飛ぶ妖怪

 空を飛ぶ鳥を見ることは、だれにでもあるだろう。

 たとえば海のかもめ、街の烏や雀、山の雁、夕暮れの蝙蝠、朝の鶺鴒せきれい

 七月、そのなかで一羽だけはぐれて飛んでいるのを見かけたら、それは飛ぶ妖怪である可能性が高い。

 飛ぶタイプの妖怪のしゅは、一種類と限定されているわけではない。飛ぶ妖怪のうち鳥に擬態する種は、なぜか七月によく見かけるという観測結果がある。前述した七月によく観測される『妖怪 夕涼み』との関連も調査中であるが、まだはっきりとした結論はでていない。

 妖怪事象学会構成員のここ三十年のうちに発表された論文を網羅的に集計した結果、『妖怪 喫茶店』などの場所憑依型妖怪ではない妖怪の出現は七月におおいらしい、ということが分かっている。


 飛ぶタイプの妖怪は、『モノ』ではなく『コト』である妖怪のなかでは珍しく視認できる。が、視認しているそれが、妖怪の正しい姿というわけではない。ほんとうはどんな姿をしているのかはだれにも分からない。人間の視覚を惑わし自分を鳥に見せかけているのだ。

 この飛ぶタイプの妖怪は、決して近づいてくることはない。

 飛ぶ妖怪は、目には見えども触れられない妖怪だ、ということが言える。


 飛ぶ妖怪は、ごくまれに凧に擬態することもある。これは七月、八月、一月に比較的多く出現するという報告がある。

 これは少年少女が長期休暇に入り、凧揚げをして遊ぶ期間に対応している。擬態型であるので、「見本」が近くになければいけないのだろう。

 風もないのに尾を勢いよくたなびかせながら飛んでいる、もしくはまるで糸が切れて落ちていくように飛んでいるものがそれらしい。

 ただし、近年の少年少女は凧揚げをしなくなったため、人間の流行廃りには比較的敏感な妖怪たちのこと、凧擬態型飛ぶ妖怪は近年は大変珍しくなったと言える。

 凧擬態型との関連でいえば、見た目の似ている風で飛んだ褌や手ぬぐいに擬態する妖怪『一反木綿いったんもめん』との類似も指摘されているが、一反木綿の出現は特定の月に偏っているわけではないため、その種的な関連は薄いといえる。最近は褌を身につける人もめっきり少なくなり、手ぬぐいではなくタオルになって久しいが、一反木綿はいまでも一反木綿として出現しているというたしかな情報がある。

 飛ぶ妖怪のなかでも一反木綿は特別に愚直なのか、あるいは不器用な妖怪なのであろう。


 話は鳥擬態型飛ぶ妖怪に戻るが、このタイプは鳴くことがある。

 妖怪自身がさみしいからである。

 ただし、はぐれて飛ぶことでも分かるように、集団で行動することに慣れておらず、鳴き方も巧くない。そのため、同じ鳥からは警戒されてやはりひとりぼっちである。

 人間は、そんな飛ぶ妖怪を見たなら、見ない振りをしてほしい。

 決して声を掛けてはならない。

 そう、だれも彼らには触れられないのだから。


 …………どうか。

 オマエモサミシイノカ、などとは、決して……

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