『反省』

「………………」


 足が、痛い。


 物凄く――。


 それはもう物凄く痛い。

 物理的にも精神的にも、それはそれはもう物凄くつらい。


 そして何より――


 視線が、痛い。


 突き刺さる。突き刺さっている。

 ものすごーく、グサグサッ――と突き刺さっている。


 かれこれ小一時間。

《セーレム》唯一の出入口となる西区画――綺麗に舗装された石畳の上で。リィンは正座をさせられ、身を、小さく縮めていた。


 怒る――とは思っていた。


 ちょっと無茶をしたな、と自分でも思っている。

 反省だってちゃんとしている。

 命の危機だった人――おネエさんも、無事助けることが出来た。

 それなのに再会して直ぐ――。ネーヴェが、物凄く“静かな”怒りを放ってきた。

 声を荒げるでもなく、そして泣くでもなく。

 ただただ無表情にて、静かな怒りを放ってきた。


(この状態になったネーヴェに何言ってもダメだって、オレ、知ってる――)


 今回はどれくらいこの状態が続くのか――


 ぐぅ~、と腹の虫が幾度と鳴る中。本日二度目の凄まじい無言の圧に身体を小刻みに慄えさせ、そのような事を思い口を噤むリィン。

 ちなみにノエマはと言うと肩を小さく揺らし、何とも腹立たしい笑顔にてケーキを食べている。

 これみよがしに――。


(絶対に朝の仕返しだ)


 優雅に紅茶の入ったカップを傾かせるノエマを恨みがましく見遣り、胸中でごちるリィン。

 お代は勿論、全てリィン持ちである。

 しかも一番値の張るスイーツを選んでいるのだ。恨みがましく見遣りたくもなるというものだ。

 そしてそんな混沌とした三人(主にネーヴェ)へ、控え目に言葉を掛けてくる女性の声が。


「ぁ、あの。どうかそのくらいで――」


 ネーヴェとノエマと共にカフェの席に着いていた、リィンが助けた女性――シエルである。


(――ッ!! この流れ!!)


