最終話 あなたを絶対に幸せにします。
蝉時雨が夏を感じさせる八月中旬。世間では夏休みシーズン真っ只中ということで、レジャー施設やショッピングモール、都市部は学生や親子で溢れかえっている。特に、冷房の効いている屋内施設では混雑が見られ、気軽に行くには少し気が引けてしまう。
それに加えて、この猛暑。今日も三十度を優に超えて、もはや微熱レベル。八月に入るとこれが当たり前の毎日。冷房がないと死んでしまう。
「あぢぃー……」
「暑いね……」
扇風機をガンガンに回し、手にはうちわ。この装備、普通の冷房が効いている部屋ならとても冷える。しかし、現在リクの家のエアコンが故障中。窓を開け、扇風機とうちわで風を起こすことにより、何とかしのいでいる。
「なんでこのタイミングでエアコンが壊れるかな……」
リクの家にはリビングと寝室にエアコンが一台ずつ設置してあるが、その両方がタイミングを合わせたかのように同時に壊れた。エアコン業者に修理を依頼したが、やはりこの時期は混んでいるらしいく、来てくれるのが三日後になるらしい。つまり、あと二日はこの状態ということだ。
「エアコンがないもこんなにも辛いんだね」
「マジで今の時代エアコンなしは生きれない」
「ほんとにね。もはやサウナにいるみたいだし」
「もういっそのこと、水風呂用意しちゃうか。この状態で普通のお風呂入りたくないだろ」
「だね」
「ちょっと水張ってくるわ」
「うん」
と、リクが水風呂の準備をしにリビングから席を外した時、一羽のカラスが部屋の中へ入ってきた。
「ちょっ、え!? 窓開けてたから!? シッシッ! ……あれ? このカラスの足首になんか巻いてある……これ、手紙?」
カラスの足首に巻いてある手紙に気づき、手紙を取ると、カラスは入ってきた窓からまた出て行った。
「なんか大っきい声聞こえたけど大丈夫?」
「あ、うん……ちょっとね」
アリシアは手紙の内容を見て絶句した。その手紙は天界からで、内容を一部抜粋すると『至急、天界に帰って来い。総裁神様から話したいことがある』とのことらしい。
アリシアが天界に帰らずリクの家にいたのはここ二、三ヶ月間。その間何の音沙汰もなかったから忘れていたがアリシアは現在、天界家出状態だったのだ。
(どうしよう、これ、リクに伝えた方がいいよね……でも……)
伝えなくてはいけないことはわかってた。わかっているけど言いたくないとアリシアの心が訴えかける。別れを口にした瞬間に帰りたくなくなるから。
(リクには手紙を残して今夜帰ろう)
アリシアはそう決めて、リクに悟られないように残りの時間を普段通りに過ごした。
そして、深夜。リクを起こさないように布団から抜け出し、ひっそり月明かりに照らされながらリビングで手紙を書く。最後の行を書き終える頃には目は涙で溢れてた。
「ミャー」
「あ、天ちゃんごめんね。起こしちゃたかな」
今日も一緒に寝ていたから私が布団から抜け出したことに気づいて起きてきてしまったんだろう。
「これからはリクと暮らして行くんだよ」
アリシアの膝の上に乗ってきたテンちゃんの頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細め、ミャーと鳴く。
(たったの三ヶ月程だったのにこんなに別れるのが悲しいなんて……それだけリクのことが好きだったんだな。テンちゃんともお別れか……)
手紙を封筒に詰めてリビングの机に置く。軽く荷物をまとめ終え、後は天界に帰るだけとなったところで最後にリクの顔を見る。
「ふふ、可愛い寝顔」
そう呟いてリクの頬をそっと撫でる。
「リク、こんな私を救って、こんなに楽しい日々過ごさせてくれてありがとうね。もう会えないかもだけど、元気でね。テンちゃんのことよろしく」
自然と声が震え、涙が出てくる。そして、そろそろ頃合いかなとアリシアは最後に言う。
「リク、好きだよ。さよなら……」
***
「う、うーん……アリシア……アリシア!!」
深夜三時過ぎ。リクはアリシアがいなくなるという悪夢を見て飛び起きた。しかし夢というには何故か現実味がありすぎた。怖くなって横を見ると……。
「アリシア?」
布団は綺麗に折り畳まれ、そこにアリシアはいなかった。
「アリシア!」
トイレ、洗面所、お風呂。全て確認したがどこにもいなかった。靴もなく、再びリビングに戻ったところでテンちゃんが何かを咥えて持ってきた。
「ミャー」
「テンちゃん……。ん? これなんだよ。手紙?」
それはアリシアからだった。
『まず、こんな形でのお別れになったことを許して下さい。今日の昼、天界から手紙が届いて、帰って来るようにって通告があったの。きっと、この件がバレたんだと思う。でも、もうリクが命を狙われることはないから安心してね。
最後に。たったの三ヶ月だったけど人生で一番楽しかった。生きるのがこんなに楽しいことだって気づかせてくれてありがとう。名前も、付けてくれてありがとう。一生大事にするね! リク、私はもうこっちに来れないかもしれないからこれからも元気に過ごしてね。あ、あとテンちゃんのこともよろしく。それじゃあ、さようなら。 アリシア』
リクの目から大粒の涙が溢れ出てくる。一粒、二粒と手紙の上へと落ちていっては手紙に丸いシミを作る。
「こんな別れで許すか……あのバカ……! 絶対連れ戻してやる!」
とは言うものの、リクには天界に行く手段を持ち合わせていない。それに、天界に行く方法なんて知りもしない。
