Laziness

Hurtmark

Laziness

 生涯で最高の幸せとは何でしょう?それは私にとって、特別大それたものではない。

 朝に窓から差し込む陽の温もり、甘くとろけたパンペルデュ、乾いて冷たい風が吹く散歩道、柔らかなベッドに寝て読む小説の堅い文章。一言にまとめれば、いこいと言うのかな。誰にも邪魔されず何も起こらない私の時間が、最期の日まで途切れず続いて欲しいの。けれど世界は余計なもので溢れていて、平穏は有限の一時でしか有り得ない。

 誰も彼も慌ただしい。必死に奮うものだから、私も生活を確保するため、調子を合わせなければならなかった。不十分な睡眠時間、種類に乏しい朝食、人で溢れた登校路、騒がしい教室、夜の余暇は自主課題で大きく削れている。早い内に隠居して、不自由ない老後を過ごすためには、要求される能力を高水準で獲得する必要があるので、日常は疲れるものだ。人間は社会の中でしか生きられず、獣のようにはいかないからな。いっそのこと植物に生まれてくればよかったか。病んでるわけではなく、ちょっと本気で憧れてしまうよ。

 怠けるために努力をしなくてはならない。それはいいのだけれど、どれだけ成果を得たところで、余生の苦労を全部取り除ける訳じゃないわ。どんな人生も面倒事で満ちているのだから、詰んでいる。求める完璧な日々は、生きてる限り手に入らない。でも死にたくはないな。

 命あってこそ、眠ることは心地良いものだ。叶う事なら、死神さえ追い返して永遠生きたままにダラダラしていたい。私の怠惰は積極的な欲望であり、他者を殺してでも成就させたいくらい、攻撃性があるだろう。言ってしまえば。


 私の望みを不可能と断ずる、この世界こそ滅ぶがよろしい。外部に妨害されるのが迷惑であれば、人類を除去するまで。後は、不可侵の殻を作って引き籠ればいい。


「ははっ、そんな。何を考えてるの、私は...」


 突然と閃いた破壊衝動に、怪訝の独り言が漏れる。いつもと変りない日のことだった。食後のデザートを買うために夜のコンビニへやって来た。用を終えて駐車場に出た時に、ふと想い描いたのだ。憩いの敵を皆滅ぼして、私だけで完結するゆるりとした暮らしを。

 世界をどうこうするなんて、敵意の飛躍も程がある。阿保らしいこと、これまで人一人害したことのない私が、できる訳がなかろうに。けれど楽しい妄想ね、続けてみましょう。

 本当にできないのだろうか?思い返せば、真面目に目的へ向かってきたこれまで、挫折というものをしたことがない。凡人が努力で可能なくらいの範囲であれば、必ずやり遂げている。それに達成感はなく、当然の結果であるという感じだった。であれば、困難な夢の一つくらい、挑んでもいいかもしれない。

 大人に近づくにつれて、理想は決して叶わないのだと理解しても、心から絶望することはなかった。己の力に謎の自信があったからだ。世界を壊すという無茶な荒業も、本気で望めば、今すぐにだって実行できそうな気がする。


「やあ小娘、ちょっと教えて欲しいのだけど」


 離れた所から聞こえた声で我に返る。何か危ういものを爆発させようとしていた意志は霧散して、呼びかけた人物へと注意が向く。

 駐車場を出てすぐの辺りで、女性が自販機を睨み佇んでいた。変わった格好をしている。ゆったりとした部屋着の上にブランケットを羽織り、街中を歩く服装としてはかなりラフだ。私にご用なのか知らないが、夜道で無防備が過ぎる女性一人を放っておけない。普段ならどうでもいいのだろうけど、彼女に対しては他人事では済まない興味を覚える。その理由が気になって、私は女性の傍へと歩み寄った。


