檸檬を忘れたい

「レモンケーキを一つ下さるかしら。」

行きつけのカフェで最近のお気に入りのレモンケーキを注文する。

人があまり来ない時間帯なのか、いつも席がかなり埋まっている店内は今日は私一人だった。

待っている間に何冊か適当に持ってきた本を読み進めていると、とある一文に目が留まる。


『あの日、貴方に貰った初めての口づけは何だかとても甘酸っぱくて、

 檸檬を口にする度に思い出してしまう。

 そんな呪いをくれた貴方が恨めしくも、愛おしかった。』


初めての口づけは檸檬のよう・・・と呆けていると、店員が紅茶とレモンケーキを運びに来た。

花の香りが漂う暖かい紅茶と、はちみつ漬けされたレモンが乗ったシフォンケーキに、甘さが控えめなふわふわの生クリームが添えられたレモンケーキが目の前に置かれ、店員はにこやかに会釈してカウンターに戻って行った。

頂きます。と呟いて、フォークをレモンケーキに沈めると、力を入れなくともほろりと解けて切れていく。口へ運ぶと上品で甘酸っぱい味わいと、じゅわっとシフォンケーキが口の中で蕩ける感覚に思わず感嘆のため息を漏らしてしまう。

口に残った甘酸っぱさを、暖かくすっきりとした風味の紅茶をゆっくり含んで流し込みながら先程目に留まった一文を眺めつつふと考える。


「この小説の彼女は…こんな甘酸っぱさをどうして感じたのかしら。」


🍋


「ぺ、ペイロ…」

少し不思議な香りと空気が漂う、『Fundo do rio』のバックヤード。店はとうに閉めており、店内BGMも切ったこの部屋には、私と熱い瞳を向けるペイロの鼓動だけが聞こえていた。


「…お店の中でいいの…?マデラが来たりしたら…」


息がかかるほど近い顔の距離に心臓が破裂しそうで、もう恋人になって割と時間は経っていると言うのに私はこうやってペイロが近寄ってくれる度に慌てふためいてしまっている。


「あの人は来ないですよ。しっかり百貨店から出たのを見ましたからネ…。」


そう言いつつ私の顎を優しく持って、顔の色んな所に口付けを落としていく。リップ音が部屋に響いて、頭が沸騰しそうになってしまう。

キス自体もう何度もしているが、どうしても体がムズムズしてしまって逃げ出しそうになってしまう。嫌がったらすぐにペイロは手を退けてくれるし…私も嫌では無い…けれども…


「あ…ぅ…今日は随分、お疲れだったの…?」

「ええ、それはもう散々で…。ですが今丁度、癒されている最中なので問題無し…です。」


ふわっと当てる程度に唇を何度も重ねたかと思いえば、時々唇を甘噛みしてきたり、軽く吸われたり。まるでゆっくり私の唇を美味しそうに味わっているようなキスの仕方に、思わず声が溢れてしまう。体の熱がじわじわと上がってき、お腹の奥辺りがとてもムズムズし始める。


「…っは…ね、ねぇ…ペイロ、まって。」

「…?すいません、急いてしまいましたね…どうかされましたか?」


呼吸が上手く出来なくて思わず体を押してしまった。…もっと、したいと思っているのに、上手くできない自分が恥ずかしくて、顔の熱が自分でも分かるほど上がっていく。

あ、きた…。

顔の熱が上がり、目の前で優しく見つめるペイロを見ていると、何だか口の中がじゅわっと甘酸っぱさに包まれていくのだ。


初めて唇を重ねた時から起こるようになったこの感覚。

一体なんの現象なのかわからず、毎度この感覚が来るたび何だかむず痒くて身震いしてしまう。


「えっと・・つかぬことを聞くのだけれど・・・ペイロ、私とき、キスをする前に・・

なにか酸味のあるものを食べていたりする・・?」

「え!?どういう事ですか・・?」


あまりの意味不明な質問に素っ頓狂な声を出すペイロに、私も何を質問しているのだろうと更に顔が熱くなる。

もしかして、感じているのは私だけ・・?この体質のせいだったりするのかしら、と思考が蕩けて全く定まらない。


「あのね・・笑わずに聞いてね・・?

