第5話 私が差し上げられるものは

 

 そして最後の審判の夜が来た。この夜会で候補者たちは各々がジョセフィーヌに贈り物を差し出し彼女がそれを受け取ることで夫となる人物が決定するのだ。


 ジョセフィーヌの前に九人の男が一人ずつ出てきて口上を述べた。


‟妃殿下、私は貴女様にわが領地で採れる金の一割を毎年捧げましょう。慈悲深いあなた様は貧困にあえぐ子供たちを憂いておいででした。私が差し上げる金を使って恵まれない子供たちのために学び舎を作ることも病院を作ることも、お好きなようにお使いください”


 ある裕福な伯爵領の嫡男の言葉に周りはどよめいた。


 ジョセフィーヌは微笑んだ。


 伯爵領で採れる金の量ってどれくらいなのかしら?この方はご存じなのかしら? でも素敵ね。そのお金でまず孤児院を建てて、次は隣に病院を建ててナイジェルがそこで患者たちを診察して。私はあまり人のお世話は得意ではないから隣の孤児院で子供たちに勉強や剣を教えるわ。そしてお昼は一緒に食べるの。ナイジェルはいつも私にはうるさく言うくせに自分はすぐ食事を忘れるから今度は私が言うのよ。‟ちゃんと食事をとらないと体に良くないのよ”って。そうだわ、私も簡単なものくらい作れるようにならなくちゃ。


 彼女は一人妄想していた。



 男たちはその後も驚くような、そしてほとんどの者がジョセフィーヌが喜びそうなものを差し出した。彼らがいかに真剣に彼女と会話し人となりを理解しようとしたか努力がうかがわれた。

 中には

‟毎日一着新しいドレスを新調して差し上げます”という者もいてこの時点ではジョセフィーヌの妄想は一時凍結したが。

 そして


‟妃殿下。私はあなた様のためにに大きな船を作りましょう。そしてあなた様が行きたいと思う国、行ったことがない国どこへでもお連れします。世界中の珍しいものを見て違う文化を経験できるようお供いたします”


 海運王の息子パリスが言った。確かに素晴らしい体験が出来そうだ。好奇心の旺盛な活発なジョセフィーヌ様なら喜びそうだと彼女を知る誰もがそう思った。

 ジョセフィーヌはまた微笑んだ。


 船で世界中を回るのもいいわね。ナイジェルはいつも東国でしか取れない薬草や、南国でしか採れない薬草の事を夢に見てるわ。一緒に船で旅をしながら薬草を集めてたくさん薬を作れるわね。南国にはちょっと未開の怖い国もあると聞くから剣や弓の腕ももっと磨いておかないと。


 また妄想していた。


 そして九人目が隣国のロドリゲス王太子だった。彼は誰の目にも最有力候補だ。

 彼はジョセフィーヌの前に跪くと


‟ジョセフィーヌ様、私は将来国王となる身。我が国一国を差し上げたいというのはわが国民に対して不遜な言い方だが私は貴女と共に理想とする国を作り上げていきたい。王妃の座を”


 おお!と周りで声が上がった。予想できたことだが皆さすがに興奮は隠せない。さらに


‟そして私は貴女以外に妃は持たないと誓う”


 これにはさすがにジョセフィーヌも他の王族も驚いた。ジョセフィーヌは少し眉を顰め


 ”仮に私がそのお言葉を受け取ったとして子が出来なかった時はいかがなさるおつもりですか?”


 ロドリゲスは自信ありげに微笑み


‟その時は養子を迎えて後継ぎとします”


 確かに誠実そうなお答えだけれど、そんなこと今簡単に約束してしまっていいのかしら?それともそんな口約束はその時になったら反故にしてしまうおつもりかしら?だってこの方には確か…


 などと考えていたが


‟それでは、これで候補者全ての求婚は終わりでよろしいか”


 と言う宰相の声にハッとした。


 ナイジェル…いない。


 周りを見渡してもナイジェルの姿はどこにもなかった。


 意気地なし。それとも私が誰のお嫁になってもかまわないの?


 思わず涙がこみ上げそうになるのを必死で瞬きで堪える。


‟では、殿下。お心は?”


 気づかわし気に宰相に促されてジョセフィーヌはぎゅっと胸の前で拳を握りこんだ。


 ナイジェル ナイジェル


 ‟私は…”


 その時、


‟お待ちください!”


 と、悲鳴のような叫びが広間の入り口から届いた。


 ”ナイジェル!”


 ナイジェルは扉を守っている兵士に抑えられていた。彼は普段と変わらない白いシャツにズボン。しかし着物はよれっていて結わえた髪はぼさぼさだ。とても王女に求婚に来た者の出で立ちではない。


‟その者を放せ!”


 王太子の威圧的な声が響く。


‟し、しかし…”


 鞘が付いたままの剣でナイジェルを押さえたいる兵士がまだ躊躇している。


‟誰かにナイジェルを広間に入れるなとでも命令されたのか”


 ひやりとするアンリ王太子の声に護衛はしぶしぶナイジェルを放した。どこかで小さな舌打ちがしたがそれを聞いた者はほとんどいないだろう。


 ‟ナイジェル、ここへ”


 アンリの前まで来てよろめき膝をついたナイジェルに声を落として問いかける。


‟今宵はジョセフィーヌ第二王女にとって一生を左右する大切な日。カトリーヌ第一王女に推薦された候補者でありながらそれに遅刻してくるとは、ジョセフィーヌは其方にとってその程度の人間でしかないのか?”


