第3話 肉襦袢の仮面

「次は、何をすべきかね」


ぶんぶんと風車かざぐるまの如く俺の腕を振り回して歩く連翹れんぎょうを尻目に、漸く脳髄の平穏を取り戻した俺は何処までも続く光の通路を眺めながら今後の行方を思案していた。

どうせ戻る気など無いので、二股三股の分かれ道を四つほど川の流木のように身を任せて曲りくねってきたが、景色は相も変わらずといったところで、いい加減飽きが出始めてきたのだ。


「ボクはお兄さまと探検出来て、とても嬉しいです!」


しかしコイツの緩みきった頬と俺に対する信頼、というか懐きようは一体何処から湧いて出てきているのだろうか。その過程が分からぬ事には嬉しさではなく訝しさがよぎるばかりで、理由を訊いても「お兄さまだからです!」とおよそ答えとは呼べないものが返ってきて、その返事を聞くたびに目の奥を覗こうとしても映るのは不味い男のデコのみで、邪推する自分が馬鹿馬鹿しく思えた。


「しかし、お前も一生こうは成りたくないだろう」


無駄とおもいつつ、チラリと目を覗いて訊く。


「ボクは、お兄さまと一緒なら何だって楽しい!」


そう言って頭を俺のほうへ傾ける連翹の微笑みむ瞳は、何処を見上げているのかは矢張り解らない。一体連翹は俺の何を知っているというのか、無償の信頼だって、もう少し調査と投資があって初めて買い取るものではなかったのか。連翹の被る仮面は余程精巧に創られているのか、覗き目は終に見つからず。…………よもやこれが真であり正体とは思えない。そんな筈は無い。


「……もしお前が良くても、俺としてはそろそろ何か変わらんことにはなあ」


「じゃあじゃあ、開けようよ」


連翹が指さす先にあったのは黒く光る木製の扉。館にあったモノと同じような。

一人で彷徨っていた時には無かった壁の装飾では無いかと思う程一定間隔に大量に貼られた扉の、その一つ。


「まあ…………でもなあ」


俺だって気にならなかったのかと言われれば当然そんな訳もないのだが、いかんせん連翹という前例があった以上、そう迂闊に開ける事は俺にはできない。見た目と言動こそ人畜無害な風貌だった連翹だが、これからも扉を開けるごとに正体不明のに遭遇したとして、毎度こうとは限らないだろう。

それにコイツだって正体不明という点は何も変わらんではないか。


「お邪魔しまーす!」


「おい!」


俺が俯いている内に、連翹がさっさとそのナニかがいるかもしれない空間の蓋を取ろうと、既に取っ手を傾けていた。


「待て待て、俺が開けるから、後ろに居ろ」


「はーい!」


迷路屋敷の通路で先ず目につく変化であった数メートル間隔で備え付けられた扉の数々。全てを覗くなどと言うことは出来ないが、それでもいくつかは確認しておかねばならないものだった。怖いからと放っておく訳にもいかない。


「ドアは閉めないでおいてくれ」


俺の横で革ブーツをキュキュと響かせる連翹にそう言い聞かせ、恐る恐る扉の取っ手を掴み、ゆっくりと体重を掛けるように押す。

灯りはついているようで、部屋の中全体があの廊下と同じようにオレンジがかっている。

この部屋は―――


「わ、お兄さま。おっきなテーブル」


「アレは……ああ、ビリヤード台だな」


撞球室、ビリヤードルーム。成程、洋館での屋内遊戯といえばビリヤードとカード、バックギャモンというのがお決まりだろう。この部屋も例に漏れず、撞球台とカードの卓がセットに置かれている。


