第2話 ジョセフィーヌとナイジェル
それから一月ほどの間、山のような求婚者の選別のために王宮の役人たちは寝る暇もないほどだった。求婚者の身分を問わない募集だったため平民からもダメ元の申し込みが殺到したが、さすがに身元は確認しなければいけないのでの先ず役所で
最終までに残った者の中には、隣国の王太子、将軍の嫡男、海運を牛耳る豪商の息子など皆
それから十日ほどの間ジョセフィーヌは毎日のように
五日目の朝、ジョセフィーヌは疲労を訴え今日の外出予定はキャンセルされた。午前中王宮内の庭園を数名の候補者と散歩をしながら会話をし、その後自室に戻ると侍女に手伝ってもらい着ていた鮮やかな緑ののドレスを脱いで淡い桃色のシュミーズドレスに着替える。
庭の見える窓辺の長椅子にくったりと身をもたせ掛けはーっとため息をつく。
‟疲れた…”
姉の提案を聞いた時にはいいアイデアだと思ったけれど連日ほぼ初対面の男達との会話や外出、そして質問攻めの毎日だ。候補者たちは皆躍起になって彼女の欲しいものを探ろうとしている。その必死さに申し訳なく思い質問にはできる限り応えるようにしているのだが。
だけど私が欲しいものをくれることが出来るのは一人しかいない。
その一人がそれを差し出してくれるのかどうか今は不安で仕方がない。
ぼんやりと窓から美しく整えられた庭園の花々を眺めていると部屋の扉の向こうで誰かがノックする。侍女が扉を開けるとそこにカトリーヌがいた。彼女はジョセフィーヌがややだらしなく長椅子でくつろいでいるのを見ると苦笑しながら傍に来て隣に腰を掛け肩にかかっている髪を優しく後ろに流した。
‟疲れているようね。ゆっくり休めるように薬湯を持ってこさせたわ”
カトリーヌが後ろを見やると薬湯の器を乗せた盆を手にした若い男が立っていた。
ジョセフィーヌの表情が。パッと明るくなった。
‟ナイジェル!来てくれたの?”
紅色の柔らかそうな髪と穏やかな眼差しの青年は長椅子の傍に来ると片膝をつき器を差し出す。
‟これは?”
ジョセフィーヌが問うとナイジェルは実に自然に器を手に取って先ず自分で飲んで見せてからそれを差し出した。二人の間での毒見はいつもこうして行われてきた。毒見と言うよりはそれが飲める代物であると証明しているのだが。
‟気持ちを静める薬草と少し眠くなる薬草を使っております”
‟苦い?”
首をかしげて問うそのしぐさは美しい顔を普段よりも幼く見せる。
‟少し…ですがお口直しに蜂蜜をお持ちしました”
‟混ぜちゃダメ?”
‟混ぜても苦みは消えませぬゆえ飲まれた後に蜂蜜でお口直しをした方が良いとご存じでしょう”
甘えた質問にナイジェルは苦笑して答える。
‟そうよね…”
少しの間器を眺めていた姫はエイ!と覚悟を決めたように一気に中身を飲み干した。
‟~~!@☆!!”
思い切り顔をしかめると目を瞑ったまま口を開けた。
‟…”
蜂蜜が入った器を掲げ持っていたナイジェルは困ったように眉を下げる。だが、姫は目を瞑ってあーんと口を開けたままだ。ナイジェルは仕方なく添えられている小さじに蜂蜜を掬うと、そっと姫の口元に持っていった。
ぱく!
口を閉じ蜂蜜を味わったジョセフィーヌは小さじを咥えたままぱちりと両目を開ける。
目が合った。
一秒間。
宝石の瞳に魅入られる。
‟あらあらあなたはいつまでたっても甘えん坊さんね”
クスクスとカトリーヌの含み笑いが聞こえてきた。
ハッとしてナイジェルは退く。
‟それでは姫様、ゆっくりお休みください”
‟もう行ってしまうの?”
