第一章五話 《霧刻》

 薄っすらと、何処からともなく世界に白が広がっていく。

 徐々に、徐々に、その姿を濃くしていく白い闇――。

 黄昏色に染まっていた世界は、視界の先すら見えづらい白の世界へとその姿を変え、先程までの活気ある大通りの喧騒を一変。嘘のようにさまがわった白き世界へ、静寂を撒き散らす。


 ぽつり。


 また、ぽつりと――。


 軒先に灯る小さな青き光の数々。


 其れ等はさらに白き世界へと次々に浮かび上がり、白で埋め尽くされる世界へと白以外の色どりを静寂と共に煌々とそして優しく、静かに白き世界にてその身を煌やかせてゆく。

 するとどうだろう。

 すぅ――っと立ち込めて来ていた筈の白が、青き輝きを浴びその輝きから遠のいて行くではないか。

 だが、さもありなん。

 青き輝き――《原初の神焔ウェスタ》の種火は、魔を祓い焼く神より人に与えられし神秘の焔――。

 人々の身体しんたいを、魂を蝕むあの白き闇は、この青き焔には近付けない。

 近付く事が、出来ない――。

 それを知っているから人々は、今日もまたランタンに青き焔を灯し、軒先にそれを吊るしていく。


 身体を、魂を、蝕まれない様に――


 そんな青い焔が幾つも浮かぶ白い世界を、室内の窓硝子越しにシエルはぼうっと眺めていた。


(……本当に、《霧》が出てきた――)


 遥か昔、夜の神によりもたらされたと言う無限の白き闇――。

 漆黒の空を、夜空そこに散らばり無数に光り輝く星々を、青き月を――。其れ等を隠した何処までも深い白き闇を見詰め、静かに白の少年の言葉を思い出し、シエルは小さく息を零した。


『もう直、《霧刻》の時間だ。一時間後には《霧》が立ち籠めて来るから、先ずは宿を探そう――』


 その言葉通り、ほんのつい先程少年が予告した時間に世界は《霧》に包まれた。

 正直、初めにあの言葉を耳にした時シエルは、少年の言葉を疑ってしまった。何せ《霧刻むこく》となる《霧》が世界に立ち籠める時間は、正確には決まっていないのだから。黄昏の刻の終わりとされる十八時頃から《霧》が出て来る一般基準とされてはいるが、日々、《霧刻》になる時間はばらばら――。

 今日の様に空が黄昏色に染まって間もない早い時刻の日もあれば、暫定的な《霧刻》とされる十八時以降より遅い日だってある。

 そんな、何時いつ《霧》が出て来て《霧刻》となるか分からない時間を、白の少年は言い当てたのだ。

 誰だって疑うというものだ。

 そんな事を思いつつそっと窓硝子に手を当て、少年を肩越しに見遣るシエル。

 視線の先には、先程風呂を済ませベッドの端で足を垂らし座っている少年と、そんな少年のまだ濡れる純白の髪をベッドの上にて座り拭く少女の姿。

 どうやら、しっかりと髪を乾かさず部屋へと戻ってきた様子の少年。

 少女の前に座らされる少年は目と口を強く閉じ、そんな彼を少女が優しく窘めながらも、その純白の髪を拭いている微笑ましい姿がシエルの瞳に映る。

 その光景に、自然と口元が綻ぶシエル。

 自分も昔、彼女のように兄の濡れた髪を拭いた事が何度もあったな――、と思い出して。


「……どうかした? おネエさん」


 髪を拭かれ終わり、櫛笥づられながらシエルの視線に気付いた少年が声を掛けて来る。

 その少年の言葉に、つられるようシエルへ視線を向けて来る少女。

 二人の、同じ碧の瞳がシエルへと向けられる。

 本当に鏡写しのような、酷くよく似た双子の兄妹だ。

 そして、そんな双子にすっ――、と徐ろに深く腰を折り、頭を下げるシエル。その後、もう何度目になるか分からない、感謝と謝罪の言葉を二人に対し口にする。


「お二人共、本当にこの度は命を助けて頂き、ありがとうございました。そして、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした――」


