妖怪 岬
古くは鎌倉時代の文献に記録のある妖怪である。
かつては山と山のあいだ、谷の部分に出没し、山に分け入る炭焼きや猟師、村人といった人々から「カヒ」と呼ばれていた。
「カヒ」とは「
漢字の「岬」は古くは「峡谷」の意味であったという。
「岬」の「甲」は「はざま」を意味し、「岬」はすなわち「山のはざま」の意味である。
甲府などはその原義に添った地形からの命名であろう。
それはさておき、この妖怪は、深い霧などに巻かれて道を失った彼らに、みっつの
「ミサキ」の呼称は、この「みっつの
ただし、四国には山ミサキの名称で
また、山ミサキとも関連するが、日本書紀にある八咫烏などもまたミサキの一種であるとされている。
しかしながらこれはカミの使い、あるいは先触れとしての『御先』の意である。山ミサキもまた、山霊などの先触れとしての意味を持っている。
すなわち『妖怪 岬』とはおなじものではない。
『妖怪 岬』のみっつの
ここで「三択」ではなく「二択」ではないか、とツッコミを入れたいところであるが、『妖怪 岬』の説話では、つねに妖怪が示さなかった三番目の道を選んで難を逃れたということになっている。
エスケープルートには口を噤んで、人間に選択を誤らせようとする点で、非常に狡猾な妖怪だと言えなくもないが、すでに鎌倉時代からその対策としてアンチョコが民間に出回っていたのにはどうやら気づいていなかったようである。
説話のなかでは、うっかり間違って提示された二択のうちひとつを選択した者の例はないので、二択を選んだ者がどうなったかについての手がかりはない。
『妖怪 岬』は明治維新を境に次第に谷から海へその住処を移したという。
明治以降におけるこの妖怪に行き逢ったという体験談は圧倒的に海岸沿いに移っている。
東北大学(※)妖怪学科所属
『「岬」の原義は山に挟まれた谷の意味で「峡」と同義だったが、日本では明治時代に海図が製作されるようになり海側へ突出した陸地を指すようになった、とされる。しかし、ほんとうにそうだろうか。明治新政府はこの人心を惑わす『妖怪 岬』の山間部から海岸部への移動を問題視し、漁業従事者や海運業者に注意を促すべく、語句の意味をこの妖怪の出現する海岸部に良く見られる海側に突出した陸地をあらわす漢字に『岬』を当てたのではないか』
あり得ることであろう。
なお、『妖怪 岬』の事象は、現在は観測されない。
妖怪事象学会における『妖怪 岬』に関する異変については、
「あまりにも引っかかる人間がいなくて、拗ねてしまった可能性が高い」
という見解に達している。
また、西洋に伝わる「金の斧、銀の斧」民話との関連も指摘されている。
西洋の「金の斧、銀の斧」も、最近目撃情報がまったくないのは、イソップ寓話の知名度の向上とともに引っかかる人間がいなくなって拗ねてしまった、とか、あまりにも鉄の斧を選ぶ人間が多くて、副賞として贈呈される金と銀の斧の在庫がなくなってしまったために出てこられないのではないか、等、さまざまに西洋魔族・精霊学会(本拠地はジュネーブ)にて議論されているがいまだに定説はない。
※何度も書くが宮城県の国立東北大学ではなく岩手県立東北大学である。
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