 彼女の言葉を聞いた瞬間。もしや今の状況が進展するのでは――? と萎れて倒れていた、頭頂部から跳ねるように飛び出ている一束の髪がピンッと立つ。

 ぐぅ~と何度目になるか判らないお腹の音が鳴る中、チラとネーヴェに視線を向ける。

 少しばかり難しい――どこか悩ましい表情をしたあと静かに、リィンと同じ碧の色をした瞳をそっと伏せるネーヴェ。


 そして――


「……――分かりました。お二人をこのままお待たせするのも申し訳ございませんし、これからの事も話し合わなければなりませんから」


 その言葉を聞き、リィンの表情がパッと輝く。


 やっと解放され――


「――“やっと解放される”。今、そう思ったでしょ、リィン」

「ッ!!」


 背筋が、伸びる。

 ネーヴェの冷ややかな眼差しと言葉を受け、電流が流れたように背筋がピンッ――とはり、口がむぎゅりと閉じられる。


 秒で。


 いや、思考した瞬間、バレた――。


 冷や汗が流れる。


 コレ、まだ言葉の続きがあるやつだ――


 そう、思っていたら


「おやつ三日間抜き」

「!!!」


 もっとも恐れていた言葉を、突き付けられた。
















◆◇◆◇◆◇◆◇◆
















「………………」

「放って置いて構いませんよ、シエルさん――」


 カフェの席に着くことをネーヴェに許されたリィンが、目尻にほんのり涙を浮かべ打ちひしがれている。

 そんなリィンの姿に、ネーヴェとリィンを交互に見遣りおろおろするシエルと、まだ若干お怒りのネーヴェ。

 ノエマは声を殺して、背を向け肩を揺らしている。


 うぅ~、ネーヴェが本気で怒っている……


 眼前に並ぶケーキをじぃーと見詰め、眉尻を下げる。


 “三日間おやつ抜き”――


 今回下された沙汰は、それ程までにネーヴェに心配を掛けた結果だと物語っていた。


 なぜならばネーヴェは滅多なことで怒ることはないし、おやつ抜き宣言などしないのだから――


「――ふ、……ふふっ!」


 一人愉しそうなノエマが、とうとう笑い声を殺しきれず声を漏らす。

 それにジトりと不愉快さを隠さず、ノエマを見遣るリィン。


 何なんだよ、全く――


 そう思うも言葉にせず黙っていると、ノエマがひとしきり笑い声を上げた後、言葉を紡いできた。


「いやぁ〜、本当に君達観ていて飽きないわ〜」


 目尻に浮かんだ涙を拭い、ぬるくなった紅茶を飲み干し愉快そうにしゃべるノエマ。

 それを見世物じゃない――、とまた言葉にせず黙っていると、まさかのパフェの追加注文。

 ウエイトレスの女性がリィン達の元へやって来ると完璧な接客の中にちょとした憐れみの苦笑いを浮かべ、オーダーを聞き丁寧にお辞儀をし厨房へと消えていく。

 その姿を見送ったリィンはノエマに対し、覚えていろよ――と怨嗟の念を送っておいた。

 かなり強めに。

 そして、追加で注文したフルーツがふんだんに乗ったパフェが席へ運ばれると、改めてノエマが話を振ってきた。


「ふふっ。まぁ、何かな。ネーヴェちゃん、本当に心配してたんだよリィン君。君、急に森の奥にスッゴイ速さで駆けていったと思ったら、なかなか帰って来ないしさ。そしたら途中でネーヴェちゃん、君が何故か都市の方角へどんどん離れて行ってる――って。早く迎えに行かないとッ! って凄く心配し始めて――」


 ノエマの話を聞き、ネーヴェへと静かに視線を向けるリィン。

 そう言えばネーヴェとここまで長い時間、長い距離を、離れて行動したことが無かったと思い返す。

 緊急事態だったとはいえ何も言わず、街道に置きっぱなしで離れることになったことにも、今更ながらに深く反省するリィン。


 だから――


「……ごめん、ネーヴェ」

「………………もう、いい」


 妹の珍しい拗ねた感じの物言いに、少し口元を綻ばせ――


「でも、おやつ三日間、抜き――」

「………………はい」


 肩を落とし、リィンは項垂れた。

 

「――ところでシエルさん。何故、命を狙われているのですか?」

「ッ!」


 いつもの調子に戻ってきたネーヴェが、ずいぶんと置き去りにしていたシエルへ言葉を掛ける。

 リィンも思っていた事だ。

 あの得体の知れない存在は明確な意志を持ってシエルを狙っていた。

 必ず、命を刈り取るという意志を持って――。

 そしてそんなネーヴェの問い掛けに口を噤むシエル。

 話を振られてもなかなか話し出す事はなく、時だけが過ぎてゆく。


「……おネエさん」


 沈黙のまま、膝の上で拳を握り締め続けるシエル。

 その表情は硬く、恐らくだが言いづらい内容なのだと察せられるものだった。


「……私達が聞いてはいけない、言いづらい事なんですね?」

「………………」


 ゆっくり首肯するシエル。

 言外にこの事には触れないで欲しい――、そう思わせる表情にて視線を膝上に落とし、彼女は口を引き結びその金色の瞳を閉じた。


「……そうですか。では、心当たりはあるのですね?」

「ッ!」


 一度静かに瞳を伏せたネーヴェが真剣な面持ちにて、口を閉ざすシエルに語り掛ける。

 そんなネーヴェの言葉に弾かれたよう顔を上げ、言葉を詰めてネーヴェを見遣るシエル。


 すると――


「――待った待ったッ! その子に話聞き出すのなら私はパスするよ! お店の事あるし、厄介事は辞退します! でも、ノエマさんのお店はご贔屓に! 双子ちゃんには《セーレムここ》に来るまでお世話になったしね、お安くするよ!」 


 と何かを感じ取ったのだろう。

 そう捲し立ててから素早く食べかけのパフェを綺麗に平らげ、何処から出したとも知れない紙に、物凄い勢いにてペンを走らせるノエマ。

 その後、流れるようその紙を渡されリィンは呆然――。

 目の前ではノエマの勢いに目を丸くするシエルと、そんな彼女の肩へ手をおき、「まぁ、諦めてちびっ子ちゃん達に話しちゃいなさい。どうせ話すまで解放されないよ〜」と嵐のように荷物を纏め、こちらへ手を振り慌ただしくも優しい眼差しにてその足を通りへ向け去って行くノエマの姿。