 ジョセフィーヌは言葉もなく口元を押さえてナイジェルを凝視している。


‟い、いえ!その様なことは決して”


 ナイジェルは平伏する。彼の無様な姿にクスクスと笑い声が聞こえてくる。


‟ではなぜ”


‟それは…”


‟ナイジェル、答えなさい。あなたは答える義務があります”


 カトリーヌが静かに問いかけた。


‟…昼頃、コーエン伯爵領より使いが来まして御令嬢が誤って毒物を飲んでしまったかもしれないので急遽診察に来て欲しいと言われ”


 ひっという声が聞こえてきた。数名の視線がそちらに向くが王女は無視する。


‟伯爵領は馬で三時間はかかる距離ね。そして今戻ったの?”


‟はい、いえ少し前に戻りましたが城門の前で酔っ払いに絡まれ、いま広間の前で護衛兵士に止められ”


‟御令嬢の容態は”


‟幸い毒を飲んだというのは勘違いだったようでご無事です”


表情を和らげ幸い、という言葉を使うナイジェルにアンリは苦笑し


‟いろいろと妨害されたというわけか”


 チラリと伯爵令息を見て呆れたようなため息をついたがそれについては何も言わずまたナイジェルに向きあう。


‟其方、ジョセフィーヌへの贈り物は携えて来たのか?”


 と穏やかな声で尋ねた。

 ナイジェルは一度目を伏せた後覚悟したように顔を上げ


‟はい”


 と答える。


‟では、それを妃殿下に進呈しなさい”


 宰相が改まった声で促す。

 ナイジェルはジョセフィーヌの前まで進み出て再び跪いた。

 ジョセフィーヌは震えている。ナイジェルは


‟ジョセフィーヌ様。ずっとお慕いしておりました。私と結婚してください”


 そしてすっと手を伸ばす。


 ”私が差し上げられるものは貴女への想いとこの身とこれからの私の時間だけです“


 周りにいるものはあっけにとられた。


 それでは何も持たずに求婚してるのと同じではないか。

 なんと身の程知らずな。


 ざわざわとあちこちからささやきが聞こえてきた。ささやきではなくむしろ呆れた大っぴらな蔑みや非難の声だ。しかしナイジェルは顔を上げジョセフィーヌだけを見つめ差し伸べた手を引っ込めようとしなかった。

 ナイジェルが広間に入ってきてから自分の口元を押さえ嗚咽をこらえていたジョセフィーヌだがとうとう涙腺が決壊した。


‟う、うえ…ナイジェル…ありがとう”


 ナイジェルの顔もくしゃくしゃになった。


‟ジョセフィーヌ。それはお前がナイジェルの贈ったものを受け取るという意味か?”


 アンリがやさしく訊いた。


‟はい!はい、お兄様。ナイジェル、あなたと結婚します”


 そう言うとジョセフィーヌは跪いてナイジェルに抱きついた。


‟ひ、姫様…”


 ナイジェルはこわごわとその背中に手をまわそうとしては止まるを繰り返す。

 おお!という驚きの声、まさか!という驚愕の声が広間に広がった。


‟それではこれでジョセフィーヌ妃殿下の婚姻相手はナイジェル.オトゥールとする”


 宰相が重々しく発表した。


‟お待ちください!”


 声を上げたのはパリスだった。


‟いったいこれは、何が何だか…納得いたしかねる”


‟それはどういう?”


 宰相が首をかしげる。


‟この者が一体何の贈り物をしたというのか。ただ求婚しただけではないか”


‟それが妃殿下の望んだ事です”


‟なに?”


‟求婚の言葉だ”


 アンリが答える。

 それは特に‟ナイジェルからの”という但し書きが付くのだがそこを突っ込まれると困るので敢えて黙っていた。


‟ならばただ、嫁に来てくれと言えばよかったというのか?”


 そんな、というつぶやきが聞こえてきた。


‟待たれよ。求婚と言うのなら私はジョセフィーヌ様に求婚したはずだ。王妃の座を差し出したぞ”


 そこで声を上げたのはロドリゲスだった。

 だがアンリはそれに対して眉を下げた。


‟確かに、貴殿の申し込みはジョセフィーヌにとって身に余るものだっただろう”


 ジョセフィーヌは受け取らなかったが。

 そして言いにくいことを言うように続ける。


‟だが、貴殿には国に既に愛妾がおられるだろう”


‟!”


‟それ自体を責めるつもりはない。貴殿の身分を考えれば珍しいことではない。しかし先ほどの求婚の言葉を思い返すと真実とは、誠実とはいいがたいのではないか。それとも平民の愛妾は妃ではないと言うつもりか”


‟そ、それは…”


 ロドリゲスは口ごもった。

 頼むからここで口を噤んでくれ。これ以上隣国の王太子に恥はかかせたくない。

 アンリは心の中で祈った。

 しかし、とパリスが声を上げる。


‟その者の求婚を待っていたというのならこんなものは茶番ではないか。それでは他の二つの条件はいったいどうなるのだ。最初からその者だけが特別扱いをされていたというわけですか!”


 興奮したせいで王族に対して不敬な物言いをしているパリスにアンリはほくそ笑んだ。この質問を待っていたのだ。このままなし崩しにこの夜会を終わらせれば不満が残る。それは今後のナイジェルやその家族にとってはいいことではない。


‟確かに私もこのままでは納得いたしかねます”


 伯爵令息が言った。そうだそうだと他の求婚者も声を上げる。

 説明をするために口を開こうとしたアンリに


‟お兄様、ここからは私が”


 とカトリーヌは声を上げた。彼女はナイジェルとジョセフィーヌを優しく見やると中央に進み出た。

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