第一章二話 得体の知れない存在

 空を切り裂く風鳴り音が、リィン目掛け飛来する。


 迫る剛翼。


 すれ違いざまそれを受け流すよう身体を捻り回転し一閃、ニ閃――。

 赤の飛沫を周囲へと叩き付け、続き飛来する剛翼を今度はこちらから距離を詰め二振りの剣を踊らせ斬り伏せる。

 刹那の動作。

 フッ――と短い呼気を吐き、周囲の気配を探り思案する。


 どこか、妙な感覚がする――


 剣を踊らせながら漠然と、そんな事を感じるリィン。


(何かから逃げている――?)


 一勢に強襲してきた飛行型魔獣の群れ――。

 先の四足魔獣もそうだが、本来リィンがいる場所は森の中とはいえ街道にある常設結界の範囲内――。

 街道から差して離れた場所ではない位置に通常、このレベルの魔獣達は結界を忌避してこの場所へは近寄らないはず。


 それに何より――


「こいつらじゃ、ない」


 木々の合間をくぐり抜け、迫りくる二体の四足魔獣をさらに斬り伏せリィンは、先程感じた異質な感覚を思い出す。

 遠くにいるようで直ぐ側にいる、うなじがピリつくような肌を刺す不可思議な何かの視線。

 絡み付く見えない感覚が気持ち悪かった。

 

(……センセーめッ! 何が「この世界で一番安全な場所だ」――だッ! 何か変なのいるじゃんッ!!)

 

《セーレム》へ着いて早々、何やら訳の分からない危険に遭遇したリィンは、置き手紙に書かれていた内容を思い出し、剣の師に湧き上がるイラつきと共に胸中にて悪態をつく。

 まったく、やっと関所を通れたと思ったらこれである。

 都市へ続く街道沿いの森で、いきなりこのような危険な感じの存在に出会でくわしたらこの先、何とも言えない不安を感じながら生活を送らなければならないではないか。悪態の一つでも付きたくなるというものだ。

 今度会ったら絶対センセーに文句言ってやるッ――!! とそう胸に刻んだリィンは、森の奥からこちらへと飛び出して来る魔獣達へ腕をけぶらせ、それらを地へと叩き伏せる。そして粗方魔獣を一掃し終えたリィンは再び、周囲の気配を探った。

 不穏を纏い、静寂に包まれる周囲へと全神経を、集中させて――。


(本当に何なんだ一体。嫌な感じはするのに……)


 相変わらずのつかず離れずの感覚。

 まるで、観察されているようなそれに、苛立ちを禁じ得ない。

 

(……観察?)


