桜の匂いは何処に

人の忘れ方には順番があると昔母から聞いた。

最初は声から忘れていき、見た目、触感、味覚、最後に忘れるのは匂い。

匂いというのは、どんなに忘れていても匂うと思い出してしまう程消えない記憶と言われているらしい。

それを聞いたのは確か7歳ごろの話。その話をしている母の声や姿は全く浮かんでこない。

でもその時飲んでいたダージリンの甘い香りだけはしっかり覚えていて、その香りが鼻をかすめる度にフラッシュバックするのだから人間の記憶力は凄いのね、なんて度々思ってしまう。


春が息をし始めた今、Fdrの二人と桜が沢山咲いてあると噂されている森に散策に来ていたところだった。

連日春の暖かな気候で雪も溶け始めていたというのに、日は照っているが身震いする様な冷たい風が頬を撫でる。

「春が来たと思っていたのにまた随分冷えるのね…桜達も驚いてるでしょうね。」

環境の温度などには強いと思っていた体が、寒さに耐えれず節々が軋む。

「普段の装いが悪い。もう少し機能性がある物をいつも勧めているではないか。」

「マデラが勧めるものは大体分厚すぎて苦しいのよ!あと、肌に引っ掛かりやすいのも難点だわ。」

「注文の多いお姫様だ。野生の世界において気温に対応し生きていくなど至極当然である。」

「まあまあ!連日鱗が乾いてしょうがない程の気温でしたカラ仕方ありませんよ!

セリアーヌ様はワタシの上着を羽織っていて下さい。結構分厚いので今日ぐらいの寒さは凌げますよ!」

そういって優しく上着を私に羽織らせ、前を歩くマデラの隣に並ぶ。

もう少し思いやりは無いんですか!などを足蹴りしつつ言い合っている様だ。


ペイロのいう通り上着は結構分厚く、冷たい風は全く感じなくなっていた。見た目は普通のジャケットに見えるが、所々に薄い鉄板が仕込まれているようで。

お洒落なジャケットだとは思っていたが防弾加工されているとは驚きではある。

前の部分にも寒風が当たらないよう今一度羽織り直すと、ふわりとペイロの匂いが鼻をくすぐる。

不思議な…柑橘系の様スッキリした香り。

整髪料だろうか…?隣にいる時によく香るのを無意識に覚えている。

意識した途端、ペイロに包まれている様に錯覚してしまい心臓がじわじわと鼓動を早める。

男性との交流は少なからずあったとしても、浮ついた経験は一切ない。故にこんな些細な経験にも心が踊ってしまう。

彼はエスコートなんだから。そう考えると少し浮ついた足取りは収まった。


でも、もう少しだけ包まれていたいと思ってしまうのは、はしたないかしら。




「ペイロ。ありがとう。少し気温が上がってきたのもあって平気になってきたわ。」

自分のジャケットを羽織っていた麗しい姫様は、緩く微笑んでジャケットを脱いで渡してきた。

此方としては一応何があるか分からない点からずっと羽織って頂いてもいいんだが…と少し脳裏をよぎったがジャケットを受け取る。

「もう着きますからネ。また冷えてきたら教えて下さい!」

こくりと頷くセリアーヌ様は、なんだかいつもより表情が柔らかい様で、私の頬も少し緩んでしまった。しっかりせねば。


しばらくして桜の群生地に辿り着く。

一面に広がる桜に目を輝かせるセリアーヌ様の顔を見て、「良い肴だ」とふと思う。

手で持っていたジャケットを羽織ると、セリアーヌの愛用している香水の匂いが仄かに移っていて少し驚く。

甘い甘い。桜の香りが消えてしまうほど印象的な匂いに口角がつい上がってしまう。

「ペイロ!これがサクラなのね…!とっても綺麗…初めて見たわ!」

舞う花びらと戯れて、20歳の女性らしくはしゃぐ彼女は桜の色に肌が反射して、溶けて消えてしまいそうだ。

ワタシが護らねば。そうセリアーヌの匂いを抱いて更に気を引き締めた。

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