。そして今俺は貴女の全てを欲しいと思っている。許してくれますか”


 心情を吐露されこれ以上聞かされては胸が爆発してしまう、とジョセフィーヌはその白い両腕をナイジェルの首に絡め自らの唇で彼のそれを塞いだ。



 END

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ジョセフィーヌ妃殿下の婿選び~三つの条件 有間ジロ― @arimajirou691

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