サトゥルヌーダの酒

上月祈 かみづきいのり

サトゥルヌーダの酒

 僕はよく風変りだと言われる。

 酒の知識が豊富なくせに酒を飲まないからだ。

 飲まない健康上の理由はないし、以前はそもそもよく飲むほうだった。もちろん飲まなくなった理由はある。

 でも、なかなか他人にそれを言う気にはなれないんだ。

 にもかかわらず、あなたに話すには理由がある。

 あなたは僕を好いているだろう、見りゃわかるよ。

 それが関係しているかは分からないが、おせっかいなんだよ。

 おせっかいというのは、小さな小さな侵略だ。いやな言葉かもしれないが、これからする話にとって重要なんだ。

 お願いだから話をしっかりと聞いていてほしい、いいね?

 僕はもう三十五になる。

 話す出来事は十一年さかのぼった二十四のとき。友人と酒を飲んでいた。

 友人がね、心配せずにはいられない奴だったんだよ。

 風が吹けば軽々しい音とともに折れてしまうような脆さだったんだよ。もちろん、精神面での話だよ?

 どういうわけか、ささいなことで崩れてしまう奴だった。

 そのことについてたずねたら、

「ずれたチューニングのラジオをボリュームが大きいまま、小さくすることができなかったら誰でも嫌になるだろ? あれと同じだよ」

 と言ってたよ。僕にはピンとこなかったが、彼はとにかくそのことで苦労していたようだ。

 だから、今だから言えるけど。

 僕も彼の苦しみのひとつだったんだ。

 ごめん、話が逸れてしまったね。

 彼と酒を飲んだ話に戻そう。

 彼はいつも微笑んでいるけど悲しそうだった。彼に対して言ったことはないけどまるで、悲しみが恋人として彼を選んでしまったみたいだった。

 朱に交われば赤くなるというだろ?

 あいと交われば青ざめていくのさ。

 僕としては彼を励ましたかった。

 本当に、それだけだ。

 彼はさ、別に酒が嫌いなわけでもないし、溺れるわけでもない。たしなむことを知っていたんだ。

 そのときは、もうお互いに社会人になって二年が経つし、その生活に慣れきっていた。

 少なくとも、僕は社会人生活の要領を得たつもりだった。

 交わした話というのは実を言うと、内容は憶えていないんだ。僕がした話はね。

 酒が入っていたのもあるけど、彼の表情のほうが勝っているんだ。隠してはいたけど悲愴だったよ。

 言ったろ? 『悲しみが恋人』だってさ。

 たぶん僕は、悲しみとあいつの縁を切ってやろうとしてたんだな。

 どこかで、彼から切り出した。

 そこからのことは覚えている。

「サトゥルヌーダの酒って知ってる?」

 って彼は言ったんだよ。それも、とてもとても有名な酒だって。

 でも僕は知らなかった。他人の評価を借りれば、僕は酒に詳しい。有名ならば酒を知っているはずだけど、聞いたこともない。からかってるんだって思ったんだ。お返しに笑ってやった。

「聞いたことないよ、そんなの。どうしたよ、急に?」

 儚げな笑みで、グラスを空にした彼は一万円をテーブルに置いて、

「帰るよ」

 といってさっさと帰った。

 それっきりだ。

 あいつが恋人と帰ってしまったあとは、今でも会っていない。当時の僕はムッとしていたよ。彼のことよりも自分の怒りを見ていた。

 ムッとしてしまったんだよ。

 彼と二度と会えないことを悟ったあとが、関係の崩れの完了だった。連絡なんて当然だけどさ、もうつかないよ。

 色々調べたけれど結局、サトゥルヌーダの酒なんてなかった。ついに分からなかった。

 まぁ、どうしてそんなことを言ったのかは知りたかったな。

 冗談だと笑ったのがいけなかったのか、今でも分からない彼の気持ちを知らなかったのが悪かったのか、癇癪かんしゃくなのか。

 でも、もうちょっと彼の話を聞けばよかった。もう聞けないんだからさ。

 ああ、そうだ。何が言いたいかって言うとね。

 とりあえず、なにもしないことも重要だってことだよ。おせっかいなんて、にしき御旗みはたを掲げた侵略なんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サトゥルヌーダの酒 上月祈 かみづきいのり @Arikimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画