ペイロとその・・キスする度にね、何だか口の中が甘酸っぱくなるの。最初にキスしてからずっとよ・・?

私、なにか体でも悪いのかしら・・。」

「・・・・・・・・」


しん、と部屋が静寂に包まれる。何も言わないペイロに不安になって恐る恐る見上げると、

口を抑えて小刻みに震え、そっぽを向いて笑いを耐えているようだった。


「も、もう!!!笑わないでって言ったじゃない!!」

「す、スイマセン!スイマセン!!違うんです!!アナタがあんまりにも可愛らしくて・・あ~・・ホントに、アナタという方は・・」


恥ずかしさのあまり感情にまかせてペイロの胸板をぼこぼこと殴っていると、手首を優しく掴まれ体をさらに引き寄せられる。


「あっ・・う・・」

「こんなに体も熱くなってしまって・・・キスするたびにそんな可愛らしいことを考えていらっしゃったんですか?

何も知らないお姫様には、もう少しお勉強して頂きましょうかね・・」


そう呟きながらペイロは持たれた手首に軽く吸いつく。丁度そこは先程肌宝石が剥がれてしまい、

普通の肌が露出してしまっていた部分だった。あまりのくすぐったさと、いたずらに笑い耳を上機嫌に上げる彼の低い声に、心臓が飛び出そうになる。


「んっ・・びょ、病気とかなの・・?」

「ふふ、違いますよ。・・・本とかで読んだことありませんか?

”初めてのキスは甘酸っぱい檸檬の味”とか。」


そこであのカフェで読んでいた恋愛小説の一節は頭によぎる。

そうだった、小説の中の彼女も甘酸っぱさを感じていた・・!


「!!・・ある!でも何故甘酸っぱくなるのかは描写されていなくて・・」

「大体はそうです。誰が最初にそんな描写を入れ始めたんでしょうかね…

セリアーヌ様。今、檸檬の味を想像してみて下さい。」


檸檬・・あの時食べたレモンケーキをふと思い浮かべる。

酸味が効きながらもはちみつの上品な甘さが口いっぱいに広がり、とても美味しかった…。


「失礼…。」

「んぅ…!?///」


そんな事を考えていた瞬間にペイロが唇を重ね、ぬるりと舌を入れ込まれる。まだディープキスにも慣れていない私は、あまりの驚きに体が硬直してしまう。

ゆっくりとねじ込まれ、私の舌を撫でる様に絡めとられた後、ペイロは口を離す。


「はっ…はーっ…!///きゅ、きゅう、だわ…!」

「スイマセン。でもほら、これが答えですよ。」


目を開けると、私とペイロの口から沢山唾液の糸が伸びている。気づくと私の口からもたらりと唾液が垂れていて、惚けた頭ではそれが何なのかよく分からなかったが、ディープキスは凄いのね…としか考えられなかった。


「こた、こたえ…?」

「ええ。酸っぱい物を連想すると、唾液が沢山出てくるんです。唾液が出る時は、口内がぎゅっとならないですか?

要するに、その"キスは檸檬"っていう文言で無意識に連想してしまって口の中がぎゅっとなるのを甘酸っぱいのと重ねてしまっている…というのが大体の理由かなと、思ってますが…」


つらつらと説明してくれているが、全く頭に入ってこず…私の唾液を舌なめずりで舐め取るペイロをぼやっと見ることしかできなくて…


「おやおや…。まだワタシのお姫様には早かったですか?」


きっと思い出して顔に出てしまうから、しばらくはレモンケーキは控えようとだけ決めた日であった。

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キトリニタス百貨店 SS おさでん @odenoden0819

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