第6話 ナイジェルが二つの条件をクリアした理由


‟ここいる皆様の中に砂肌病をご存じない方はいないでしょう。中にはこの病を患った方もいるのではないでしょうか。今はそれを死病と怖れる者はいませんがほんの十年前まではわが国だけで一冬に何百人もの命を奪った恐ろしい病でした。それに対する画期的な治療法を確立し後遺症として残るおぞましい砂肌を防ぐ薬を作り出したのがここにいるナイジェルなのです”


 一瞬人々は王女が何を言っているのか理解できなかった。まだ青年であるナイジェルは十年前と言えばおそらく少年を少し超えたくらいの年ではなかったか。

 そんなまさか、と言う声があちこちに響いた。


‟失礼ながらわが商会でもその薬を取り扱わせております。この国で採れる薬草を主な材料としていますのでこの国で製造されて大陸のほぼすべての国に出荷しておりますが、資料にはその者の名前はなかったと記憶していますが”


 少し落ち着きを取り戻したパリスはさすがに重要な商品のことは良く調べているらしい。


‟まあ、あなたのところで取り扱っているのならナイジェルとその父ラファエルに感謝することね。あなたの商会はその薬を大陸中に輸出することで大きな利益を得たはずだから”


 カトリーヌは優雅に笑った。


‟ナイジェルは当時また十六歳。彼はその天才的な頭脳と観察力、薬学の知識を持っていろいろな薬を組み合わることでおぞましい発疹とその後遺症を抑える薬を発明して人々を救うことに成功したのよ”


‟お、お待ちください。さすがに信じられません”


 伯爵令息が進み出てナイジェルの方を睨みつける。


“‟使われている薬草は多様で、また砂肌を防ぐ薬は製造に難しいと聞いている。お前の様な男が…お前に証明できるのか”


 おそらくカトリーヌがナイジェルを擁護するために出まかせを言っていると思っているのだろう。


‟ナイジェル”


 カトリーヌはナイジェルに、できるわね、というように頷いた。それに対してナイジェルは


はい、と小さく返事をするとジョセフィーヌの手を取って立ち上がった。そしてジョセフィーヌを近づいて来た王妃の手にゆだねると静かな声で話し出した。


‟砂肌病は冬によく発生します。初めは風邪のような症状が出ますが二、三日のうちに高熱が出始めそれが七日以上続き患者は体力と脱水のために弱っていきます”


‟そんなことは誰でも知っている。だから少しでも熱が上がり始めたらすぐに強力な熱さましを飲ませるだろう。常識だ”


 そう言う令息に嫌な顔もせずにナイジェルは続ける。


‟そうです。本当は抵抗力をつけるためには熱さましをあまり早く飲ませ始めるのは良くないのですが高熱が二日以上続くと他の害が出てくるのでその辺は患者の様子を見ながら飲ませます。咳が出始めたら咳止めも飲ませます。咳も体力を奪いますから”


 ”だから…”


 言い募ろうとする伯爵令息をさすがに隣にいる者が止めた。


‟熱さましに使われているのは主にガリウの根、チュリパトラの実、そのほか五種類の薬草を組み合わせています。これらは一つ一つの作用はそれほどではありませんが少しずつ作用の仕方が異なるので組み合わせるといろんな方面から解熱作用を体に施してくれます。しかも違う薬を組み合わせることで一つの薬を大量に摂取したときに起こる副作用も低く抑えられるのです。例えばガリュウの根は熱さましとしては強力ですが肝の臓に負担を与えます。ですから量を抑えて三対一の割合でチュリパトラを加え補うようにします。他に肝臓の流れをよくする薬草も咥えます。そして咳止めにはアマミ草の葉とカザの種から抽出した薬湯にほんの少しアサの根の粉末を加えます。アサの根は実は中毒にある恐れがあるのですが少量であれば心身の緊張を静め、咳止めとしても素晴らしい効果を発揮するのです。この分量の加減は少し難しいのですが患者の体重に合わせて…”