さみしそうな縋るような目で彼を見る姫。
‟…姫様と長い時間対面することは許されておりませぬゆえ”
ナイジェルはそっと目を伏せ、そのまま礼をすると退室した。
その後ろ姿を見送りながらジョセフィーヌは一月ほど前の会話を思い出す。
『婿を選べと言われたわ』
いつものように裏庭で薬草の世話をしているナイジェルのもとに来たジョセフィーヌは唐突に話を切り出した。
『そうですか…』
『今まで誰からの求婚も断ってきたけど、もうこれ以上は無理って言われたの』
ナイジェルは作業の手を止めない。
『…』
『ねえナイジェル。約束覚えてる?』
ジョセフィーヌは真剣な眼差しをナイジェルに向けたが彼の視線は草花に向けられたまま。
『子供の頃の他愛のない戯れ言です』
『でも!私は忘れたことは無かったわ!』
『ねえナイジェル。約束の言葉を覚えてる?』
ジョセフィーヌは問いを繰り返す。
『…』
『あの言葉、本当に戯れ言だったの?それともあなたは忘れてしまったの?』
初めてナイジェルの手が止まった。
『…せん』
『え?』
『忘れるはずありません!』
それを聞きパッと目を輝かせたジョセフィーヌにナイジェルはすぐ、でもと続ける。
『王女殿下と貧乏子爵の息子との結婚など許されるはずがありません。しかも俺は…』
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『これから先私が姫様のお体が丈夫になられるようお傍で精一杯お仕えしたします。その為に私の時間と知識を使って姫様が健やかに過ごされるように努力し続けることを誓います』
十三年も前、ナイジェルは王家にこの誓いを立てた。王宮医ラファエルの息子であり優秀だったナイジェルは勉強の傍ら幼いながらも見習いとして王族に紹介されて間もなくのことだった。その時ジョセフィーヌは熱に浮かされており、彼女の前でその誓いが繰り返されたのは数日後のこと。
『それってナイジェルがずっと私の傍に居て守ってくれるという事?』
まだベッドで安静にしているジョセフィーヌはナイジェルの方に首を動かした。部屋には二人きり。侍女は姫の熱を取るための水を交換しに部屋を出ていた。
『え?そ、それは、はい、そうです』
天使の様に微笑むジョセフィーヌにナイジェルはドキドキした。
『ずっと一緒にいるんでしょう?それなら私はナイジェルのお嫁様になるってことね』
『いえ、姫様、それは』
『ナイジェル。さっきの言葉をもう一度言ってちょうだい』
『…私は姫様のお傍で姫様が健やかにお過ごしできるように私の時間と知識を使うことを誓います。健康な時は更に健康になるように、ケガや病に侵されたときはより早く回復するように』
『ずっと?』
『ずっとです』
『だったらやっぱり結婚するのだわ。あなたが言ったことはお兄様が結婚された時の誓いの言葉と同じだもの』
『え、そうなのですか?』
『そうよ、ナイジェル。約束よ。誓い、守ってね。私も元気になってあなたを守れるように強くなるわ』
ジョセフィーヌはそう言うと、よいしょと体を起こしナイジェルのの方へ顔を近づけるとサクランボの様な唇をまだ戸惑っている彼の唇に重ねた。
チュッ
『誓いのキスをしたわ。返事は?ナイジェル』
花のように笑うジョセフィーヌに、ナイジェルは顔を真っ赤にさせて
『は、はい。誓います』
と言うなりひっくり返った。
ジョセフィーヌの六歳、ナイジェル十三歳になったばかりだった。
ナイジェルは王宮で働く侍女である母親と王宮医師を父親に持つ。父親は優秀でありながら世渡りは下手な貧乏子爵で、才能を重んじる国王一家が重用しているためなんとか王宮で生き延びているような人物だ。息子であるナイジェルは父親をしのぐ頭脳の持ち主で特に薬学に秀でておりかなり若年の頃から父の手伝いをしてきた。その為小さいころ病弱だったジョセフィーヌが体調を崩す度にナイジェルが近くで世話してきた。だから彼女も彼の前ではついつい弱音を吐いたり甘えたりしてしまうのである。
ナイジェルはアカデミーを優秀な成績で卒業した後、医師として経験を積むために父や他の医師たちの手伝いをしつつジョセフィーヌの健康管理を今も続けている。
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ナイジェルが退室した後、しょんぼりとしたジョセフィーヌの隣に腰を掛けたカトリーヌは優しく銀色の髪をなでる。
‟大丈夫。大丈夫よジョセフィーヌ。彼を信じましょう“
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