第一章 入国
第一章一話 密入国と強襲
「次ッ――!」
まだ霧が薄く残る早朝。
決して狭くはない頑強な石造りの空間に、男の空気を震わせるかのような張りのある声が喧騒の中響く。
男の眼前には数多くの老若男女達。
子供の泣き声に怒声を放つ者、荷物を抱え顔色悪く涙を流す者に虚ろな瞳をした者と、酷く混沌とした様相の空間が広がっている。
そんな眼前の光景に男はため息を一つ小さく吐くと、胸中にてそっと西の小さな大地を脳裏に浮かべ言葉を呟いた。
(そろそろ来る頃だとは思っていたが、まさか、これ程までとは……)
今から約一週間程前。
西にあった小さな大地が一つ、地図からその姿を消した。
それは唐突な出来事だったそうだ。
突如都市の中心部に現れ人々を襲うかのようにその身を広げた白き闇――《虚無の霧》に、西の小さな大地の都市は全てを瞬く間のうちに呑み込まれていったという。
時間帯は黄昏の刻に差し掛かる陽の刻。
夕食の調理に入る者や、まだ外で遊ぶ子供達。仕事に勤しむ者も数多くいたことだろう。
いつもと変わらない日常――
そんな、穏やかな日常が一瞬にして崩壊し、人々は財産もなにも持たないまま命からがらこの地に辿り着いたというが……
男は少し物思いに耽った
今は目の前の仕事に専念せねばならない。
そう、男が意識を切り替えた直後。
検問を済ませた者達の後を追うよう群衆から、一人の避難民男性が強引に検問を突破しようと門へ駆けていく姿が見えた。
「オイそこッ! 検問は済ませたのかッ!? 通行証のない者、検査に通過しなかった者は
避難民男性付近にいる部下に、男が声を飛ばす。
これより先、通過資格のない者は
「他に通行証を持つ者はいないかッ!」
検問という名の選別に不快さを感じつつも、避難民男性が部下に連れ出されるのを見届け、男は意識を切り替え周囲を見回し叫んだ。
下手に彼等に肩入れし、都市に見放されるのだけは溜まったものじゃないと思いながら――
「はい、はいは〜い! 此処にいますよ~」
この張り詰めた空間の中、緊張感のない声が男の耳に入る。
(あー、頼むから問題のないやつでいてくれ……)
胸中でディミウル神に祈りつつ、男は声の主に視線を向ける。
若い娘だ。
手綱を捌き男の前に荷馬車を近付け停止させると、通行証と数枚の用紙をこちらへと差し出してきた。
それらを受け取り中を確認する男。次いで、娘と荷台を男は注意深く観察した。
(商人……か。通行証の発行日は半年前? 荷台の中は……)
長年この場の門衛をしている勘だろうか。
男はすぐに娘を通す事はせず、調べ終わった荷の中をさらに詳しく調べるよう部下に指示を出す。
すると――
ガンッ
「「ッ?!」」
何かが打つかる微かな音。
その音に娘の肩が小さく跳ね、男の瞳に鋭さが増す。
荷台の中で何か、物音がした。
――《密入国》――
そんな言葉が男の脳裏に過る。
側に控えていた部下に娘を見張らせ、荷台の中を確認しに男は足を向け
「通って頂いて構いません――」
静かな――何の感情も読み取れない、そんなどこまでも静謐な声に男の足は縫い止められた。
「……何のつもりだ?」
問い詰めるような声が男の口から発せられる。
言外に何故邪魔をする――、とそうその言葉に含みを入れて。
しかし、漆黒の髪の青年はその静謐な声で答える。
「荷台を調べましたが、
静かに男の元までやって来る青年。
そっと、髪色と同じ手袋をはめた手が、男の手に握られている通行証に伸びる。
「ッ!!」
瞬間。
ガバッ――と青年から反射的に離れ、手に持っていた通行証と紙が男の手から離れ落ちる。
無造作にその身を地面に広げる何枚もの紙。
そして――
「こちらの通行証を発行したのは《神子》様です」
地面に広がった通行証と紙を、何事もなかったかのように静かに拾い上げ、目を通し言葉を静かに紡ぐ青年。
そんな青年の言葉に、隣で部下が息を呑んだ。
青白い顔だ、無理もない。
だが、本当にそうなのか――?
