第二章二話 無垢なる白の綿毛舞う大通り

 心地良い風が頬を撫で、無垢なる白の綿毛が舞い踊るよう自由に世界そらを飛ぶ。

 軽やかに鳴り響く楽器の

 陽気に踊り、笑い合う人々の姿。

 食欲唆るあの、香ばしい香り漂う料理は何だろう。

 あちらに飾ってある、見たこともない花の名は何だろう――。

 入り組む様いくつもの通りが存在する、様々な分野の研究施設が集まる地区――《ニムル》研究地区――。

 その地の、最大の通りである《グリマール》大通りへとやって来たリィンは一人、駆け足気味に、つらなる家々により日の光が指すことのない陰の通りから勢い良く飛び出し、その碧の瞳を輝かせ大通りの光景に驚嘆の声を上げた。


「凄い凄い! 何のお祭りかな、ネーヴェ――!」


 目の前に広がる大通りを見回し、シエルと共にゆっくりと大通りへやって来た妹へはしゃぎ尋ねるリィン。


「――もう。はしゃぎ過ぎだよ、リィン」


 そんな興奮気味の兄に対し、優しい眼差しを向けながら苦笑するネーヴェの姿。

 まあ、無理もない話である。

 何と言ったって双子にとって初めての大都会――新天地である。

 綺麗に舗装された石畳の街には、天を衝くかの如く建ち並ぶトンガリ屋根の建築物群。広く、どこか瀟洒な街並みとも言える場所には今はもう見掛けることの少ない深緑植物、そして、自然と街に溶け込む静かの様に眠る遺構や遺物の姿。

 日々訪れる魂を蝕む《霧刻むこく》の脅威、そして、唐突に出現する《虚無の霧》に対し疲弊しきっていた故郷の人々とは違い、この地に住む住民達は活力に満ち溢れ、生き生きとしている。しかも、そんな新天地となる場所には見たこともない、感じたこともない、活気溢れる何かのお祭りを楽しむ人々の姿が――。

 そんな、故郷とは酷く違う様相をした街や人々の雰囲気に、興奮せずには居られないリィンである。


「むぅ! ネーヴェは落ち着き過ぎだよ! ほら、観て周り! 昨日はドタバタして、ろくに《セーレム》の街並み観てなかったから何も言わなかったけど、凄いよ、此処――!」


 ばっと両腕を広げ、ネーヴェの視線を通りへと向けさせ、輝かんばかりの笑顔で言葉を放つリィン。瞬間、リィンの近くに居た通りの先客であった鳥達が一斉に大空へと羽ばたいて去ってく。


「こんな活気ある大っきな催し物、見たことない! それになんて言ったって、街に同化するよう建っている遺構の一部! いつの時代の遺構なのか、ものすっごく気にならない!? 気になるよね!? まだちゃんと観てないから判らないけど多分、べスキア文明に造られた遺構の一部だと思うんだ! それにアレとかはさ――!!」


 むふーッと鼻息荒く瞳を爛々と輝かせ一見、何の変哲もない柱にしか見えない遺構それを指差し熱弁するリィン。

 そんな、街の様相にテンションを上げるリィンの姿を一瞥し、ネーヴェが苦笑交じりにそっと口を開いた。


「――もう、分かったから、一先ず落ち着いてリィン。物凄く目立ってる」

「? ――ん゛!」


 言葉を掛けられネーヴェの視線の先――、くすくすと微笑みを零し何やら可愛らしいものを見る目でこちらを見て去って行く人々にピタリと動きを止め、頬を赤く染め口を閉ざし固まるリィン。

 ネーヴェの言う通り、とても目立っているリィンである。


「ふふ――。街の感想や遺構のお話ならまた後でちゃんと聞くから。それでえっと、今開催されてるお祭はだね、今朝、ポプラさんが教えて下さったお話だと“神花祭しんかさい”――って言われるお祭りなんだそうだよ。今日はそのお祭りの開催日」

