コラム さやかな妖怪
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行
妖怪とはなにか?
本稿もなかばとなったこのタイミングで、基本にたちもどって振り返ることには意味があるだろう。
そもそも妖怪とは藤原敏行のこの歌のようなものであると言える。
「妖怪がいる」と噂にはなっていても、実際にその姿をはっきり見た者はいない。
「見た」と言う人がいても、詳しく聞けば聞くほど話は曖昧になっていく。
さらに言えば、科学の基本であるところの再現性もない。
加えて、妖怪がいたところでほとんどの人間はそれに気づくこともないのだ。だが、いつもは気づかない人でも、あるときふと、目の前の事象に違和感を感じるときがある。
そのとき人は、「ああ、わたしはいま妖怪に行き逢ったのだ」と一抹の驚きとともに感じ入ることになる。
もしかするとまた出会うこともあるかも知れないが、ふたたびおなじ妖怪に行き逢ったとしても、「お久しぶり」なとど挨拶をすることはない。
その事象が終わってから、また「あ、わたしはいま妖怪に行き逢ったのだ」と気づく。
妖怪に行き逢うとは、過ぎ去ってから出会っていたことを知る、この繰り返しに他ならない。
秋を心待ちに待っていても、その到来を見ることはなく、すでに秋のさなかにあってはじめて秋が来ていたことを知る、終わってから気づくか、さなかで気づくかの差はあれど、妖怪事象もまたそのようなものである。
妖怪がさやかに我々のまえに姿を顕すことはないと言って良いだろう。
もしも人の目に、妖怪がさやかに見えることがあるとすれば……
『妖精を見るには
妖精の目がいる』
神林長平『戦闘妖精 雪風』
この言葉が端的に表しているように、異なる立ち位置にあるものを、さやかに感受するためには、みずからが異なる立ち位置にまで移動する必要があるのだ。
だから、妖怪が「見える」のだとしたら、その人は妖怪の目を持っているのかもしれない。
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