ノスタルジック渓谷 〜背戸峨廊〜

早里 懐

第1話

ある人が言った。


世の中には2種類の人間しかいない。

俺か俺以外か…。



いや、そんなことはない。


世の中には色々な愛すべき人間がいる。


本日出会ったfunkyなマダムや昨年、蓬田岳で出会ったクイズ王も然りである。




3連休最終日、私たち夫婦は涼を求めて背戸峨廊を散策することにした。


背戸峨廊とは福島県いわき市の夏井川渓谷の一つである江田川の下流にある渓谷だ。


本来は4時間程度の周回コースとなっているが、東日本台風による大雨の影響で一部区間が通行禁止となっており、現在はトッカケの滝までのピストンコースが散策可能である。



私たちは県道41号線沿いのトイレが完備された駐車場に車を停めて出発した。


少し歩くと磐越東線の橋脚が姿を現した。


そのレトロな佇まいを見ると、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。



この先、暫くは車道を歩くことになる。


背戸峨廊の入り口にも10台程度停めることができる駐車場がある。

しかし、ここまで車で来る場合は、すれ違いが困難な車道を走る必要がある。



ここからは本格的なトレッキングコースとなる。


基本的には沢沿いを歩くことになるが、少しばかり高度感のある山道も歩く。



沢沿いの散策路は酷暑から私たちを解放してくれた。


水の流れる音や鳥たちの囀りが涼しさを運んできてくれる。



道すがら2組の家族連れが涼を取っていた。

渓谷にはとても緩やかな時間が流れていた。




トッカケの滝まではあっという間だった。


その滝は想像していたよりもはるかに雄大であった。


私たちはマイナスイオンを存分に浴びた。


喧騒から解放されるこの時間はとても贅沢だった。


流れる水に足をつけてみた。


その水はとても冷たく、私のほてった体を冷やしてくれた。


妻も冷たい水に触れながらのんびりとした時間を過ごしていた。


私たちはいつまでもこの贅沢な時間に浸っていたかったが、夕方に所用があったため、後ろ髪を引かれる思いで帰路についた。


ヒグラシの鳴き声が夕の訪れを告げていた。





私たちは駐車場に戻ってきた。


出会いは突然だった。



「そこのトイレに洋式あるか見てー」

道路を挟んだ駐車スペースから関西訛りの女性の声が聞こえた。


私と妻は辺りを見渡したが周囲に人はいない。


どうやら私たちに声を掛けているようだ。



70代くらいの女性だ。


見た目はとても派手である。


一言で表すと"funky"という言葉が適切だろう。


妻がトイレの中を確認すると奥に洋式トイレが一つあったようだ。


妻はそのfunkyなマダムに対して洋式トイレが一つあることを伝えた。


するとそのfunkyなマダムは妻に近づいてきた。

次の瞬間、妻の腕を強引にもぎ取り松本明子ばりに腕を組んだ。



「私、怖がりやねん」


そう言って妻をトイレに引き込もうとしている。



一方で、妻のパーソナルスペースは極端に広い。


妻は困惑しながらも人助けのつもりと思って、その腕を薙ぎ払うことなくfunkyなマダムとトイレに消えていった。


何やらお化け屋敷にでも入ったかなような賑やかな声がトイレからは聞こえてくる。


暫くすると飯島直子と松本明…。

いや。妻とfunkyなマダムがトイレから出てきた。


「蜘蛛の巣があったから無理やったわー」


funkyなマダムは頭を抱えながら言った。


しかし、この近辺にここ以外トイレがないことは明らかだ。


私はそのことをfunkyなマダムに伝えた。



しかし、funkyなマダムは突然「あなた達、飲み物あるの?」と問い掛けてきた。


先程まで、慌てふためいていた尿意はどこにいったのかと思いつつも、水筒を持っている旨を伝えた。


すると、funkyマダムは半ば強引に私たちを道路を挟んだ反対側に停めてあるfunky carに誘った。


私と妻は訝しんで顔を合わせたが、どうやら怪しい人でもないと思い、誘われるがままに道路を横断し、funky carに向かった。


funkyマダムはクーラーボックスからキンキンに冷えたほうじ茶を私たちに差し出した。


私たちは言葉に甘えてキンキンに冷えたほうじ茶を譲り受けた。


するとfunkyは私たちに驚くべき内容の話をしてきたのだ。


funkyは元バリバリのハイカーだったようだ。


funkyの話によると、涸沢ヒュッテを拠点として穂高連峰や槍ヶ岳という名だたる名峰を踏破していたとのことだ。


とてもfunkyだ。


私はそのfunkyの話に聞き入っていた。



funkyの話が一段落したとこで私たちはほうじ茶をいただいたことに対して感謝の意を伝え、funkyと別れた。





帰りの道中、私は先ほどの出来事を回顧した。


funkyは本当にトイレに入りたかったのか?


もしかしたら登山スタイルの私たちを見たことで、ハイカー時代の風景が脳裏に甦り、話をしたくなっただけなのかもしれない。


しかし、その答えは今となってはわからない。


そんなことに思いを馳せながら、私はキンキンに冷えたほうじ茶で乾いた喉を潤した。

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