「パジャマで出歩いているんですか?もっと着込んだ方が身のためかと」


 近づいてみると、驚くほどの長身だと分かる。男性でもそうはいない背の高さで、アスリートみたいだ。すらっとではなく、体格が全体的に大きい。半袖から露出した腕は強靭な筋肉で太く、しかしシルエットは女性的で丸みを持っている。歳は二十と少しくらいだろうか。可憐な顔立ちをしているが、この綺麗さは奇妙なもの。人間味がない、かと言って人形じみているのでもない、喩えるならば女神か、それさえ絶した怪物のような...。


「これ、自販機だよね?」


 忠告の言葉は流されて、意味を判じかねる問いが会話の始めとなった。誰がどう見ても自販機でしょう。当たり前すぎて、どう答えるべきか迷ったものの、結局単純に『はい』とだけ言った。


「間違いないのね。でもどうしましょう。一つ買ってみたいのだけど、代価が示されていなくて」


「値段なら書いてあるじゃないですか」


「どこに?何物を贄として支払えばいい」


 贄?言っていることがいよいよ滅裂ね。飲み物が欲しいなら、お金を投入するだけだ。その代わりに生贄を捧げるとか、世界観がグロすぎるだろ。常識というものを一切知らないようだから、懇切丁寧に教えてあげることにする。


「先ずですね、お金と言うものがある。物や事はそれを使って購入します」


 財布から硬貨を一枚取り出して見せる。とても可笑おかしな説明をしているな。異星人と喋っているかのよう。女性の異質な雰囲気で、一目見た時点から人間ではないと分かっている。薄々とだったが、対話するほどに印象が鮮烈になっていく。普通なら人外の存在など簡単には呑み込めないだろうから、私は根本的なところで常識がないということか。


「ああ、金か。ヒトには大事な金属くれや紙切れ、うっかり忘れていた」


 女性が手をひらりとかえすと、手品みたいに硬貨が現れた。持っていた物か、もしかして偽造したのだろうか。後者なら、中世の錬金術師が感動するだろう本物の魔法だ。硬貨を投入して、ボタンを押し、出てきた飲み物をしゃがんで取る。誰もが何度も行う些細な動作だが、彼女がすると、絵画にできそうなくらいの優美を感じた。


「苦いけど飲みやすいな。茶の類かしら」


「緑茶って言います。一つ覚えられてよかったですね。さようなら、気を付けてお帰り下さい」


 女性からの用は済んだので帰ろうとすると、砕く音が鳴った。

 折角買ったボトルが握り潰されていた。中身は一杯に残っていたので、恐ろしい怪力だが、より不思議なことに、水が弾けていない。固形物のように破片となって空中に散っていく。


「ごみはさっぱりと処理しなくちゃあ」


 さっきまで手に握られていた物体を思い出せない。質量と情報が物理を逸し消滅してしまったのだ。


「私に何をお求めでしょう?暇ではないのですが」


 超常を見せつけられても怯まず相対する。彼女の方も、調子を乱さないこちらに退く様子はない。初対面なのに、したい話があるのだろうか。


「キミに頼むことなんてない。憩いの境地へ突き走る純真な生き様を、手助けしたいとただそれだけ」


 私の夢を言い当てられたことに、少し動揺してしまう。心の内の底までもを見通す、暗々くらぐらと黒を帯びた銀の瞳に、私という存在の全てが堕ちて行きそうだ。


「よくご存じで。しかし貴女に助けられる義理はありません」


 かすかに傷付いたように目元を歪める女性。わざとらしくお道化ているようにも、本当に悲しんでいるようにも見えた。私は事実を言っているだけで、彼女との関係性などある訳もないのに。


「冷たいこと言わないでよ。赤ちゃんの頃にキミを腕に抱いたわ。キミの父親と祖母もそう。おくるみに包んで、子守歌を聞かせたんだから」


「何を言い出すかと思えば。れ言しか喋れないのですか...」


 何故だろう、気分が悪くなってくる。生まれ持った血が一滴残らず、毒に侵されていることに気が付いてしまった。背に酷い悪寒が走り、恐ろしさに涙腺が焼けるように熱い。穢らわしい怪物の遺伝子が私を作って支配する。初めて死にたいという衝動を抱いた。呪縛の連鎖を終わらせられるのならば。