青年の表情を窺うも、その感情が抜け落ちたかのような面持ちでは判別できず、男は悩む。
嘘という可能性もあり得る。
しかし、そんな事をして目の前にいる薄気味悪い青年に何の得があるのか――
「……分かった。だがッ! 通行許可を出すのはお前だ! サインもお前が責任を持ってしろッ!」
暫し悩んだ
許可を、出さざるを得なかった。
此処を通さず本物の許可証だったと判った場合、首が飛ぶのは男の方――。
命は惜しい。
責任を持つというのならば勝手にすればいい。
視界の先で青年が何の迷いもなくサインを書き、娘に通行証を返しているのが見える。
大きな溜め息が男の口から零れ出るのと同時に《霧》が明け、朝陽が検問所内に差し込む。
西の小さな大地から来た避難民は、
彼等をどうするかは知らんが、いつもの事だ。
青年が此方へやって来る。
今度は接近されることに過剰にならないよう
「ようこそ。神の子がおわす人類最後の楽園、『
そう言葉を放ち、今日も今日とて巨大で重厚な門の近くにて、男は人々を選別し見送っていく。
人類最後の楽園とも呼ばれる都市へ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――よし! 言い訳を聞いてあげようじゃあないか、少年よ!」
都市唯一の関所となるラーデン山脈の麓――。
そんな麓の関所からいくらか離れた街道付近の森林の中で、娘――ノエマ・ノエシスは満面の笑みにて自身から視線を逸らす少年に説明を促した。
それはもう燦然と輝く太陽のごとき笑みで――。
そして当の少年はというと、硝子玉のような碧の瞳をその純白の髪でノエマから発せられる圧を隠しつつ、小さな肩を縮こまらせ黙秘を一貫――。
隠れていた荷台の荷箱から出て、ノエマの前で正座をさせられていた。
二人の間に沈黙が流れ、両者変わらぬ姿勢にただただ時間だけが過ぎていく。
「あの……、ノエマさん」
一向に変わらぬ沈黙を破ったのは、遠慮がちに言葉を発した可憐な少女の声。
眉尻を下げ、碧の瞳でノエマを見詰める少女はそっと彼女から視線を少年に向け、続けて遠慮がちに言葉を発した。
「リィンに代わって、私が謝罪を――。本当に、申し訳ございませんでした」
そう言い、少女はノエマに対し向き直ると深く謝罪の意を示し頭を下げる。
はらりと少女の純白の長い髪が、その動作と共に横に流れる。
とても綺麗な所作だ。
そして――
「ッ!? ネーヴェは何も悪くないッ!! 寝てた俺がッ……」
少年が勢いよく少女――ネーヴェへ向き直ると、慌てて言葉を発し固まる。
ピシリ――と音が鳴ったと錯覚するほど、それはそれは見事なまでに。
「……ァ〜…………――」
油が切れたブリキの如く再び、少年の視線が顔ごと二人から逸らされる。
やってしまった――、そう少年――リィンの表情にはありありと描き出されている。
「……リィン。ちゃんと謝る」
優しく、しかしぴしりと謝罪を促すネーヴェ。
それでも口を滑らせ自供してしまったリィンはそっぽを向いたままむぎゅりと口を閉じ、再び沈黙の姿勢をつらぬき始める。
ノエマはノエマで変わらず笑顔のまま沈黙である。
絶対零度の、完全に眼が笑っていない、どう料理してやろうかという捕食者のような目付きをして。
静かに、静かに少年を見詰めている。
沈黙がまた、場を支配する。
そして、どれくらいの時間がそれから経っただろう。
ぐさぐさと突き刺さる視線と圧に耐えかねたのか、少年が少女の背に隠れるようゆっくりと移動し、彼女を盾にする。
「………………ハァ〜」
多分に呆れを含んだ溜め息を一つ、ノエマが零す。
何だか大人気なくなってきた――そう胸中で思い始めたノエマは、目の前にいる二人をそっと見遣る。
(見た目、すっごくそっくりなのにな~)
