第33話 いつかの日まで待つ

一人で出て行ってからいつまで経っても帰ってこないクレアーレンを心配して、天界を探す。隅から隅まで探して、それでも見つからなくて困っている時に、他の神から言いづらそうにしてその存在を教えられた。

同じようにクレアーレンを探していたシュクリス達と共に、微かに感じる予感を無視してその場所へと向かう。


向かうにつれて背中を走る悪寒はだんだんと激しくなり、冷や汗が背を流れる。

耳鳴りが止まらない。

皆がそれぞれ感じる嫌な予感を振り払うように、必死になって足を動かした。


「はっ…………はっ……はっ」


広い天界をほとんど端から端まで走り、息を切らして“ソレ”を見つめる。

先ほど探したはずの場所に、まるで突然現れたように“ソレ”はあった。


酷くなる耳鳴りは、全ての音を遠ざけた。

キーン、という甲高い不快な音だけが耳と脳に響く。

頭が痛い。

グラグラと世界が揺れるような感覚に眩暈がするし、目の前は黒く染まる。

“ソレ”が何なのか理解しそうになる脳を、己の全てが否定していた。


丸い“ソレ”がまとうのは、ルージュの布。

端の方が白い事から、「何か」で赤く染まっている事がわかる。


「ぁるじ、さま?」


「れあ?」


アフィスティアとシュクリスの戦慄わななく体から発された声は震えていた。

その場にぺたりと座り込む者、ただ立ち尽くす者、そして俺やシュクリスのように、近づく者。どれだけ否定しても、その頃には皆が理解していた。

“ソレ”が何なのかを。


“ソレ”は人間の胴体だった。四肢をもがれ、上半身だけになった体だった。

近くに転がる首は、体の損傷からは想像出来ないくらいに綺麗な状態だ。

だからこそ、この体が誰の物なのかがわかる。


ペちゃり。という液体を踏んだ感触に吐き気がする。頭痛と耳鳴りは止まらない。

ふらふらと夢現ゆめうつつのままでそっと首へと近づき、桜色がなくなった透き通るような白い肌の頬を包み込む。


「……なぁ、レン。……みんなで帰ろう?まだ今日何をしていたか聞いてない。……ほら、早く帰ろう」


嗚呼、こんなに冷たくなってしまって……。

早く暖まらないと、風邪をひいてしまう。


「帰ろう……」


口元は引き結ばれ、サファイアのようだった瞳は、宝石とは程遠い粗悪品のガラス玉のように空を覗く。


「……帰ろう。一緒に」


「トゥレラ殿……残念じゃが、その体は。……もうそこに、クレアーレン殿はいない」


うめくように呟くトゥレラの肩に、レヒトがそっと手を置く。

彼は既に、クレアーレンの魂がトゥレラの抱える彼女の亡骸から抜け落ちている事がわかっていた。そしてトゥレラにも、その事はわかっていた。


ただ、受け入れられないだけだ。

神として長い時を生き、青年の姿を持つとはいえ、その中身はたった十二歳の少年。長い時を過ごして多少達観したとしても、彼に妹の死というのはあまりに重い。


結局彼には、最愛の妹の首を抱いてうずくる事しか出来なかった。


「さぁさぁ、これは見せ物じゃないよ⁉︎みんな早く仕事に戻って‼︎」


アフェールが手を叩きながら叫び、トゥレラに代わって集まっていた神々を散らす。

そのまま、クレアーレンと関わりの深い九人を残してレヒトとアフェールは、そっとその場を立ち去った。


神は死後しばしの時間が経てば亡骸が跡形もなく消えてしまう。

せめて別れくらいは親しい者だけで、という彼らの気遣いであった。







彼らが立ち去った後に残ったのは沈黙。

誰もが受け入れ難い現実を前に、沈黙するしか出来なかった。

何かを口にすれば、クレアーレンの死を受け入れる事になると感じたからだ。


そんな中、死者を管理する者である死王オリギーが最初に口を開いた。


「我は主人様以外に仕える気はない。そして、主人様がいない世界を見る気にもなれない。……故に、彼の方がもう一度蘇るまで眠りに就こうと思う」


「……それは、全ての眷属がそうでしょう。眠る事に異存がある者がいないのであれば、皆でレン様の事を待って眠りに就きましょう」


アラゾニアの提案に皆が頷き、眷属達はそれぞれ様々な世界に散って眠りに就いた。

彼らは、主人がいない世界のことを見守る気になれない事も確かだったが、何よりも主人を失った自分達が哀しみと怒り、喪失感から暴走してしまう事を恐れて眠った。


本来の姿に戻ったその心の中に、発散する事なく抑え込んだ感情を抱えたまま、七の眷属達は主人が蘇るいつかの日を、魔術による眠りに就いて待つ。







「レアが死ぬはずない。……レアは強いんだ。死なない」


眷属達と違って、シュクリスはクレアーレンの死を受け入れられなかった。

神になる前がただの鬼族の少年だったシュクリスは、トゥレラと同じように青年の姿でありながらその心は幼い。更に、シュクリスは鬼族の本能で、クレアーレンが自身のつがい……運命の伴侶である事に気がついていた。


恩人であり、親友であり、運命の相手であるクレアーレンはシュクリスにとって生きる意味、支えと同義。そんな彼女の死など、受け入れられるはずがない。


「レアは、死なない。きっと何かの間違いだ」


シュクリスは、日常の崩壊というのは突然くる事を知っている。

知りながら防げなかった自分の無力さを呪いながら、彼は自分の世界に閉じこもる。


いつか彼女と再会できる日を、真っ暗な世界でずぅっとずぅっと、気が遠くなるような時間を一人で待つ。







「…………」


一人残されたトゥレラは、クレアーレンの遺体が消えるのを呆然と眺めていた。

腕の中にあった重さが、サラサラと光が流れるのと共に消えていく。

しばらくの間流れる光を見送っていたトゥレラは、おもむろにゆらりと立ち上がって歩き出す。


向かう先は、最高神パドレモの棲家すみか

彼は、妹が誰のせいで死んだのかがわかっていた。

彼女から、読み取ったから。


「パドレモ、俺と契約を結べ」


【パドレモ、そしてフォルフールへの復讐はレンの権利】


彼はクレアーレンの復讐の土台を作る為に動き出した。

ルビーの目を昏く光らせ、相変わらず皮肉げな笑みを浮かべたその顔は、何故か泣いているようにも見えた。

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