「し、シンカサイ……?」


 呼吸を止めるよう暫しむぎゅりと閉じ固めていた口を開き、羞恥に染まる頬の熱を冷ましながら、ネーヴェが口にした祭りの名を復唱し聞き返すリィン。

 街の様子を観るからに花に関する祭りだと言うのは判るのだが、何か特殊な祭りなのだろうかと思うリィン。


「うん。“アスフォデリア”の満開を祈るお祭りなんだって――」


 優しくそよぐ風でなびく純白の長い髪をそっと押さえ、無垢なる白の綿毛舞う通りへ視線を向けてそう言葉を紡ぐネーヴェ。


 ――“アスフォデリア”――


霧刻むこく》の霧により蝕まれた魂を鎮め癒やす、そして、死者の魂を《輪廻の輪》へと還す力があると言われる神秘の花。

 基本、図鑑等でしか見ることの無い、非常に貴重な神の花とも呼ばれるその花の満開を祝う祭りだとネーヴェは説明する。


「ふ〜ん。アスフォデリアの……って、アレ? アスフォデリアって確か、魔素アニマ濃度が高い場所じゃないと咲かない花じゃなかったっけ?」


 幾ばくか頬の熱が冷めたリィンが、賑わう通りへと視線を戻し、首を傾げネーヴェに尋ねる。

 通りをざっと見渡した所、魔素アニマ濃度が高い場所だとは感じにくい。何故なら、視認出来る程の魔素アニマが見当たらないのだから……――。


「――そうだよ。それに、魔素アニマ濃度が高い場所だけじゃなく、花が育つまでの時間がとっても長いお花なの。栽培方法だって凄く難しく、まだまだ解らないことだらけなお花だし……」


 リィンの何気無い疑問に、ネーヴェがアスフォデリアの花について説明の補足をする。そんなネーヴェに対し、近場に飾ってある花を観ていたシエルが花から視線をネーヴェへと移し、何気なくと言ったふうに尋ねて来た。


「お詳しいんですね、ネーヴェさん。花がお好きなんですか?」

「はい。とても――」


 シエルの問い掛けに碧の瞳を優しく細め、瑞々しく咲く花々を見詰め言葉を紡ぐネーヴェ。

 植物――、こと花に接する時のネーヴェは一層穏やかで、優しい表情を、雰囲気を纏う。


(――ネーヴェ、時間があれば何時も植物眺めたり、手入れしたりしてるもんね)


《霧》の影響を受け、発育がかんばしくない世界中の植物達――。

 瑞々しさは年々失われ、もう幾年も前に新緑が黄昏へと変わった植物は、その群生地帯をも失われ続けている。

 きっとそう遠くない未来、大地は更に疲弊し、植物の数は激減して行くことだろう。

 全ての生命いのちを刈り取って行く《霧》を、どうにか対処しない限り……――。

 そして、そんな世界でネーヴェは植物に寄り添い、育つ手助けをし、育ったその植物の種を――大地を、少しでも元気にしてからまた植え、育てるを繰り返している。

 育ったとしても直ぐ、散って行ってしまうと解っていても……。


「おネエさんは花、好き――?」

「……私、ですか?」


 先程自分がネーヴェに問い掛けた質問と同じ話を振られ、金色の瞳を丸くし、リィンを見詰め思案するシエル。


「……そうですね。ネーヴェさん程ではありませんが私も、花は好きですよ――」


 優しい眼差しで瑞々しく咲く花々を見詰めるネーヴェの姿を眩し気に見詰め、シエルがリィンへと問い掛けの答えを口にする。


「――そっか、良かった! それじゃあ今日はいっぱい花巡りして、気分転換しようね、おネエさん!」


 そんな彼女の答えに対し、優しく降り注ぐ太陽のような笑顔でリィンは、シエルに微笑み掛けた。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆






