第4話 ヘタレナイジェルの功績とは?
ジョセフィーヌ様は幼いころ体が弱くよく熱を出して寝込んでいた。父ラファエルについて王宮に行った時真っ赤な顔でゼイゼイしながらベッドに横たわっている小さな姫を見て自分の胸が苦しくなった。苦い薬湯を嫌がりなかなか飲もうとしない彼女をなだめるのには時間がかかりなかなかの難題だった。
‟私が先ず飲んで見せますから。ほら、大丈夫。そんなに苦くありませんよ”
‟姫様、薬湯の後に蜂蜜を差し上げますから”
いつの間にかそれが習慣になった。ナイジェルが一口飲む。そしてそのままジョセフィーヌに器を渡す。ナイジェルの動作をじっと見つめて器を受け取ると彼女はしぶしぶ薬湯を飲み、そして口を開ける。顔をしかめて口を開け蜂蜜を待つ姫様が不敬ながらかわいらしくて仕方がなくなってしまった。後から他の侍女たちにナイジェルでなければ姫様は薬湯を飲まれない、と聞いて誇らしくてうれしくなってしまったのも秘密である。まるで姫様の特別になれたような気になったのだ。
姫様の様子をよく観察しながら少しづつ外の空気を吸うようにし行動範囲を広げ、好き嫌いしないようにおいしくて滋養のある献立を考え、病気を治すのではなく病気にならないように体を丈夫にしていくようにお世話をした。幸い父は王宮医師。望めばこの国最高の文献や隣国の書物も手に入る。姫様の健康を守るための知識を得る手段は豊富にあった。
姫様は次第に熱をだして寝こんだり咳の発作を起こしたりしなくなり、むしろ普通の令嬢よりも活発に動くようになった。
『私は騎士になってナイジェルを守るのよ』と言われた時にさすがに男として複雑な気持ちになったが。
俺はずっとこうやって姫様のお傍にいられると何の根拠もなく思っていた。
姫様を美しいと思うようになってしまったのはいつのころからだろうか。細くて折れそうだった腕が少しふっくらし始め体を鍛えることによって付いたしなやかな筋肉。すらりとした肢体に輝く銀の髪と紺碧の瞳。女たちは彼女を羨み男たちは彼女を崇める。ずっとお傍にいて鼻水を拭いたりして差し上げてた所為か彼女の美醜を気にしたことは無かった。ただ可愛らしい俺の姫様だと思っていた。それがどんなに不遜なことだったか気が付かなかった。美しく成長された彼女の目をまともに見れなくなり、同時に自らを振り返る。
この国では異質の褐色の肌をした貧乏子爵の息子。剣を手にしてもまともに振る事すら出来ない。両親や自らを恥じてはいないが王女の隣に立つのにふさわしい人間だとはとても思えない。
ジョセフィーヌ様のためと言いながら俺は怖いのだ。
『野蛮な国の奴隷を先祖に持つお前が大きな顔で王宮をうろつくなど身のほど知らずが』
子供のころから幾度と言われてきた蔑みの言葉。今になって身に染みる。
だけど
『他の殿方と夫婦になったジョセフィーヌを本当に見守り続けることが出来るの?』
カトリーヌ様の声が蘇える。答えは ‟無理だ”
『明日あなたが来てくれなかったら…私は誰かのお嫁になるのよ?』
ジョセフィーヌ様の顔が蘇える。答えは ‟いやだ!”
頭が沸騰しそうになり拳を机にたたきつけた。
~~~
‟カトリーヌ様、十年前のこととは何ですか?”
婚約者に肩を抱かれて滲んできた涙を拭いていたカトリーヌはふと顔を上げた。
‟あなたにはまだ話しておりませんでしたわね。まあ、ある意味国家の秘密だったと言えますから。今となっては隠し立てする必要もない事ですが。砂肌病をご存じでしょう?”
