妖怪 定規

「それってどれくらいのおおきさ?」

 と、なにかの拍子に問われたとき、

「このくらい」

 と、指と指、あるいは手と手、腕をおおきく拡げるなどしておおきさや長さを表現している人は、『妖怪 定規』に取り憑かれていると考えて間違いない。

 この妖怪に憑かれたからといって「このくらい」と表現した長さが正しく「このくらい」になることはない。そういう「正確性」は、その人がそれまでに獲得してきた勘や慣れによるからだ。

 つまり、「10㎝」を現したいと思って親指と人差し指で「このくらいかな」と表現しても、それは5㎝だったり15㎝だったりして、10㎝を正しく現すことはまずないと言っていい。

 もちろん、『妖怪 定規』は長さを現そうとする人間の、表現しようとするその長さを正確に読み取っている。

 そうなのだ。

 『妖怪 定規』は人間があることを表現しようとして正しく表現できない、そのもどかしさのなかに棲んでいる。


 ここまで読んで、あることにピンときた方、あなたはもしかすると創作者かもしれない。


 「人間があることを表現しようとして正しく表現できない、そのもどかしさ」


 これはまさに創作者の苦悩そのものなのである!

 たとえば彫刻、もしくは絵画、音楽、ダンス、あるいは小説……さまざまな創作活動のなかにこのもどかしさはある。

 『妖怪 定規』は、かつてはそういう芸術家、表現者のもどかしさのなかに棲んでいたとされている。

 このことは東北大学(※)妖怪学部妖怪学科 句事唐護持くじからごじ準教授の研究論文によって提起された。

 この論文では、その芸術家のもどかしさのなかに棲んでいた『妖怪 定規』が、戦後、徐々にその棲処を創作とはあまり縁のない一般の人々の「表現へのもどかしさ」に移してきた経緯についても論じられている。

 すなわち、現代社会が庶民に押しつけている長さやおおきさ、時間への正確性によって、庶民は暮らしのなかでなにかにつけ「正確性」を求められるようになっており、それが『妖怪 定規』の居住圏の拡大を招いているというのだ。


 古来より、「表現へのもどかしさ」はその負荷がおおきければおおきいほど人間の心身に影響し、芸術家のなかにはみずから死を選ぶ者もおおく、『妖怪 定規』が棲むには難しい問題があったと言われている。そのためこの妖怪はなかなか増えることができなかったらしい。

 それが社会の変化によって芸術的な苦悩ほどではない日常の「長さや時間」といったものの表現のしづらさに居住圏を拡大したことで、『妖怪 定規』はいま、ひそかに増えている妖怪であると考えられている。


 また、近年、ハンドメイド品のweb販売、web小説のプラットフォーム増加、一日限定の創作イベントの隆盛などによって、創作人口が増えているという統計結果もある。

 このことから『妖怪 定規』は本来の棲処である芸術・表現者への憑依に回帰しつつあるとも言われている。

 なお、『妖怪 定規』もまたかつての経験から憑依する人間のこころの平穏が「表現へのもどかしさ」の安定供給につながるという知識を得たらしい。


 この妖怪に憑かれた表現者は、苦悩を感じるとなにかを食べたくなる傾向があるという。句事唐護持準教授の論文を受けて在野の妖怪研究家神家盈行しんやえいぎょうが調査したところ、『妖怪 定規』に憑かれていない表現者よりも憑かれている表現者の方が、間食の回数が30%増加しているという、衝撃の統計結果が発表された。

 これが真実であれば、恐ろしい事態である。


※しつこいようだが宮城県にある国立東北大学ではなく、岩手県立東北大学である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る