「貴女は...ッ」


 悟った真実をどうか否定して欲しくて問いかける。私にとって“コレ”は――


「キミの曾祖母そうそぼだよ。おばあちゃんと呼んで頂戴」


 膝が崩れる。涙が溢れ出す。こんなモノを起源に持つことそれ自体が業だ。関わりたくないから掛け離れた世界へ帰ってよ。出会った事実もなかったことになれ。

 殺してやる。無意味であっても、そうしなければならないと思った。憩いへの切望にすら勝って爆発する敵意。二度と戻って来れないよう、痕跡を残さず目の前から取り除け。


「失せろ――――――――!!!」


 泣き喚き咆哮した瞬間。世界が空白に削ぎ落された。


 色彩も像も存在しない。白、黒、灰、無彩色とも認識できぬ虚空の中で、立っているのか浮いているのかも分からないでいる。コンビニはもちろん街の風景諸々が見えない。夜という環境さえ確認できないから、ここが地球上なのかも怪しい。

 おかしいのは状況だけではなかった。私自身が激しい感覚に襲われている。鼓動が早まり、呼吸を荒げていながら、体温は氷漬けにされたように冷え切っている。漲る快楽が奔流となり、暴力への衝動に垂れる涎、生理的な欲望が醜怪な狂気へと倒錯していく。私が私じゃない。でも“種”としては本性なのだ。私はヒトではなかったのね。

 恐ろしいモノを消し去ろうとして、何が起こった?単に強力な爆撃で辺りが焦土となった訳ではない。事象と物質は時空間ごと粉々になってしまった。さっきは世界を滅ぼそうと思っていたが、あっさりと実現してしまったのである。

 こうも簡単に終わらせられる世界なら、私のこれまでは意味のない茶番だったのかしら。ヒトに擬態しているよう、教え込んだ者がいるわね。そいつのせいで時間が無駄になった。一日も早く至りたい、憩いの生涯が遠のいた。腹立たしいけれど、復讐なんて面倒事は御免だな。


「気は済んだかしら」


「...黙れ帰りなさいよ。うっ、あぁ...」


 恐るべき攻撃対象は涼しい顔で佇んでいる。惑星を削いだ私の絶叫も、小鳥のさえずりに等しい背景音なのでしょう。虚空に身を委ね、横たわり悶える。苦しいわけではなく寧ろ逆で、心身共に調子は最高。高揚する精神、高速な思考、鮮明かつ拡大された知覚能力。細胞の一つ一つが不死に近い生命力を持って、ヒトという“不純”な部分を潰していく。この世ならざる常闇の魔物に変貌する。

 気持ち良さが只ならないが、強い刺激は苦手なんだよね。穏やかにくつろぐのが一番だから。


「私は今、普通じゃないの。誰でもいいから殴ってなぶり者にしたい。酷い事されたくなければ、離れろ」


「聞いて。アシュにはどうでもいいけど、キミにとっては大事なことを教えよう」


 空白となったこの場所を示すように女は片手を振る。一応聞いてはいるものの、気を抜けば襲い掛かってしまいそう。貴女が怖い。ゆえに敵と見做みなす。勝ち目のない相手であり、逃げても無駄だと分かるから、せめて戦うのだと本能が奮う。覚めて間もない内は正気よりも、昇華されない暴虐の欲求が優先されるのだ。


「キミの威力は惑星を一部破壊した。直径の二割が時空間ごと削がれ、星宙の藻屑に。現座標はその残骸の上よ」


「私は何億人も殺したのね」


「罪悪感でしんどいね。泣いてみれば楽になるわ」


 体調が落ち着いてきたので立ち上がるも、精神は未だ不安定だ。泣けるほどの理性は保てていない。それよりも女の首を絞めて呼吸を殺し、掻いて切り裂いた胸から心臓を剥がし、髪に血を塗りたくって口に肉片を詰め込んでやりたい下品な凶悪。相手が明らかな格上でなければ、既に襲い掛かって惨殺していたことでしょう。膨れた血管で赤く染まった眼球、獲物を凝視するが、気にもしない様子で女は上方を一瞥いちべつした。