 ふと脳裏を過ぎった単語に、思考を巡らせる。


 観察――


 項がピリつく、危険な得体の知れない存在――


 森の奥から逃げて来たと思われる低級魔獣達――


 いまだに襲って来ない得体の知れない存在――


 その、理由は――


「ネーヴェッ!! ノエマさん連れて街道へ――。急いでッ!!」

「ッ!! ノエマさん、行きましょう!!」


 声を上げ、ネーヴェへ言葉を投げる。

 その言葉に弾かれるようノエマの手を引き、駆けるネーヴェ。

 ノエマはまだ少しばかり混乱気味のようだが、ネーヴェが側にいれば大丈夫だろう。

 思考のピースがはまる前に、リィンの脚が爆発するかのような勢いで地面を蹴り、森奥へ凄まじい速度で疾駆する。

 ネーヴェとノエマの側を離れることにはなるが恐らく彼女等は大丈夫だ。いざとなればネーヴェも戦う事が出来る。

 それにもし、攻撃されるとすれば……


 直後。


 項のピリつきが跳ね上がり、肌が粟立つ。

 感じた直感に従い、前方にある幹を駆け昇り、幹を蹴って背後へ回転。

 空中へ身を躍らせ回避し、足場にした樹木の幹へ視線を向ける。

 静かに、音を立て崩折れる樹木。

 まるで何か鋭い刃物で切断されたかのように倒れる樹木の、その切れ跡に目を細め、攻撃を受けたことに自身の予想が間違いでなかったとリィンは確信を得る。


 そう、この得体の知れないモノは、誰かにこの場所へ来てほしくはなかったということを――


 そして、人知れず何かを葬り去りたかったということを――


 一つ所に留まらず、初めに攻撃を受けた場所周辺をくまなく駆け走り、必死に探す。

 間違いなくこの近くにいる筈なのだ。

 一度攻撃を受けた直後から絶え間ない、視覚できない攻撃を受けそれを躱しつつ、周囲の気配を針に糸を通すよう慎重に探る。

 まだ、大丈夫な筈だから――と。


 そして――

 

(――いたッ!!)


 一際大きな樹木の根元――


 その根元の下草に、気を失っているのか、横たわる一人の薄桃色の髪をした女性。

 女性の側では、割れて倒れているランタンの硝子の隙間から、青い焔が小さく煌々と漏れ出ているのが見える。

原初の神焔ウェスタ》――遥か太古の昔、創造の神ディミウル神が人へ与えたと言われる魔を祓い焼く神秘の焔――。

 その焔の種火が恐らく、彼女の身を今まで護っていたのだろう。だが、その焔が徐々に、徐々に小さくなって、今にもその輝きを消そうとしている。

 女性を視界に入れ、身を低くし駆ける速度を上げる。

 視えない攻撃が怒涛の如く降り注ぐ。

 まるで彼女の側へ行かせまいとするかのように、執拗にリィンを狙い攻撃してくる。

 その攻撃を被弾覚悟で双剣を収納し駆ける、駆ける――。

 近付く彼女との距離に両手を自由にし、一度きりのタイミングに全集中力を充て駆ける。


 そして――


 フッ――と、神々しい青の灯火が掻き消える。

 先程まで執拗にリィンに対し仕掛けていた攻撃の的を得体の知れない存在は《原初の神焔ウェスタ》の種火が鎮火した途端、瞬時に矛先を女性へと切り替え牙を剥く。


 瞬間。


「間に合えぇーーーッ!!」


 速度を落とさず、滑り込むよう女性を掬い上げ、横抱きに回収――。

 割れて倒れているランタンが無惨にも凄まじい音をたて粉々になって砕け散るのが背後で感じられ、さしものリィンも息を呑む。

 先程まで女性が居た大樹の根元はまるで、無数の鋭い何かに突き刺されたかのような抉れた地面になっており、それを肩越しに見て、


(あ、あっぶなぁーーーあッ!!)


 胸中にて盛大に絶叫――。

 流石に今のは危なかったと、ばくばく耳にまで響く心臓のを感じつつ、リィンは絶叫した。

 一歩間違えればこの女性だけではなく、自分も仲良くあの地面と同じ悲惨な末路を辿るところだったのだ。致し方がない。

 しかし、あの得体の知れない存在は相当この女性のことが殺したいらしい。


 一体、何故なのだろう――


 今だ己の腕の中で気を失っている女性へと視線をちらと向け、リィンは駆けつつそんなことを思った。


(はてさて、勢いでこっちに来たはいいんだけれども……)


 全ての攻撃を持ち前の危機察知能力と反射神経にてぎりぎり躱しつつ、呼吸を少しずつ整え思案する。

 そもそも今更だが、この得体の知れない存在の正体はなんなのか。個体なのか、はたまた群体なのか。このまま街道へとこの女性を連れて飛び出していいものなのか。


(――ネーヴェを。ネーヴェとノエマさんを、危険に晒すわけにはいかないからな)


 さて、どうしたものか――


 今、両腕は女性を抱き上げている為双剣を握ることは出来ない状態。戦うにしても得物が握れないのならば酷く心許なく危険である。

 このまま森中を延々と走り回ることも現実的ではない。しかし、だからと言って足を止め対話を試みるなど論外――。足を止めたその瞬間、大切な半身いもうとに二度と会うことが出来なくなる。

 暫し、う〜む〜――と思考に耽っていれば、空を切り裂き視覚することの出来ない攻撃がまた、容赦なく二人に飛来する。

 それを器用に身体を逸らして避けつつ、駆ける、駆ける――。

 地面が抉れ、土が、下草が宙を舞う。

 そして何度目になるか判らない視えない攻撃を躱し、鬱蒼とする木々がばらつき始めた少し開けてきた場所で、冷静に敵の攻撃を観察しその瞳を細め、リィンは視た・・――。


(針と、糸――?)