穢れを知らない純白の髪に碧の瞳、性別差はあれど二人共に卵型の顔で鼻がすっと通っており、お人形のように愛らしい。背格好は標準的よりほんの少し小さめなのだろうか。その小さな身体には二人共、少し大きめの白を基調としたお揃いのフード付きコートを羽織り、性別の区別がつくよう長ズボン姿とスカート姿。
ちょっとした服装違いに髪の長さや身長に差はあれどこの二人、同じ顔なのだ。
それはもうびっくりするぐらい。
詰まる所――
「――
「……………………」
少年が何やら物言いたげに少女の後ろから顔を少し出し、ノエマを見遣ってくる。
若干、顰めっ面で――。
「…………めん……さい」
ひどく、弱々しい小さな声がノエマの耳に入る。
少年の声だ。
また少女の後ろに隠れてしまったが今、間違いなく少年が言葉を発した。
この少年は素直で優しい子なのだが如何せん、意固地になる面がある。そのためなのか、口を噤んでしまい、謝罪と理由を話すタイミングを逃し引っ込みが付かなくなったのだろう。
そんな少年を見て、ノエマの口元が若干和らぐ。
小さく、弱々しいながらもちゃんと謝る事の出来るこの少年に愛着がわく。
それにそもそもこの少年には――
「ッ!!」
ノエマが思考に耽る中。少年が弾かれたように顔を上げ、ノエマ目掛け疾駆する。
その小さな両の手には、いつの間にやら握られた二振りの剣。
咄嗟の出来事に目を白黒させるノエマの横を低い姿勢で少年が駆け抜け、左脚を軸に地を踏みしめ一閃ニ閃――。
刹那、獣の唸り声と地に落ちる重量のある体躯音が響く。
「な、何ッ?! 魔獣ッ――?!」
小さく身を竦め、驚愕の眼差しで少年と地に伏す四足の魔獣を見比べ声を上げるノエマ。
己の血溜まりに沈む魔獣は既に息絶えているようだが、少年は鋭い眼差しのまま魔獣が飛び出してきた方角を今だ見据えている。
木々の葉を不穏な風がさわさわと吹き鳴らし、先程まではなんの変哲もなかった森を酷くざわつかせる。
油断なく二振りの剣を構えた少年が、周囲の気配を探り肩越しに二人を見遣り言葉をかける。
「……ネーヴェ、ノエマさんと少し離れた場所で隠れてて」
静かに、出来るだけ静かにそう促して、再び前を向く少年。
その言葉に少女がこくりと頷き、「リィン、お願いだから無理はしないで――」と憂いを帯びた表情で少年へと言葉を発する。
(……まだ、何かいるの――?)
自身の側にいつの間にか近づいていた少女と、森の奥を鋭い眼差しにて見詰める少年を見比べ、疑問符と汗を浮かべ少女に誘導されるまま歩くノエマ。
これは、かなり危なそうな雰囲気だ――
双子が、特に兄である少年が先程までと打って変わってその雰囲気をがらりと変え、油断なく森の奥を見据えているのだ。
だったら、間違いなく“何か”が少年の視線の先にはいるのだろう。
それこそ危険な、得体の知れない“何か”――が。
自分を置いて行けば恐らく、この双子達は何の問題も無くこの森から抜け出る事が出来るだろう。
しかし、この双子達はそのような事を絶対にしない。
誰かが傷付くのを黙って見ている事も、見過ごす事も出来ない子達だから――
(何と言うか、大人として情けなく思うよ。これじゃあ完全に足手まといだ)
周囲の木々の中で一際大きな樹木に隠れ、少年の後ろ姿をそっと見守り少女の手を握る。
どうか怪我をしないで欲しいと祈って。
少年の身の安全に心を傾けるこの、少女のためにも――
(でもまぁ、少年なら大丈夫でしょ。何か強いし、ね?)
そう、この地へ来る前に見た少年の強さを信じ、ノエマは前を見据える。
そして――
両の手にある一対の剣を握りしめ、閉じていた瞳を迫りくる影へと向けると少年は、凄まじい速度でその影へと肉薄した――
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