‟ああ、冬に流行する高熱と発疹がでる病気ですね。致死率が高くて恐れられていたが十年ほど前に治療法が確立されたという”
突然の無関係に思える話をしだしたカトリーヌに婚約者は頭の中にある知識を引き出しながら答えた。
‟十年前私もジョセフィーヌもあの病にかかりましたの”
彼は驚きに目を見開いた。
‟そうだったのですか。お二人とも後遺症もなく回復されよかった。そう言えば、あれの治療薬を生み出したのはたしかこの国の医師でしたか”
砂肌病は罹患すると先ず風邪のような症状から始まるが高熱が長く続くのため体力を奪われ脱水に陥る。子供や老人、栄養が行き届いていない貧乏な者達はこの時点で命を落とすことが多い。その後全身に発疹が出るが肌がひどく炎症を起こしその痒みが凄まじい。血が出る程かきむしってしまうので膿んでしまい仮に回復しても生涯砂のようにざらざらした肌が体中を覆うことになるのだ。誰かが一日中病人に付き添って冷たい布で体中を冷やしながら肌を保護すればかなり後遺症は抑えられるのだが裕福な家で熱さましを買う金と人手がある家でなければそれは望めない。若い娘などは命が助かってもその‟砂肌“の所為で嫁の行き宛も無く絶望して自ら命を絶ってしまった例もあるのだった。
‟そう、私たちが罹ったあの冬が正に奇跡の年だったのです。あの苦しみは思い出すだけでも今でも怖気がするわ”
自分の両腕を抱きしめて身震いするカトリーヌを婚約者はそっと抱き寄せ背中をさすった。
‟そしてあの悪魔のような病の治療方法を考え出したがナイジェルなのです”
‟え?でも十年前と言えば彼はまだ十五、六才だったんじゃ…?”
“本当のことなのです。彼は天才と言えるでしょう”
‟でもそんな話は聞いたことがないですが”
‟効果的な熱さまし、咳止め、かゆみ止め調合と水分補給の徹底。それに加えてあの鮫肌の原因となる小さな『毒虫』に対して強力な力を持つ薬。その薬を発疹が出てすぐ飲めば劇的に症状を抑えることが出来て後遺症が出ることが無くなった”
‟それを創り出したのが彼だというのですか…でも、どうしてそれが秘されていたのですか?”
‟国内ならば特に問題なかったのだけれど、国外から薬を求められた時、全くの新しい薬を作り出したのがたった十五.六歳の子供だと知れたら信用してもらえないと懸念されたのです”
‟でもそれは信用するしない相手方の勝手では”
‟それでは救えるかもしれない命が救えなくなるとナイジェルが言ったのです。自分の名を伏せることで信用してもらえるならその方がいいと”
‟それは何とも無私な考え方だな”
‟それに加えて万が一効かなかったり他に問題が起こった場合国際問題になる可能性を危惧してラファエルが自分を責任者にするよう進言したの”
‟確かにそれは賢明な判断だ”
‟結局父上、陛下は状況が落ち着くまではラファエルの名前も敢えて出さず国として責任を持つことにして他国に薬を提供したのです。砂肌病を死病と怖れられないくなってからしばらく経つから、ラファエル達自身忘れてるでしょうね”
名誉や功績など頓着しない父子を思い、カトリーヌはクスリと笑った。
‟そうでしたか。それならばこのことを公にすればナイジェル殿はこの国どころか大陸の救世主として堂々とジョセフィーヌ様に求婚出来るじゃないですか”
‟そうなのですけど…だから条件の一つ目は問題ないのです。二つ目だって…”
‟勇気?”
‟それだって彼には普通の人にはできないことを王に進言して、それを成し遂げたことがある。だけどそういう事ではないの。三つ目の条件が一番大切なのよ”
‟ジョセフィーヌ様が欲しいもの…”
‟それを差し出せるのは彼だけだというのに”
カトリーヌは目を伏せる。
ナイジェルの功績を見ればジョセフィーヌに求婚する資格はある。王家で婚姻を進めれば可能だろう。快くなく思っている輩はいても表立って反対は出来ない。だが、彼自身がそれを望まなければいけないのだ。結婚後も彼の肌の色や控えめな性格を見下す勘違い野郎が嫌がらせをしてくるだろう。それに対してナイジェル自身が胸を張ってジョセフィーヌの隣に立ち続ける覚悟を持っていなければ二人が愛し合っていたとしても彼は苦しむことになりいずれ二人の関係は破綻するだろう。
お願いナイジェル。あの時の勇気を思い出して。あなたが勇気を出してくれたら私たちはいくらでも助けてあげるから。
カトリーヌは心の底から祈った
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