単純に考えると天界なのだから死んだら行けるのではないか。しかし、アリシアを連れ戻しに行くのに死んでしまっては本末転倒だし、会えるかもわからない。
「天界に行く方法ならある」
「え?」
天の声? と一瞬リクは思ったがその声の主がテーブルの上に乗っている白い塊だとは思いもしないだろう。
「えぇー!!! テ、テンちゃん!? テンちゃんが喋って……」
「まぁ、そう驚くでない。私は神の使いである猫である。リクは天界へ行きたいのだろう?」
「う、うん」
「ならば連れて行ってやろう。リクにはよくしてもらった恩もあるしな」
「マジで! テンちゃんありがとう!!」
そこからの話は早く、少し計画を立ててテンちゃんが天界へと繋がるゲートを開いてくれた。突然、異世界ファンタジーの世界に紛れ込んだのではないかと思うような非現実なことが連発して発生している。しかし、そんなことにツッコむ余裕はリクにはなかった。
「それでは行くぞ」
「うん!」
ゲートをくぐると強い光を浴び、反射的に瞼が閉じる。目を開けた時、そこはもう天界だった。
「ここが天界……」
天界は空が青ではなく柔らかいクリーム色で雲はあった。天界全体が柔らかい色で統一され、何故か安心するような気持ちになる。
「アリシアはきっと総裁神のところにいる」
「わかった」
テンちゃんに案内してもらい、アリシアの下へ急ぐ。
***
「死神。お前はここ最近まともに仕事をしていない。それについてはどうかね」
「はい……その通りです」
「お前には【死神】としての自覚はないのか? お前は人間の数を制限する役割を持っておる。それをしないと、人間が増える一方。世界はパンクしてしまう」
「はい……」
総裁神の言っていることは最もである。それが【死神】という役割を与えられた者の責務なのだから。しかし、アリシアは罪のない人間を手にかけることはどうしてもできない。
「さて。話はここまでにして、お前の処分を決めるとしよう。そうだな……お前には【死神】を辞めてもらおう」
「え……?」
「そして、お前は用済みだ」
それが意味することは、アリシアの存在がなくなるということ。いわゆる死と同じである。
「今までご苦労だったな。さよならだ」
「え、ちょっと……!」
「ちょっと待ったー!」
バン! と扉を開け、まるで結婚式へ乱入みたな入り方をしたが、状況が状況なので仕方ないだろう。
「リ、リク!? どうして」
「なんだお前は!! 今、取り込み中だぞ!」
「関係ない。俺はアリシアを連れ戻しに来たんだ!」
「コイツを連れ戻しに? 何をたわけたことを言っている!」
「聞いたぞ。人間になればアリシアは生き続けられるんだろ?」
「そのこと……誰から!」
「私ですよ」
「貴様は……殺したはずじゃ……」
「運良く生き残りましてね……さぁ、総裁神――いや、デビランお前がその玉座に座る資格はない!」
テンちゃんはさっきまで四足歩行だったにも関わらず、今は器用に二足で立ち、パチンと指を鳴らす。すると、どこからともなくロープが現れ、目の前の総裁神をぐるぐる巻きにする。
「おい! 何をする!」
「ちょっと牢獄に閉じ込めるだけさ」
そう言って、身動きの取れない元総裁神を持ち上げて運んでいく。
「リク、コイツを牢獄に放り込んでくるから好きにしていてくれ」
「わかった。ありがとうテンちゃん」
バタンと扉が閉まる音が響き、教会のような建物の中にはリクとアリシアの二人きりになった。
「えっと……」
「アリシア、無事で良かった。勝手にいなくなって……心配、したんだからな」
「ごめん……リク」
「また会えてよかった」
「うん……!」
別れてからそんなに時間が経っているわけではないのに、長い間会っていなかったような感覚になった。
二人で抱き合って再び会えた喜びを分かち合う。お互いの温もりが伝わり、とても安心する。
「それでなんだが……アリシアは人間になりたいか?」
「人間に……」
テンちゃんから聞いた話によれば、天界に住まう住民は人間とはまた別の生き物。その天界の者が人間になるためにはある儀式が必要だという。
「人間になっても、リクは私と一緒にいてくれる?」
「ああ、もちろん。これからも一緒に生きていこう」
「なら私、人間になる。人間になってリクと一緒に生きていきたい」
「わかった。じゃあ……」
誰もいない教会で二人は口づけを交わす。柔らかい二人の唇がぴたっと重なり合い、愛おしい気持ちが溢れてくる。
人間になるための儀式、それこそがこの口づけである。しかし、それにも条件があり、お互いが愛し合っていなければならないのだ。
そっと、唇離すと、アリシアに光の柱が降り注ぐ。
「アリシア……どう?」
「うん、身体から天界の力が感じない。人間になれた……!」
「やった! おめでとうアリシア」
「うん、ありがと!」
無事にアリシアが人間になった。つまり、二人の愛が証明されたということになる。
「なぁアリシア、俺と……付き合ってくれるか?」
「っ……。ふふ。もちろん、喜んで……!」
綺麗なピンク色の花の名前を持つ、アリシアと花が綺麗に咲くためには欠かせないリク。出会いこそ最悪だった二人だか、きっと、これからたくさん楽しいことがあることだろう。だって、二人の恋物語はまだまだ続くのだから――。
「リク、大好き」
「俺も大好きだ、アリシア」
完
【読み切り版】死神暮らし 四ノ崎ゆーう @yuuclse
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