岡山臨港鉄道へ行ったとき

与方藤士朗

じゃあ、リンテツにいこう。


2024年6月9日の日曜日

雨の中、岡山駅前Gホテルのラウンジにて


 日本人男性と外国人女性の二人が、丸いテーブルに集って談笑している。彼らは先週、このホテルに宿泊していた。女性の質問に男性が答える形で行われた。

 それから1週間。先日の録画の文字起こしがある程度出来上がったので、改めて昼から打合せということになったのである。

 彼らは雨の中、岡山駅前に出てきている。天気予報で言われるほどもこのあたりは降水量はないのだが、それでも、今日は岡山には珍しく雨の日。


「ちょっとメルさん、わし、こんなことも思い出してなぁ」

 そう言いつつ、或作家氏は大学教員のフランス系アメリカ人で青い目のメルジーヌ氏にプリントアウトした紙を見せた。彼女は大学でフランス語を教えるほどの人物であるから、日本語もまた堪能。そもそも大学での専攻が日本文学だったくらいであるし、日本での生活も長いので、彼が書くくらいの日本語は母語である英語やフランス語に近いくらいに読みこなすことは可能である。

「じゃあ、大作家さんの玉稿、およみするわね」


・・・・・・・ ・・・・・ ・


「オカリン(岡山臨港鉄道)」に乗りたい」


 かの少年は、そんなことを臨んでいた。

 1980年秋の岡山大学の大学祭。展示のテーマは、岡山臨港鉄道と水島臨海鉄道の2私鉄。

 当時1回生・満19歳の会員が、この両鉄道を会誌で総括していた。


 水島臨海鉄道のほうは貨物輸送は言うに及ばず、旅客輸送も水島と倉敷を結ぶため需要があるから廃止になどならない。だが、岡山臨港鉄道に関しては、貨物輸送も去ることながら旅客輸送についてもそこまでの需要がないから、存続は厳しいのではないか。


 その年の大学祭でスカウトされたかの少年は、短期里親でお世話になっている増本さん宅に行って間もなく、その鉄道のことを増本さん宅の人たちと話した。

 鉄研こと鉄道研究会の先輩方が「オカリン」と言っていたのに対し、この家の上のお兄さんが「リンテツ」と言っていたことを、或作家は今も覚えている。

 この家に短期間ながら夏と冬と春にお泊りさせてもらってもう4年目。相手のことはどちらもよくわかっている。しかもこの春におとまりから帰って間もなく、彼の普段居住する養護施設某園は、郊外の丘の上に移転している。

 これが中学生や高校生ならそうでもないだろうが、小学生というくくりにある彼には、あまりにも窮屈な状況になっている。

 そのことを察した母親は、かの少年の夢を一つ叶えてあげようと思った。


 かくしておとまりの何日目かは覚えていないそうであるが、母親は自分の長男である帰省中の大学生とともに出かけた。

 まずは歩いて善明寺バス停まで行き、そこからバスで岡山駅まで移動し、宇野線の普通列車に乗って次の大元駅へ。大元駅の駅舎のすぐ南側にある切れ込みのホームに、岡山臨港鉄道の気動車が1両で待っていた。少年の御一行様はこの気動車に乗込み、ただただ、終点の岡南元町駅までワインレッドの転換クロスシートの椅子に座って移動した。

 無論この頃の列車のことだ。冷房などなかったが、扇風機が回っていた。

 大元駅で幾分の客を乗せた気動車は、タイフォンを鳴らしてしばらく宇野線と並行して走り、程なく別れていく。ちょっと走った先の岡南新保に到着。さほど客の乗降はない。というより、そもそも客は、そう乗っていなかった。

 何でもこの時期は、高校生の補習もない夏休み期間であったから。

 この鉄道の沿線には県立岡山芳泉高校があるが、この鉄道を使って通学する生徒はそれほどの割合でもない。先の鉄研の先輩があのような総括をされていたのも無理はない。その高校の周りは、ひたすら田園地帯。住宅地として開けつつあるとはいえ、まだまだ長閑な場所であった。

 芳泉高校手前の岡南泉田駅を過ぎると、さらに客は減る。高校横の大きなカーブを曲がり、岡南福田を過ぎたら、ここでひとつ、大きな踏切。岡山労災病院方面に行く上下2車線の大道路を、たった1両の気動車が優雅に通過していく。この踏切を過ぎてもう少し南に下ると、並木町。ここでまた、客が幾分降りる。玉野方面への国道30号を渡り、ショッピングセンターをかすめてもう少し南へ下ると、そこが終点の岡南元町駅である。

 待ち時間を入れても、岡山駅からここまで、1時間も経っていない。

 

 岡南元町駅では、岡山臨港鉄道の記念切符も売っていた。

 母親が気を利かせて、その記念切符も買ってくれた。

 その後彼らは駅の目の前の大通りに出て、少し歩いた先にある築港元町のバス停に移動した。ほどなくバスはやって来た。このバスで天満屋のバスステーションの手前のバス停まで移動し、そこから善明寺行のバスに乗り換えて自宅に戻った。


 約半日、ある夏の日の昼から夕方までの出来事だった。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


「あの後文字起こししていて、こんなことも思い出したのよ。おとといお好み焼きを食べたでしょ、あのあと帰って家で一杯飲んでいたら、ふと思い出したのよ。だから、昨日のうちにざっとまとめてほらこの通り」

 アイスコーヒーのグラスを置いて、女性が尋ねる。

「せーくん、あなた、あれだけ語りつくしたら、嫌な話が出なくなったわね。先日のお好み焼きもそうだけど、今回もまた、普通にお出かけの話じゃない。どこにでもありそうなお話よ、それも。ただ、行く先がちょっと他の男の子とは違うように感じるってのはあるかもしれないけど」

 或作家氏は黙って頷き、目の前の冷やされた黒い液体を吸い取った。


「今日の外の雨、一体、何の雨かしらね・・・」

 そろそろ60歳に差し掛かる青い目の女性が、ぽつりとつぶやくように言った。

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岡山臨港鉄道へ行ったとき 与方藤士朗 @tohshiroy

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