 無数の破片が頭上に現れ、それぞれが液晶のように映像を再生する。人物が産まれる、成長する、自立して歳を重ねていく。泣く事もあれば笑う時もあった。努力した結果挫折に終わろうとも、道は変わって先へと続く。善人でも他者から奪う事があるし、悪人にだって命を懸けて守りたい誰かがいる。ロマンチックと言えるほど夢想的なものではなくとも、皆が希望となる結末を目指して必死に生きていた。流れ星みたいに儚い美しさに私は見蕩みとれ、心が静められる。しかしある瞬間、映像は理不尽に途切れた。


「自分の都合で除けた小動物たちの生涯、涙の種にどうぞ」


 私が殺した命の痕跡か。慌ただしくて邪魔だと、無感情に踏み潰したもの。

 情報が決して消えることがないのは物理の基本だ。時空間という根底から壊しても、何らかの形で被害者たちの残痕がある。これを捨て置くのは勿体ない。食べてしまいたいくらい憐れな営みの記憶。私は手を伸ばして、数億の破片を一つに融かし傍へ寄せる。艶めく宝石となったそれに指先で触れると、抉るような感傷が沸き上がった。

 読み取ったのは被害者たちの一生涯。喩えるなら小説程の軽い形式で、概要だけに変換して取り込んだ。テラバイトでは到底利かない膨大な情報に破裂しそうな頭痛が襲うが、気にならない。無にしてしまったものの価値を、少しでも理解したかった。もちろん罪滅ぼしなどではない。そもやってしまったことに後悔はなく、ただ感情移入をしているだけであり、所詮自己満足と断じられるのだろう。

 心を一杯にしているのは悲しみという言葉に尽きる。大勢から奪った己の邪悪さを噛み締めているとはいえ、涙が止められないのは意外な事だ。廃れて生きていた今までは気付かなかったけれど、私には喜怒哀楽がちゃんと備わっているらしい。


「はははっ...私ったら酷い悪者じゃない。平穏が欲しかったのに、敵を作ってしまうわ。まだ殺さないといけない石くれの上で息衝く小さな小さな小さな数十年が数億匹読み飽きたどうかなりそうもう食べるのは嫌!愛憎要らないから放っておいてくれ。奪いたいものはないんだから...」


 どうしたの、私は?泣きじゃくって悲劇のヒロイン気取りなんて趣味じゃない。自我を保てないほどにショックだったというの。病んで譫言うわごとを垂れるのは初めてで、混乱しているとしか表現できない。ヒステリー、俗語ではメンタルヘルスとか言ったり、略すのだっけ。適当な言葉を並べて気を紛らわせる。

 女が歩み寄って来る。何をするつもりだろう。私をどうとでも好きにできるでしょう、殺すことも、それ以上のことも。抵抗するべきだけど気力が湧かない。どうせ無駄だし、いいか。

 冷たい柔肌の感触が私を包み込んだ。女に抱きしめられている。人肌の温もりはなく、紅蓮地獄コキュートスの如き寒さが精神を凛と引き締めた。悪い気はしない。経験のないことだったしこれからもないと思う。押さえ付けられ殴られることはあっても、善意で触れられるというのは。処刑されるべき大罪人となってしまったから。


「犯した悪戯いたずらに向き合って、感情が豊かな子」


「最悪とは私のことを言うのだわ。一人でこんなに殺した者は他にいないもの」


「キミが悪い子になるとしても、おばあちゃんは祝福するよ。ただ笑顔を忘れないで。優しくても残酷でも、最後に笑った者が格好良いから」


 すぐに突き放せ。気を許せば堕落しそうだ。きっと数多の者を好悪こうおで惑わしてきたのだろう。慰めに情を返しては、関心を買ってはいけない。どう振る舞うべきか。敢えて曾孫ひまごの立場を務めてみようか。ただし親不孝に可愛げなくね。彼女の愛情が気紛れであれば、私に興味を失ってくれるかも。

 腕を振り解いて身を離し、私は彼女の首を絞めた。抱き締められたから、締めて返す。等価でしょう?


