ラウトダンスは私と

ぼっち

第1話

 多分……いや、きっとそうに違いない。

 そんな、確信に近い推測があたった分だけ、驚かなかったと思うのよね。

「あなたの残された時間は、そう長くはありません」

「そう、というと、どれほどの期間なのでしょうか」

「長くて半年といったところでしょう」

 そうなのね、私は死ぬのね。

 私は腕に繋がれた管を見た。

 透明なパックに入った液体が、等間隔で一滴ずつ私の体に侵入する。

 なんだか、ぼうっとした。

 私はその透明なパックにいつのまにか見入ってしまい、薄れつつあった記憶を無意識のうちに掘り返していた。

 検査中に急激な頭痛に耐え切れず、病院の廊下で倒れてしまったのだ。

 急に旦那の顔を思い出した。

 今はもう短くなった髪だけれど、それでも素敵で、かっこよかった。

 だから私はいつも友達に言うの。

 うちの旦那はジェイソンステイサムなみよ、なんてね。

 思わず私は笑ってしまった。

「どうかされましたか?」

「いえ、別に……私は死ぬまでここから出ることはできないのでしょうか」

「それは入院しない、治療をしないということですか?」

「だって治らないんでしょう? くも膜下出血って」

「あなたの場合は、ここに示された画像にある通り、かなりの大きさに発達しています。私はこの大きさの脳腫瘍を始めてみました」

 私は鼻で笑ってしまう。

「ついてますね」

「……いいですか、あなたはご主人がいると言った。よく相談されることです」

「そうですね」

 私は病院を出た。

 既に空は暗闇に包まれている。

 見上げたまま、じっとしていると空に浮かぶ大きな雲を発見した。

 まるで腫瘍だ。

 そう思った時、急激に現実に戻された気がした。


 ……そうか、私は死ぬのか。


 体が芯から震えた。

 勤めている広告代理店はどうなる?

 残された旦那は新しい女を作るのだろうか?

 好きな映画の続きは?


 急に、涙が出てきた。


 通り過ぎる人たちが、私を不思議そうに見ていた。

 見ないで!

 私はその場を早歩きで過ぎ去った。

 どこか、遠くに行きたかった。

 突然だった。

 カバンからスマホの鳴く音が聞こえた。

 私は立ち止まった。

 カバンを開いた。

 検査結果の書類が目にはいった。

 気分が悪くなった。

 見ないようにして、私はスマホを取り出した。

 画面には、旦那の名前が残っていた。

「……もしもし、どうしたの?」

「ゆかり! 今、どこにいるんだ⁉」

「どうしたの、そんなに慌てて」

「想定の終わる時間はもうとっくに過ぎてるんだぜ、そりゃ心配するさ」

「あぁ、ごめんなさい、連絡するの忘れてたわ。詳しくは帰ってから話すわ」

 帰らないと。

 かえって、だんなに説明しないと。

 仕事も、やめないと。

 葬式の準備は?

 相続は?


 ……止まらない思考が私を襲った。


 興奮はいけないと言われていたのを思い出し、私はタクシーで家まで帰った。

「ただいま、慎二さん」

「おかえりゆかり。夕食の準備は終わってる。でも先にお風呂にしとくかい?」

「うん、お風呂にするわ。いま、私、食欲ないの」

「分かった」

 シャワーを浴びて、さっさと私は浴室を出た。

 リビングでは旦那がテレビをぼうっと見ていた。

「慎二さん?」

「……」

 私は旦那の隣に座った。

 彼の焦点はテレビにあるけれど、虚空を見つめているようで、目の力が死んでいた。

 まるで死んだ魚の目だ。

「あがった? 見てよこれ、可笑しいんだ、お題がオタクはアイドルがいつ排便をしているか、だってよ。どうやらあいつらはアイドルが排便しないなんてホントに思って」

「慎二さん」

 私は彼の言葉を止めた。

 いつもと様子が違った。

 ダイニングテーブルの上にある鞄が視界の隅にあった。

 なるほど、鞄から私の検査結果でも見たのだろう。

「見た?」

「…………すまない」

「いいのよ、別に、私から話す手間が省けたじゃない」

 慎二さんはハッと息を吸い込み、眉根を寄せた。

「君は、いつだってそうじゃないか」

 私の顔をまじまじと見つめて、その不安気な瞳を見せつけてくる。

「合理的で理性的な性格で、確かに俺はそんな君に惹かれたんだ、ハードボイルド小説に出てくる女主人公のような君に惹かれたんだ」

 慎二さんはソファー前のテーブルに置かれたグラスを持ち、傾けウイスキーを齧った。

 朝剃った髭がもう伸びてきているお陰か。 

 顎には短い髭が並んでいた。

 どきり、と心臓がなった。

「ねぇ、私たちが初めて出会った場所、覚えてる?」

「勿論さ。今はもう廃れたジャズバーだった」

「ええ、あなたはカッコつけて、マティーニを口にしていたわ」

「はは、恥ずかしいな。けれど、結果ベストな選択だったろう?」

「ええ、私はそれで声を掛けたんだから。お客、何を飲んでるの?って」

 夫は私から視線を逸らし、恥ずかしそうに頭をかいた。

「……あの時流れていた曲を覚えている?」

「勿論」

「「September 」」

 私たちは見つめあって、微笑んだ。

 すると、夫が立ち上がった。

 様子見する。

 彼はテレビ横に置いたあるレコードを操作した。

 針がジジジ、と音を立てるとすぐに、曲が流れ始めた。

「ほら、立って」

 太い腕が一本、私の前に差し出される。

「えぇ?」

「いいじゃないか、踊ろう」

 私は夫の手を取り、立ち上がった。

 刹那、頭部に急激な痛みが走った。

 しかし私はそれでも、慎二さんの体温を感じ続けた。

 せめて、この曲が終わるまで。

  

 あぁ、痛いわ、痛いわ。


 ごめんなさい、我慢できそうにないわ。


 足に力が入らない。


 鈍い衝撃が体に走った。


 夫の騒がしい声が、だんだんと、遠ざかっていくような……


 でも、いいの、出来たんだから


 ラストダンスは、私と……

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ラウトダンスは私と ぼっち @botti_document

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