赤白黄の球がそこいらに転がったままの撞球台に寄る。

飴色を帯びたニスに、擦減った台のラシャ。幾らかは使い廻されていたようだが、当然、台上の球にも、チョークにも、最近使われた形跡は感じられない。


「…………多分、の八重樫邸と同じだな」


書庫へ辿り着くまでに、大抵の部屋は見て廻っていたから解る。ここは八重樫邸二階の客室の廊下から右手側に在った撞球室と同上。少なくとも調度品と、その位置は。

ということは恐らく……


「連翹、突き当りのドアを開けてくれ」


「はい!お兄さま」


袂をふりふりと揺らしながら扉を開けた連翹の背中の先の光景は、またしても見覚えあるものだった。

段ボールや小物が押し詰められた倉庫のような部屋。アレは確か一階の元使用人部屋ではなかったか。

 

俺は駆け足で撞球室から退出し、隣の部屋、その隣の部屋と次々と片っ端から剝ぎ取るように、そしてどれも一瞥にして隣々と開け放つ。


「客室、応接室、これも客室。やっぱり」


間取りと廊下こそ複雑怪奇。されど中身は変わらずということだろうか。

では、アレは如何だろう?

俺は開いたばかりの洋室にあることを確認し、傍まで駆け寄った。


「そりゃ、同じ部屋何だから、窓くらいは在るよな」


さらりと厚みがあるクリーム色のカーテンの奥。硝子は見えなくともまさか捲れば壁の続きとは思えない。

成程こっちから出ても良い訳だ。何もこんな状況で律儀に玄関扉からお暇しなければならない道理はないだろう。


お互いのカーテンのつなぎ目に平手を指しこみ、チラリと中を窺う。

電灯とは違う白い光が目を刺すと思っていたが、その景色は予想よりもはるかに代り映えが無かった。見えるのは相変わらず不味い俺の顔と、その向こうの赤い電灯の光に染まった洋室。

夜だから部屋を反射していて分からないだけかと思っていたが、それも違う。慌ててクルリと鍵を外し、木枠に爪を掛けて上に持ち上げるが、薄く映っていた俺が消えただけで大した違いは無かった。


奥には閉まったままのドア。つまり、別の部屋がある。というだけだった。


「まあ、そう上手くは帰らせてもらえんか」


興奮が冷め、少しばかり脱力感が出た俺は近くにあった古い籐椅子にもたれ掛かる。

矢張ここは複雑怪奇であった。ということか。出口は遠いのか、それともそんなものは無いのか。

黄色い天井を仰ぎ見て、先の自分の発言から「帰る」ことについて夢想した。

こんな狂った迷路はさっさとオサラバしてしてしまいたいのだがなあ。オサラバして、屋敷も出て……親父にはなんと言い訳しようかな、信じてもらえるわけもないしな。こんなの。


さあ帰ろう。帰って…………かえって……………………

帰って、どうするんだろう。

何で無条件に帰りたいと思うのだろう。


やりたいこと、目指すこと……ミンナはあるんだろうか。俺、オレは如何だっけ、あったかなソンナノ。

どこかで籐椅子がキイキイと俺を笑う。

帰りたい、は今は正直薄い。さっきはあれだけ恐ろしいと感じていた迷宮も、俺にとっては今まで滞在していた灰色の現実世界と大差が無いのかもしれない。

では、帰らなければならないからだろうか?

これも、薄い。と言うよりぼんやりしていて、分からない。迷惑はかけるだろうし、少なくとも悲しむ人は三人か、いや二人はいるのかなあ。でも、誰が悲しもうと、そこに俺がいないのだから知ったことではないのではないか。

……俺はいつもこうだ。みんな漠然としていて曇り空の海のように灰色で、それでいて人もモノも皆の顔覗いて疑って。そんで勝手に逃げちまったらソイツの事は奇麗さっぱり夢の中。逃げて守った自分に価値があるでもないのに。


どろりと手すりから腕が垂れ、やがて肩から血が指先に落ちて痺れていくのだけが感覚として最後に残った。

いっそのこと、此処で死んじまってもいいかな。迷って迷って、彷徨って。そいで狂って大声上げて、消える前の蠟燭みたいにキチガイになって踊り狂ったほうがまだ喜劇コメディではないかなあ。