「認知なんて要らないから、去って二度と現れるなよ。そうしてくれるなら、御曾祖母様おばあさまと呼んであげる」


 片手だけでも山を蒸発させる握力を込めているが、女の微笑みは曇らない。不愉快ね、此方こちらは何の危害も加えられないのに、彼方あちらがその気になれば、無条件に生殺与奪を握られる、というのは。

 この怪物と出遭わなければ、もっと穏当な流れで本来の自己を取り戻せていたかもしれないのに。破壊を思い止まり、快楽殺人以下の無意味な他害を犯さなかったと思いたい。私を刺激した貴女にも一分いちぶくらい罪があるでしょうに、よくもまあ余裕なこと。虫けらならともかく、バクテリアに感情移入するのは可笑しいのか。罪の意識があろうとなかろうと、世界にとって私は惨殺すべき巨悪となることは間違いない。女の目的はそれだろう。私から平穏を奪い、狂騒に突き堕とすこと。


「嫌われちゃったか。なら仕方ない、消えるってば。でも一生会わないのは切ないな。今後百年接近しないということでどうか納得を」


「百年後にまた顔を見せるということ?」


「最短期間よ。千年後になるかも。キミの生涯において何時いつか、またね」


 女の首から手を離した。ヒトの寿命に相当する以上の時間離れてくれるなら、まあ許容しましょう。でも、彼女は私に何の話がしたいのだろう?私の願いを手助けしたい、自分にはどうでもいいとか。さっさと何処かへ行ってほしくて話を促す。


「為になることなら聞いてあげるわ、御曾祖母様。短く言って頂戴」


 そう呼ぶことで、最低限の関わりを持つことを認める意を示した。女は首を傾げ、頬に手を当てる仕草で満足を表す。曾孫が可愛いのか知らないが、誰でも思い通りにできる魔性が情緒を演じて、気味が悪い。


「夢を叶えたいのなら、犠牲を覚悟なさい。絶対に無理なんて、無欲なことを吐かないで」


 意味を解せない戒めが、私の胸を重く打った。他が聞いても感動はないだろう。一言一句、私のためだけに紡がれたのだ。支配するまでもなく、自らの意思であるかのように誘導する。影響が解けることは決してないだろう。女は単に強大なだけでなく、悪魔の狡猾も不味く思える智慧を持つ。

 下らない戯言ざれごとでも垂れたらしい調子で小さく笑って、女は私の後方へと去って行く。


「さようなら。ベッドの下の魔物が怖い時は、呼んでくれてもいいよ。一緒に寝てあげるからねえ」


 寄せ木細工モザイクのように女の実体が霞んでいく。別れの挨拶を言う間もなく、その姿は非重粒子バリオンの霧となって消えた。一人になった私は、世界一切れの残骸の上で、望んだ平穏に佇んでいる。

 環境は静かで邪魔者も居ないけれど、心の中には亡霊たちの怨嗟えんさが飛び交っている。これからどうしよう?まともな運命は外れて、先は歪んでいくだけだろう。考える余裕もないくらい疲れてしまったから、早くパジャマに着替えてふかふかの布団に包まれようと決めて、私は地球の断面へと降りて行った。


 ――宇宙空間を漂う世界の破片を引っ張り戻し、継ぎ接ぎ組み直して、亜空間じみてしまった断面上に建造した。規模は街くらいのもので、散歩ができればいいとだけ思っている。疑似的な日光と月明りで照らし、快適な大気を作り、無骨な建物を猥雑に並べ、猫や小鳥などを模した肉塊を愛玩用に放った。