 人心地つき、今更ながらに二人を捲き込んだことをシエルは申し訳なく思ってしまい頭を下げる。


 だから――


「おネエさん。明日はちょっと、この西地区を探索したいんだけど、一緒に行けそう? オレ達行きたい場所があるんだ――」


 言葉を続けようとするシエルよりも先に、少年が見計らったよう話を切り出してくる。

 どうして――。そうシエルは思わずにはいられなく、顔を俯向け疑問に思っていた事を投げ掛ける。


「どうして……。どうしてお二人は見ず知らずの、会ったばかりの私を助けて下さるのですか――?」


 心の内を吐露するシエル。

 そんなシエルに対し双子は、鏡写しのような同じ顔を見合わせ微笑み合うと、それぞれ違う笑顔にてシエルを見遣り言葉を口にする。


「どうして――って、困ってる人がいたら助けなきゃ、でしょ?」


 莞爾とした笑顔で答える少年。

 それに対し、


「そうですよ、シエルさん。それに、今はもう見ず知らずではないです。確かにまだ出会って間もない私達ですが、何か出来る事があるのなら、それを私達はしたい――」


 慈愛に満ちた優しげな笑顔の少女。


 困っている者がいたら助けないと――


 そう、この双子の少年と少女は当たり前のように言いのけてしまう。

 だが、その言葉を実行に移すのは容易なことでないことを、彼等は知っているのだろうか。

 況して自分の問題は、命に関わる事案――。

 そう易易と請け負って良い、関わって良いものではない。


 それなのに――


「まぁそう言うことかな。それに、オレ達の為でもあるしね」

「そうです。実は私達、この地の事まだ何もよく知らないんです。もしシエルさんさえよろしければ、ご案内など頼めますか?」


 そう、この双子の兄妹は言葉を続ける。

 二人に事情は、カフェとこの部屋に来て全て話してしまった。

 だがそれでもやはり、この双子を捲き込んで良いはずなど何処にもないのだ。

 話すべきでは、無かったのだ――。

 なのにシエルに負担を、負い目を感じさせないよう気まで回して、自分達の為だとこの二人は言う。

 どう、説得すればこの心優しい双子の兄妹は自分の事を放って置いてくれるのか――。

 思考の渦に呑み込まれ、抜け出すことが出来ない。


「……ごめんなさい、シエルさん。困らせたい訳ではないのですが――。でも、本当にもしよろしければ、明日はご一緒にセーレムを回ってくださいませんか? 少しでも気分転換になるかもしれませんので――。だからどうか、今日はもうゆっくりとお休みください。明日、良いお返事を頂ければ嬉しいです」

「………………」


 気付けば、少女がシエルの側まで近寄っていた。

 そして強く己の服を握り締めるシエルの両の手をそっと優しく掬い取り、瞳を覗き込んで穏やかに声を掛けて来る。


 あぁ、また気を遣わせてしまった――。


 少女の言葉に静かに頷き、シエルはその日、静かに眠りについた。




















◆◇◆◇◆◇◆◇◆



















「全く、どいつもこいつも全然使い物にならんなッ!」


 深く濃い、白の闇の中で――。

 男が悪態をつきながら強く地を踏みしめ、その歩を進めて行く。


 また、いつもの男の癇癪が始まった――。


 この男はすぐ、己の思い通りにならない事があれば今のように声を荒げ、威圧的な態度にて周囲に当たり散らす厄介な男。時に自身の助手や護衛騎士をも理不尽な理由にて辞めさせるなど、問題ある遺跡研究者である。

 つい先日だって二人、この男に手酷い仕打ちを受け、助手と護衛騎士が一人づつ辞めさせられていた。


(――ったく。当たり散らされた挙げ句、辞めさせられるこっちの身にもなれ――っての)


