世界の色相 あとがきにかえて

 序論にも記したが、私が本書を書こうと思いたった理由は、以下のようなことがあったからだった。


「世に妖怪物語の創作物は数あれど、真に学術的な妖怪事象研究については、一般には知られていないことも多い。

 妖怪学関係者の雑誌『妖怪年報』の読者投稿欄において、読者に

「世に妖怪の真の事象を知らしめるため、学会関係者にはさらなる奮起を期待する!」

 と、発破をかけられてしまうしまつであった。」


 本作は、そういう事情を我々、妖怪事象研究家も憂慮しているというひとつの現れとして、私の知りうる限りの妖怪事象研究の最先端を、一般の方にも親しみやすく披露した書物である。

 とはいえ、だ。

 もちろん私はその意気込みで書き始めたが、書いてみるとなかなか難しいことに呆然とするばかりだった。実際のところ、目指した成果が期待できる内容になったか、我ながら心もとなく思う次第である。

 妖怪事象学と一般の方々を結ぶ道の前途は遼遠であるが、この著作がその最初の敷石となることを願うばかりだ。


 脳が認識する世界の色相は種によって違う。

 鳥の目が、人間よりも数多くの色を見分けられるように。

 犬の目が、赤を認識しづらくなっているように。

 それは優劣ではなく、進化の過程で生じた種の個性である。

 この種の差異というのは、なにも異種に限った話でもない。

 人間一人一人もまた、その能力や立場、好悪などによって、見ているものは違うはずである。ただ、社会という巨大な組織を動かすため、「あるものについて、複数の者がそれを見たとき、概ねおなじように認識すると仮定する」という幻想を共有してるだけである。

 世界がどんなかたちで、どんな色彩を帯びているのかは、じつのところ人それぞれである。

 

 妖怪事象学は、いちど「人間の物語」なかで便宜上、仮定として形を得て(※)、仮定の「形」が一般に流布、固定概念化してしまった妖怪を、その「きゅうくつな形」から解き放ち、本来の姿を、個性を知りたいと願うものである。

 むろん、完全に知ることができる、と考えるのは傲慢である。

 妖怪たちの見る「世界の色相」を想像し、「我々が認識しえないベクトルがあることを認め」、それを個性として受け入れたとき、我々は彼らに一歩、近づけるのではないかと思っている。


 本作については東北大学(※※)妖怪学部所属研究員、山口県立妖怪事象総合博物館員、東アジア恠異かいい学会所属研究者の数多くの先行研究に助けられた。

 なお、本稿の執筆にあたっては劇作家にして小説家、そして在野の妖怪事象研究家であった別役実氏の著作『もののけづくし』を参考にすることが多かった。

 謹んでお礼を申し上げたい。


  酷暑の頃、東北大学の研究室にて記す。




※さながら原初の仏教では偶像崇拝を禁じるとして「法輪」として顕されていた仏陀が、のちにはさまざまな像として顕されたように。


※※しつこくて申し訳ないが、宮城県の国立東北大学ではなく岩手県の県立の方である。

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