 そして、そんな彼女へと軽く頭を下げ、別れの挨拶を口にしノエマを見送るネーヴェ。

 ノエマの背が、遠ざかる。

 なんとも慌ただしい女性ひとだったな――、と遠ざかるノエマの背を見送りリィンもまた、色々ありつつも感謝の意を込め軽く、頭を下げた。












「……おネエさん」


 ノエマの姿が見えなくなってもう一度、シエルへと言葉を掛けるリィン。

 彼女を困らせたい訳ではない。しかし、何か自分達に出来る事があるのならば力になりたい――。そう思い、ノエマが去ったあと再び俯き口を噤むシエルへと訴えるリィン。

 また、時間だけが過ぎてゆく。

 リィンがもう一度言葉を掛けて、どれくらいの時間が経った頃だろう。

 鳴る腹の虫を静かにするため遅い昼食をリィンが食べていると、シエルが神妙な面持ちにてゆっくりとだが重い口を開き、話しを始めた。


「兄から、手紙が来なくなったんです――」


 ぽつり――、とそう言葉を零すシエル。

 お兄さん? 手紙? と疑問符を浮かべるリィンには気付かず、シエルは更にゆっくりとだか言葉を紡いでいく。


二月ふたつき程前から、ぱたりと――。普段でしたら週に一通かニ通、欠かす事なく必ず送られていた手紙が、何の前触れもなく来なくなって。ですから、何かあったのだと思い、いま兄が居るであろうこの都市に来て探したんです。でも、誰も兄の事を知らない・・・・・・・・・・――って」


 目蓋を伏せ、瞳を閉じるシエル。

 日が西へと傾き、空が黄昏色へとその姿を変える中。

 閉じていた瞳を開け、シエルは一通の手紙をテーブルへと徐ろに置く。

 先程まで賑わっていたカフェからは人が少しずつと減り、それに比例して静寂が訪れる。

 テーブルに置いていた手紙の封筒からそっと、どこか枚数の多い便箋を取り出しそれを広げるシエル。

 そこには丁寧で、綺麗な文字が綴られた文章。

 そしてその文字を優しく撫で、でも――と彼女は言葉を続ける。


「誰も知らない何てこと、ある筈ないじゃないですか。この手紙にだって教会に所属する遺跡研究者の方と、遺跡へ赴いたとも書かれているんです。それなのに――」


 シエルの表情が悲しみに歪む。

 行方の知れない彼女の兄の安否に対する不安と、まるで都市全体が彼女のことをを騙しているように感じられる憤りを伴って――。

 彼女の瞳から涙が零れ落ちる。

 その涙を少し乱暴に拭い、尚も話を続けるシエル。


「だから探ったんです。教会を、遺跡研究者の方々を――」


 教会――


 その単語を聞き、リィンは自身の教会に対する知識を絞り出す。

 記憶違いでなければこの《セーレム》の地に総本山を構える、創造の神ディミウル神を祀り《原初の神焔ウェスタ》を管理保管する教会。それが、


 ――《神焔教会》――


 この教会は世界各地に散在し、魔を、《霧》を祓う《原初の神焔ウェスタ》の種火を人々へ渡し、強い支持を得ている巨大組織であるはず――。

 その教会関係者、もしくは教会という組織が彼女の命を狙った――?

 静かに、沈痛な面持ちにてシエルの話を聞き、彼女の背を優しく撫でるネーヴェと視線を合わせる。

 彼女の話を聞き、妹も同じ事を思ったのだろう。

 互いに同じ碧の瞳を見てコクリと頷く。


(……神焔教会――か)


 黄昏色の空を仰ぎ見て、リィンは思案する。

 このままシエルを一人にするのは危険だ。

 教会がかなり怪しいが、彼女の命を狙ったのが教会組織とは限らない。別の存在かもしれないし、何とも今の時点では判断しづらい。

 それに、あの得体の知れない存在を使ってシエルの命を狙っただろうと率直に訊いても、当たり前の事だが答えは返って来ないだろう。

 何より相手は、世界を股に掛ける巨大組織神焔教会――。下手な行動を取る訳にはいかない。


 それに――


 首にぶら下げている漆黒の懐中時計を手に取り、その盤面に暫し視線を落とすリィン。

 世界に二つと無い、精巧で緻密な造りの漆黒の意匠の懐中時計。

 その懐中時計の防風硝子の下では透明な青の歯車が無数に止まる事なく動き、五本の針・・・・が静かに時を刻んでいる。

 そして、その五本の内の二つの針――“青の刻針”を見て。


「もうすぐ、《霧刻むこく》の時間だ――」


 黄昏色に染まる世界でそっと、リィンはそう呟いた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霧刻セカイの輪廻のカルマ 蒼月更夜 @kouya_sougetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