 普段のたどたどしく自信無げなナイジェルがよどみなく話始める。説明がだんだん詳しくなってきて誰も口を挟めない。


‟そして高熱が出て五日から七日ほどした頃例の発疹が出始めます。ですから大体発症後五日くらいしてからコーダタの葉とムシワカレの葉を煮出したものを経口と湿布で始めます。どちらも匂いがきつく雑草として嫌われておりますが優れた炎症作用とかゆみ止めの効果があるのです。砂肌はそれだけでも肌に瘢痕を残しますが強い痒みが患者を苦しめかきむしることで肌を傷つけ、そこに毒が入り傷が腐って痕がひどくなるのです。実はこのコーダタはもともと遠い黄国という東の国にしかなかったのですが最近はそちらから持ってきた草の根がこちらに根付いて…”


 ‟…”


 説明はえんえんと続く。誰も止められない。


‟最後に砂肌病を起こす毒そのものを消す薬は今のところありませんが皮膚を腐らせる毒に関しては、腐った食べ物から抽出した…”


‟あ、ありがとうナイジェル。皆ももう十分あなたの功績を納得してくれたと思うわ”


 ようやくカトリーヌが口を挟んだ。周りのものもうんうんと頷く。


‟これがナイジェルが一つ目の条件を問題なくクリアした証拠です。彼の功績はこの国のみならずこの大陸の多くの国と人々を救ったわ”


 これに異議を唱える者は誰もいなかった。


‟そして、第二の条件。並々ならぬ勇気を持つ者。ナイジェルが編み出した治療法と薬はこの国に政治的な大きな可能性をもたらした。この治療法と薬の輸出を条件にすればおそらくこの国は大陸全土の国々に対して有利に立てる。今でこそこの国は大国と言われ、隣国と友好関係を築けているが当時は国力もそれほどではなかったのだ”


 アンリ王太子がカトリーヌに王女の後を続ける。


‟事実国王、宰相、大臣たちは手始めに近隣諸国と取引を始めようとした。しかし、それに異議を唱えたのがナイジェルだった。彼はすぐさまこの薬を自由に商人たちが販売できるように王に進言したのだ。隣国と一々条件付きで取引交渉をしている間にも多くの人々が苦しんで命を落としている。助けるすべがあるのならすぐさま手を差し伸べるべきだと。一回の医師見習いが国の王の考えに異議を唱え己の信念と良心のもとに意見を言うなど命がけのこと以外ではないであろう”


‟陛下はそれを聞き届けたのですか?国からの商人達への条件は国の定めた金額で販売し値を吊り上げることを禁止することのみだった。それでもわが商会は各国に薬を販売し莫大な利益を得るとともに取引相手から信頼を得ることが出来たと父に聞いています”


 パリスは感動に震えるように言った。


‟それが当時まだ二十歳にも満たないナイジェル殿のおかげだったとは”


 ここで王が初めて言葉を発した。


‟ナイジェルの考えを後押ししたのは宰相とわが家族だった。ジョセフィーヌもカトリーヌも砂肌病にかかり苦しい思いをした。母である王妃も、兄である王太子も、そして父親であるわしも苦しむ家族を目の当たりにし、それがどれ程つらいことか身に染みておったからな。宰相には先見の明があったから他国に恩を売ったことで結果的にその後友好関係を円滑に結ぶことに成功したというわけだ”


‟しかし、ナイジェル殿の名前はなぜ秘されているのですか?”


‟それは薬を販売するにあたって、まだ成人していない子供が作った薬など信用されないのではないか、という心配があってな。また万が一薬に問題が起きた時のためにナイジェルの名前を伏せたのだ。結局薬は医師たちが合同で作り上げたという事でラファエルを責任者として売り出したのだ”


‟しかし未だに秘されている理由は?”


‟それは薬の効果や患者の回復状況を見るのに数年を要した。その後…皆すっかり忘れておったのだ”


 王がポリポリと頬を掻く。


‟忘れて…”


 呆れた声。


‟いやそれは本当。ラファエルもアッと言うまに他の研究に没頭し始めたし、ナイジェルも薬の精製や改良に忙しくてな。それどころではなかったというか…”


‟確かに近年は薬の製造方法も他国に伝えられたと聞きましたがどうしてもこの国の薬に比べると精度が落ちるので”


 パリスもぽつりとつぶやいた。


 ”ゴホン、そう言うことで皆様、ナイジェルがジョセフィーヌ妃殿下の結婚相手という事に納得されましたかな?”


 ジョセフィーヌの求婚から大分話がそれてしまったので宰相が軌道修正する。

 広間は大きな拍手に包まれた。


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