コラム 窓越しの妖怪

 妖怪とはなにか。

 事象によってのみ観測されうる妖怪。それがいったいいかなる「存在なのか」というのは、妖怪学の最初の第一歩にして、永遠の謎だとされている。

 我々は、序論で示したとおり、妖怪の「存在」は、たとえそれが「在った」としても、人間には知覚しがたいものであるため、結局のところ人間は「事象」でしかその存在を確認し得ない、そういうことなのではないか、そう考えている。


 また、『散った妖怪』にあるとおり、たしかに妖怪の源流は天変地異、自然現象にあると言えよう。だが、それは妖怪のことの初めに過ぎない。

 いま、妖怪はどこにでも現れうるとも言える。

 夕涼みのなか、喫茶店、空を飛ぶ鳥や凧、アクアリウム、琥珀糖……森羅万象のなかに妖怪は感受しうると言えるし、気づかずにいることもできるのも間違いない。


 そもそも、気づいたところで意味が無いとも言えるのだ。


 妖怪とは、列車の窓越しに見る風景のようなものであるとも言えるだろう。

 前方に、緑の深い木、あるいはきらきらと輝く水を湛えた水田を見たとする。

 屋根瓦の黒々とした民家でもいい。それがピンとこないなら、東海道新幹線の車窓から見える富士山でもよいかもしれない。

 遠くにあるうちはいつまでも近づいてこないように見える。かと思えば観察する手法を選ぶ間もなく遠くに離れ去って行く。

 たまたまそれに着目しなければ、ほかの風景と同じように流れ去ってしまうものでもある。

 妖怪の実体とは、どこにあるのか。かりにあったとして、どういう存在なのか。

 なぜ我々はそれの生み出す「事象」を感受できるのか。


 私はときにこう考える。

 妖怪もまた、我々に見つけて欲しがっているのではないだろうか?


 謎は多い。

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