5-5

 ユートとドリーは早足で草原を進む。

 ローバーを停車させた川沿いの平地、そこから更に西側から悲鳴は聞こえて来た。

 川の西側は、土手のように緩やかな坂になっており、声が聞こえて来た先を見渡すことは出来なかった。今は悲鳴こそ聞こえてこないが、大きな物が地面を叩く音は断続的に聞こえてくる。接触はけっして遠くない。



 ユートが坂を上り終えると、先の景色を見渡す。


「川の先はこうなっていたんだ。ずっと草原って訳じゃないんだな」


 僅かに平地が続いた先はくぼ地のようになっており、見渡す限り続いている。

 草地には剥き出しの地面が混ざり、川から離れれば茶色い割合は増えていく。

 時折、木々に混じって岩が大地から突き出していた。風で抉れたのか、中ほどは抉れている。


「ユートさん、あれ……」


 ドリーがマニピュレーターで指し示す。岩場の合間に、土埃が舞っていた。茶色い壁のように広く広がっている。

 再び音がした。同時に、土色の壁の先から、新しい粉塵が舞い上がる。

 距離は遠く、すぐ傍にある木は、ユートの位置からは親指程の大きさにしか見えない。


「遠いな、急いだほうがいい」


 頷くと、ユートは坂道を駆けおりていく。


「あ、待ってよ」


 ユートを追い、ドリーも慌てて歩き出した。だが、慌てたこともありバランスを崩してしまう。踏みとどまることも受け身を取ることも出来ず、そのまま横に転がると、ドラム缶のようなボディが坂道を落ちていく。


「文字通り転がり落ちる奴があるかぁぁぁっ!」

「う、うぁぁぁぁぁっ!? 世界が回るゥゥゥゥゥゥ! シーナ姉ちゃんごめんなさいぃぃぃぃぃっ!?」


 データリンクをしているAIが文句を言っているのだろう。それも無理はない。通信越しに送られてくるカメラの映像はコンマ一秒ごとにバラバラで、コロニーでは処理に混乱しているのだから。


「止まれ止まれ止まれぇぇぇぇっ!」

「ボクが止まりたいです!!!!!!!」


 坂道を見事に転がり落ちて、そのまま平地を爆走する。


「走れ走れ走れ走れ! 強化人間の脚力を見せろアンリミテッドー10!!!」


 ユートの絶叫が空しく荒野に響き渡る。全力疾走にも関わらず、転がるドリーとの距離は離れていくばかりである。

 悪いことに、進路の先に岩が見えた。だが、転がるロボットは曲がれない。


 激しい衝突音とともに、ようやく不毛な追いかけっこは終わった。


「う、うーん……」


 フラフラとドリーは立ち上がる。マンガであれば頭の上に星が回っていることだろう。


「大丈夫か、ドリー」


 ドリーに遅れること数秒、ユートもドリーに追いついた。


「なんとか……ああ、ごめんなさいシーナ姉ちゃん……大丈夫です、本当に大丈夫ですってば」

「と、とりあえずデータリンクは正常に動いているみたいだな」


 データリンクでのやりとりは音声にのらない。だが、誰かからの言葉に目を白黒させているのであれば、通信は無事である。

 ひとまずユートは胸を撫で下ろす。一呼吸して周囲を確認した。


 そこで、異変に気が付いた。


「……あれは」


 岩の影に、何かが転がっている。

 小さな楕円の何か。ユートは近づいて確認をしようとした。


「……ッ!」


 ユートの顔が一気に険しくなる。異物の正体が、彼にそうさせた。


 地面に転がっていたのは、人の死体。

 四肢から頭まで、水分を抜き取られたように皺だらけのミイラのような死体があった。


「ユートさん、これは……」

「ドリー、悪いけど一緒に確認して欲しい。接触センサーで体温とかを正式に図って欲しい」

「う、うん」


 ユートは慎重に死体に触れる。まだ、熱が僅かに残っていた。

 遺体からはミイラのように水分が失せているが、表面は乾ききっておらず、気持ち悪い粘りがある。


「……ユートさん、肌の状況も変だ。自然に乾燥したのなら風化してズタズタの筈なのに、傷自体は殆どない」

「水分だけ抜き去られた状態……まるで、新鮮なミイラみたいだ」

「矛盾した表現だけど、状況的にはそう喩えるのが正しい、と、シーナ姉ちゃんも言ってる」


 ユートは新ためて死体を確認する。

 脈も呼吸もないことは確認した。自然に干からびた、と言うよりは、体から血液を含む体液が全て吸い出されているような状態だった。

 そして、表面には粘液が残っている。


(表面に付着していた粘液……スライムの体に似ている)


 ユートは先程交戦した敵の事を思い出す。

 液体で構成された体。どこからその水分を持ってきたのか。


(もし生物から奪ってるなら……一歩間違えたらこうなってたのか、ゾっとするな)


 改めて、ここが安全な場所ではなく、未知の大地であることを認識する。

 そして、命が失われてしまうことを。


「手を合わせよう」

「うん」


 十字を切る、手を合わせる、死者を悼む方法は地球でも様々ある。

 異星でどのような様式があるかは分からないが、気持ちは伝わっていることを信じてユートは目を瞑る。


 僅かな沈黙。そして、それを打ち破ったのは遠くからの破砕音。

 揺れる大気は、危機が目前に迫っていることを示している。


「行こう!!」


 ユートは再び走り出す。

 ユートの視線の先には、土埃の壁があった。


◆◆◆


 舞い上がる土埃の壁を超えると、荒野に出た。

 草も殆ど生えておらず、木々の代わりに2メートル程の岩が大地から飛び出している。

 その一つが、激しい音を立てて砕けた。


「……来るか!」


 ユートはリキッドメタルブレードを抜くと構える。

 ドリーは距離を置いて岩陰に隠れていた。


 破壊された岩の隙間から、ぬらり、と巨体が漏れ出てくる。

 足音はない。ただ、何かを引き摺るような深いな音が地面を通してジリジリと伝わってくる。

 巨大な粘液の集合体――5メートル程のスライムが、姿を見せた。


「……赤い」


 出現したスライムには、交戦した個体とは明確に異なる点があった。

 大きさ、そして体色。

 表面は濃い水色だが、中央に近づくにつれ、赤黒く変色していた。周囲を覆う鉄臭いにおいが、それが『血』であることをユートに理解させる。


 そして、なにより――


「ユートさん、人が!」

「分かってるっ!!」


 返すユートの言葉が強くなる。

 それも無理もない。彼の目の前には、焦るだけの理由があった。


 巨大なスライムの中央。赤黒い粘液の中央。

 二人の人間が飲み込まれていた。


 一人は男性のようで、気絶している。

 もう一人は栗色の長い髪をした女性だった。なにやら手を前に突き出している。


(なんだろう、内部に粒子の壁がある……だから体液を奪われてないのか?)


 光の粒子が彼女たちを覆い、空間を確保していた。

 先ほどの死体の状況を考えると、何かしらの手段で、水分を奪われないよう防御をしているようだ。

 だが、女性の顔は青ざめており、とても無事な状態とは言えない。


(人間の脳が酸素を失ったらすぐに障害が発生する。時間は、せいぜい二分)


 考えると同時にユートの体は動き出していた。


「すぐに救助するっ!」


 大地を強く蹴ると、矢のように飛び出した。

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