(……良かった。ネーヴェもおネエさんも、楽しそうだ――)


 花咲く通りをゆっくりと歩み――。

 可憐に咲く花々を観賞しながら笑顔で談笑する二人を見詰め、胸中でそっと呟くリィン。

《虚無の霧》から逃れ、安寧の地を求めこの地へ来るまで数日――。初めての長旅、そして、辿り着いた地での一騒動と、ネーヴェもさぞかし気が張っていたことだろう。しかもシエルの件に関してはまだ、絶賛継続中である。何事も無いかの様に振る舞う二人だがその心労は計り知れないものの筈。

 シエルに至っては兄であるノルトの行方――安否に加え、彼女の生命いのちを狙う謎の存在と不安事が尽きない。

 ネーヴェに関しても日々苦労を掛けているのに、今回の件でいつも以上に心労を掛けてしまった。いたわれる時に労りたい。


(これでちょっとは二人の気分転換になる、かな――)


 微笑み、二人から賑わう通りへと視線を向け自分もまた、瑞々しく咲き誇る花々を観賞しながら歩を進める。

 実に様々な種類の花々が通りに飾られている。

 花に詳しくないリィンだが、それでもこの地に咲く花々が世界にとって貴重なものだと言うことぐらい理解出来た。


(あの得体の知れない存在のことは凄く、気になるところだけれど。それを除けば今のところ、確かにこの活気溢れる貴重なものが存在する地を見ると、人類最後の楽園――って言われているのも頷ける。それに……)


 ふと、空を見上げ――。

 今は視えないあるものに視線を向け、思いを巡らせるリィン。

 そう、シエルを助けるため隆起した断崖から飛び降りた際に視た、この地セーレムの空を囲むよう存在した、半透明の鳥籠のような模様に――。


(あの、この地の空を囲うよう薄っすらと見えた鳥籠のような模様って、噂に聞く“生きた”遺跡の機能――ってやつだったのかな?)

 

 断崖上から見えた半透明の鳥籠のような模様を思い出し、目を凝らし空を見詰めるリィン。

 だが何度空を視ても、地上からはあの時目にした模様は一切見えず、視線の先にはただただ青く澄み渡った空が広がっているだけで……。


(一体、どんな機能を有しているのかな? 《セーレム《ここ》》の空気が他と違って澄んでいることと、何か関係がある? だったら……)


 う〜む――と、視線を地上へ戻したリィンは口元に片手を当て、噂に聞く“生きた”遺跡の機能について深く深く思いを巡らせる。

 ――なんだか、ソワソワする。

 剣の師であるノアから剣の扱い方以外にも、古代に関わるあれやこれやを叩き込まれはしたが、もともと古代遺物やそれらを模して量産された導力器、遺構などには昔から興味があったリィン。だからなのか、空で視たあの“生きた”古代遺跡の機能とおぼしきものが非常に気になってしまうリィンである。


(……って、今はおネエさんの問題を何とかしないと――だな)


 周囲に気付かれないよう再度警戒を張り巡らせ、ソワソワする気持ちを落ち着かせ気を引き締めるリィン。

 シエルの気分転換の為に外出することを進めてみはしたものの、いつまた彼女の生命いのちが狙われるか判らない状況である。初めて彼女に遭った時のことを考えるに、この様に人が大勢いる場所で襲撃に遭うことは無さそうに思えるが万が一もある。気を抜けない。


(――うぅ。気は抜かないけどお菓子、物凄く食べたい……)


 しょんぼり肩を落としつつ、目尻にほんのり涙を浮かべ大通りを歩く。

 こんな賑わいのあるお祭りに参加し、興味ある古代の遺構や遺物が数多く存在する場所にいるにも関わらず、大好きな甘味が食べられないなんて何と言う拷問だろう。自業自得ではあるのだけれど、何とも言えない遣る瀬無さに少し、打ちひしがれるリィンであった。

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