 視えないと思っていた攻撃の手が、微かだが視認することが出来る。


 一体、何故?


 そう思い周囲を観察し、無軌道に駆けるリィン。


 先程と違うこと――


 周囲の木々が先程とは違い少なくなり、薄暗かった森に陽の光がまばらだが差し込み明るくなっている。

 顔を少し上げ空を見る。


(そうか、陽の光――)


 陽光が糸のような物に反射し、光って視える。

 始めに木が切断されたのはこの糸のような物が原因だったか――、と思考の端で思い出しそう結論づける。

 攻撃方法は分かった。

 だが、肝心の得体の知れない存在の姿はいまだ、目視することが出来ていない。恐らく蜘蛛系の怪物だろうと攻撃方法で予想はつくが、攻撃してきた先や気配のする場所を何度か観察するも其れらしい姿は確認出来ない。

 不可視の怪物なのか、はたまた酷く小さな怪物なのか。いっそのこと、今居る場所を燃やし尽くせれば簡単なのだが、後が酷く大変そうだからこの手は使えない。

 何より、そんな事をしたらネーヴェが怖い。

 お菓子一週間禁止令はイヤである。

 そのような事を悶々と考え頭を捻っていると、視界の先が更に開け、リィンの碧の瞳に“空”が映った。


(……空?)


 降り注ぐ陽の光に碧の瞳を眇め、森の中から飛び出て周囲を素早く確認する。

 視界いっぱいには、広がる澄み渡った青空。

 その光景に、うわぁ、何か一面空だなぁ――、と呑気にほんの少しそのような事を思い視線を下へと向けリィンは、息を呑んだ。


「……凄い」


 言葉が自然と口から零れ出る。

 碧の瞳の先には、雄大なラーデン山脈と鬱蒼と木が生い茂る森。そこに隠されるよう囲まれた、中央地帯の遥か下――。

 大地が隆起した断崖の下には、無数に息づく人々の家々に荘厳な建造物群。

 少し、高い位置に存在する建造物は教会施設か何かだろうか。

 あそこに在るのは一体何なのだろう――。

 人工物の広がる中に、木々や湖といった自然物もしっかりと共存しているのが見て取れる。


 果てが、見えない――


 全てが陽の光を受け、キラキラと輝いて見える。

 風が突如として吹き抜け、リィンの碧の瞳が壮大な光景に輝く。


 此処が、“生きた”遺跡眠る人類最後の楽園の地――《遺跡都市セーレム》――


 今の状況を一瞬忘れてしまう程の壮観をその碧の瞳に映し、リィンは、女性をしっかりと抱き直す。

 これから《セーレムこの地》で遣って行くのだ。さっさとこんな得体の知れない存在との追いかけっこ紛いなど終わりにして、生活基盤を築きに行かなければならない。


 だから――


 梢からはらりと舞い落ちた木の葉が、二つに切り離され舞い上がる。

 音もなく飛来し迫る無数の針。

 数も姿も判らないままだが、分かっていることが一つだけならある。この、得体の知れない存在はどうしても腕の中で眠る女性の命を刈り取りたいと言うことを――。

 なら、何処までも必ず追って来る筈だ。確実にこの女性を仕留めるために――。

 迫る無数の攻撃を自身の感覚を信じて躱し、気配がぎりぎりまで近づくのを待ち、駆ける。


 そう。


 空が広がる隆起した断崖の先へと、リィンは駆けた。






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