夢想するうち残った痺れも指の先から滴り落ち、今度はすうっと冷たくなって、いつもみたいにどうでも良くなってくる。


ないよなあしたいこと、やりたいこと。したいことやりたいこと。シタイコトヤリタイコト……。そうだ、最近興味が出たヤツがあったような。


瞼の上に光る太陽のような電灯を滲む視界で捉え、その光の中に探し物があるかのように滲む目でその光の中を掘った。


何だっけか、そう、書庫で見たのと、もういっこ。ええとええと―――


「お兄さま!!」


ひぃっと自分でも情けないと想うような素っ頓狂な叫び声を上げ、籐椅子から転げ落ちた。

頭とつま先が天を向き、先ほどまでのまどろんだ意識が現実へと戻ってゆく。

ピントを戻そうとする視界の横に、まあるい影が俺を覗いているのが見えた。

―――連翹だ。


「探しましたよ。お兄さま!」


おう、そうだ忘れるとこだった。でも、久しぶりに覚えてた。


「ああ連翹。相変わらず元気な声だな。思わず吹っ飛ばされたよ」


「そうですか?えへへ…」


……次からはもう少し露骨な皮肉にしようか。


「お椅子で寝て……疲れちゃったの?お兄さま」


そう言って俺を覗く連翹の表情には、心配しつつ、まだ物足りないといった表情が否が応でも伝わる。遠慮も、媚も。まさか、表も裏も?。

……こんな仮面は見たことがない。本当の顔は何処にあるんだ。わからないわからない。……恐ろしい。


「……いや、ちょいと眩暈がしただけだ……そろそろ行こうか」


「はーい!」


瞳の奥は変わらずらんらんと輝きながらも透き通っていて、その視線は俺の皮膚を突き破り、肉を切り裂いて脳の中枢まで捕らえ、俺の全てを見透かしていてる……。

そんな気がして、思わず目を伏せ、体を子犬のように縮めようと……


「行きましょ!お兄さま」


しかし、背中を丸めるよりも速く、連翹が腕を掴んだことで俺の身体は逃げ場所を失くしてしまった。

俺を何処へ連れて行こうというのかと、また言い知れぬ恐怖に襲われ、思わず引っ込めようとしたが、腕の筋肉を硬直させるとともに、包む手がやけにたわやかなことに気が付いた。


「お兄さま。次は何処に連れて行ってくれますか」


その言葉に、俺は初めて連翹の正体の片鱗をみた気がした。

人は成長するたびに醜悪な自分を隠すための仮面を被る必要が出てくる。そして、その仮面は防衛と攻撃を繰り返すたびに顔から頭へ、頭から肩へと広がり、いつしかそれは巨大な肉襦袢となり、本当の自分を更新してしまう


……その肉襦袢を下手に覗き、脱がしてしまったときに出てくる本性からの復讐は、どれ程恐ろしいのだろうか。想像するだけで身が震える。

俺はどんな聖人であろうとこの肉の仮面を被っているものと思っていたし、その正体を探り、然るべき対処を施すことによって己を守ってきたはずだった。


しかし……いや、本当に連翹には其れが無いというのか?

仮面など、最初から付けてはいないというのか。

では、俺はどうすればいい。常に他人に合わせることでしか守れず、ことあるごとに他人に合った肉襦袢を着せ替えるうち、守るべき自分の肉まで剝ぎ取ってしまった俺が本当の人間を対処するなどできるのだろうか。


「……連翹は何処に行きたい」


「お兄さまが行きたいところ」


分かってはいたが、残酷な少女だ。


「―――じゃあ、行こうか」


覚悟はまだできていない。でも連翹も、この館も俺を逃がしてはくれないだろうから、やらなければならない。


「はい、お兄さま」




廊下に響く足音は、二人をよく表していた。

かたやスニーカーはグ、グ、グと歩く床すら信用ならぬと確かめるように。

かたや皮ブーツはそれについていきながら、タンタンタンと踊るように。


そして……



かたや黒く光る半長靴は高級そうな見た目とは裏腹に、ズリ、ズリ、ズリと気づかれぬように、それでいて何かを探す如く用意周到に。


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夢が棲む館 こでぃ @kody05

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