 アパート風の一軒を私の家として暮らしている。街丸ごとを占めているが、家は一つで十分だ。少し広い部屋を三つしか使っていない。時計の音ではなく陽の光で目を覚まし一日が始まる。朝食には上手く焦げ目を付けたパンペルデュを料理し、心地良い風を浴びながら昼中散歩にふけり、夜はハンモックを揺らしながら小説を読む。内容は、私が殺したヒトたちの一生を文章化したもの。それが唯一の鑑賞物だった。一冊に百人が描かれていて、毎夜数十冊を読みながら寝落ちする。


 そんな理想の生活を永らく続けていた。文明もがらりと変わるだろう年月だ。私の姿は、ヒトで言うところの一歳くらい成長した。充実した日々だったということだろう。病んだ心はかなり癒えて、未来のことを考える余裕も出てくる。

 旅支度をして、遠い星へ去るのがいい。ヒトを始めとする下等生物たちの営みを妨げたくないから。光年の移動は消耗するだろうが、果てしない宇宙の何処かに私の居場所があるでしょう。苦労よりも楽しみの方を強く感じながら、私は着々と準備を進めていった。

 それは、乗り物の完成が間近となり、同時に継ぎ接ぎした不安定な私有空間の崩壊が迫る、嫌味なほど運命的なタイミングでのこと。私の元に一人の来客が訪れた。


「ご機嫌麗しいようだ、救われない悪女め」


 ――街が瓦礫となった中で、私と対峙する彼はヒトに過ぎなかった。自然法則から数歩外れているようだが、外の地球では人類の進化や新種の出現があったのだろうか。私の視界にはっきりと映る高位の生物が、この惑星に存在するとは。

 軍服を思わせる格式高い制服の姿で、片手に小銃を装備している。深い青の瞳は冷たく、けれど殺意とするに十分過ぎる怒りを帯びる。歳は大学生より少し上ほどで、若くも青さを脱した大人らしい風格を持つ。


「冗談の余地はなさそうね。私を殺しに、とうとう英雄様がいらした訳だ」


 言った瞬間、青年の小銃が振るわれ、私の頬を打った。痛みは痒い程度で、銃の方が反動で潰れる。それに怯みむことなく獲物だった物を投げ捨て、恐れ知らずにも私の髪を掴み、尋常ではない力で引き倒した。


「血を流したくての煽りか?悪趣味に目覚めたのか」


 想像以上の怪力だったので、体勢を保てなかった。礼儀は弁えたつもりなのに乱暴なことをされて、さすがの私も苛立ってしまう。青年を睨んで立ち上がり、やり返そうと胸倉へ手を伸ばす。相手が取るに足らないヒトであれば寛容でいるが、こいつは強い。容赦なく血吐くまで殴ってやるよ。

 素早く動いた彼は懐から拳銃を取り出し、私の胸に撃ち込んだ。


「噓でしょ...」


「貴様は強力だが、洗練されていない。弱点を突けるんだよ」


 銃弾が私の肌を貫いた。そう有り得る筈はない。核兵器を以てしても、私に火傷一つ負わせられないと、経験するまでもなく分かるのに、こんなちっぽけな物で!


「理屈が読めないわ。何をしたの?言う訳ないか」


 肯定を示すのか、無視されただけか、続いて十数回の銃声が鳴った。胸、腹と手足に弾丸が埋まる。特殊な毒を含んでいるのだろう、身体から力が抜けて倒れ込んでしまった。


「俺は自分の勝手で貴様を滅ぼす。望むのは惨殺だが、せめてもの権利をやる。選択肢だ」


 私を見下ろして、青年は死刑宣告めいた言い回しだ。正義ではなくとも、自分の決定に力があると思っている。さっき英雄と言ったのは誤りだったと理解し、でも呼び心地はしっくりくるわね。