 男を《霧刻むこく》に護衛する教会騎士の男性は、そう思いつつも言葉にはせず、うんざりとしながらも男の前を歩く。

 仕事じゃなければこんな男、放って置いて今すぐ誰もが帰りたがる事だろう。

 斯く言うこのいけ好かない高慢ちきな男の護衛をする男性も例外ではない。

 ただ、男性は運が悪かっただけ。

 男の護衛を誰がするのか――と言うクジ引きにて、ハズレを引いたが為に男の護衛をしているだけで、この男性も例に漏れない。

 だから男性は仕事と割り切り、今回は男の態度に目を瞑って、今日だけだと昼間とはまるで違う世界になったよう錯覚する都市を、周囲を警戒しつつその歩を進める。

 都市内であろうと《霧刻むこく》の時間帯に出歩く行為は、非常に危険なことであるから。


 しかし――


(まぁ《原初の神焔ウェスタ》の種火さえ携帯していれば、都市内は基本安全なんだがな――)


 静寂の中、薄気味悪く広がる白き闇に、手に持つ青き灯火を揺らし、その様なことを胸中にて思う男性。

 確かに男性の言うよう都市内は、青き灯火――《原初の神焔ウェスタ》の種火と“生きた”遺跡の《奇跡》によりその平穏を保たれている。

 実際、男性がスッ――と青き灯火が入ったランタンを白き闇へと翳せば、まるでその輝きから逃げんとするように白がその身を小さくだが引き下げてゆく。


(《虚無の霧》も、《原初の神焔ウェスタ》の種火で近付かない《霧》だったら良かったのにな……)


 そう胸中にて男性は、数日前あらたに出現した世界を侵食していく消えることのない《霧》のことを思い、手に持つ青き灯火を揺らし歩く。


(はぁー……。早く着かないかね)


 早く帰って一杯やりたい――、そう男性の気がほんの少し緩んだ瞬間。

 ランタンの内で灯る青き焔が微かだがふわりと揺らぎ、その灯火がフッ――と掻き消える。


 傾ぐ、男性。


 落下する二つに切れ落ちたランタン。


 重力に従い切れ落ちたランタンだった片割れが、石畳に当たりガシャンと音を立て砕けて割れる。

 それに続くよう水気の混じった鈍い音を立て、石畳にくずおれる教会騎士の男性。


(あ? な、ん……で――)


 そう薄れゆく意識のなか男性は呟き、血を溢れ出させる自身の下半身を見詰めたまま事切れた。

 

「――ヒッ!!」


 石畳に広がる男性の血溜まり。

 先程までがなり立てながら帰路へ着いていた男は、眼前で何の前触れもなく護衛であった筈の男性が死ぬのを目の当たりにし、その場で腰を抜かす。

 ガチガチ、ガチガチと歯を鳴らせ、周囲を見回す男。

 自身の心音が酷く耳に響き、呼吸がし辛い。


「だ、だれ……か――」


 男の声が慄える。

 周囲に誰も居ないのは分かってはいる。

 《霧刻むこく》に外に出る者など、何か理由が無ければそうそういはしないから。

 それでも――、と男は一縷の望みに縋り、周囲に居るかもしれない誰かに助けを求め口を開く。


「だれ――がッア゛?!」


 男の喉に、激痛がはしる。

 ぼたぼたと喉から血が滴り落ちては、地面を今度は男の血で赤く染め上げ血溜まりをつくっていく。


(い゛、痛゛い゛。痛゛い゛痛゛い゛痛゛い゛ーーーッ!!)


 呼吸が出来ない激痛の中――。

 このまま血が流れ出るのは不味いと、必死に喉から流れ出る血を止めようと喉頸に手のひらを当て、締める男。


 それでも止まらない血。


 それを止めようと、喉頸をさらに締める男。


 普段ならこの様な事をしても、何の意味も持たない事など男にも分かった事だろう。

 しかし、“死”という気配に支配された男にとって、流れ出る血を止める事が最も優先に思えて――。

 どれくらいの時が過ぎただろう。

 目を見開き血溜まりの中、己の喉頸に手を掛け恐怖と絶望の色をその顔に貼り付け、事切れる男が地に転がったのは――。

 静寂が濃密な白の世界に戻って来る。

 地に転がる、微かな二人の体温を攫うよう纏わり付き、《霧》がその存在を濃くして――。

 その光景はさながら、《霧》に魂を掠め取られていくかのような捕食の図。

 そして、何事も無かったかのように白く濃い《霧》は二人を隠し、《霧刻むこく》は静かに更けていった――。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る