「選択肢...一つ目は、無力化された私を嬲り殺しにするのでしょう。はしたなく血塗れにして愉しむのか変態が」


「そちらを選べば一思いで、まだ楽だろうな。もう一つは、遥かに長い時間をかけてじっくり苦しむ。ぐに死ぬ覚悟ができていないか、余程の被虐性愛者なら選ぶといい」


「死まで猶予がもらえるのなら、後者にしようか。マゾじゃないけど」


 答えを聞いた青年は、宙から物体を取り出した。いくつもの宝石を嵌めて豪華に彩った外装、黒い木製の棺。蓋が開かれると、中には黒一色の造花がクッションのように敷き詰められている。


「見た目は綺麗だが、これは拷問器具だ。棺に貴様を封印し、海溝に沈める」


 マフィアみたいなやり方だ。入れられるのがドラム缶じゃないだけいいわね。生命力が強い私は長年死ねなくて、真暗な深海で身動きもできずに人知れず苦痛を受ける。棺が朽ちるか、耐えられず心停止を起こすまで。封印を破れない限りは。


「それでいいわ。じゃあ英雄さん、私を姫のように抱き上げ器具に収めてくれ」


 懲りない英雄呼びに青年の目元が引きるが、的外れなことを言っているつもりはない。揶揄からかいではあっても、世間知らずな私なりの意味合いがある。己の強さを信じ世界を揺るがす活躍を魅せる者は、善悪に関わらず英雄とたたえるに相応しいと。彼を勇ましい主人公だとすれば、私は能無しの巨悪といった属性だと思う。いくら力があったところで、我を真直ぐに貫けない私が勝てる筈なし。

 倒れて動けない私を要望した通り腕に抱え、雑な扱いではあるが棺に横たえてくれた。背を受け止める造花の感触が柔く、寝心地は良さそうなのだけど。


「おやすみ悪女。独りで好きなだけ寝てろ」


「ありがとう。静かな場所に沈めて頂戴」


 悪女と呼ばれてちょっと気持ちが良い。私は大罪を犯してしまったのだから、いっそ吹っ切れて“らしく”振る舞ってみようか。芯のない没個性でも何時か板に付いて、被害者たちの亡霊を呑み込める意思を持つかもしれない。棺の蓋が閉められ、今にも身を襲うだろう痛みを覚悟しながらも、諦めが掠めることさえなく、能天気に将来を思い描いていた。


 ――万死の激痛が全身を苛んでいる。文字通りの意味だ。熱い、息ができない。鉄の箱に閉じ込められて、業火を噴き付けられているかのよう。致命傷の痛みを何万と集めて、終わりなく引き伸ばせばこうなる。苦悶の声を漏らせど外には聞こえない。生きながらの地獄とは本当にあるのだと思い知る。藻掻いて蓋を開けようとするが、中々頑丈で引っ掻き傷が付いただけだった。

 ――辛かったのは少しの間で、慣れてしまえばベッドで寝ているのと変わりない。刺激を痛気持ち良く感じるようになって、寧ろ眠気を誘うくらい。極度のストレスで私の意識は常に朦朧もうろう微睡まどろんでいる。もう何年が経っただろうか。

 ――海の奥底へ沈められた私を、誰かが引き上げることはないだろう。その内に棺を壊して出るつもりだけど、私を憎むヒトが居なくなるまで、大人しくしていようか。邪魔が無くなったら、また憩いの日々に戻れる。二、三千年だけ耐えることに決めた。

 ――認めるのは恥ずかしい、秘めた願い事を持っている。他者を避け、排除にも及ぶ私だけれど、実は友達が欲しくて孤独だ。周囲と関係性を作って一喜一憂する者たちが羨ましかった。大量殺人者の癖に恥知らずでしょう。理想の憩いに、必ずしも他者が異物であるとは限らない。互いに過干渉しない適度な距離感であれば歓迎する。我儘だと自覚はあるが、何時か友達を探しに出掛けましょう。

 平穏はまだまだ遠いけれど、生き永らえて居場所に至るの。何ものを犠牲にしてでも歩いて往けば、無理だと弱音を吐きはしない。そうだよなあ?御曾祖母様。

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