第32話 絶望の果てに残るのは

しゃがみ込んで、問題のものと思われる世界を覗き込む。


「酷い有様ありさまだなぁ……」


許容量を遥かに超えて神力を注ぎ込まれた世界は、制定する理によってはすぐに崩壊を迎えるだろう。

そう思えるほどに、その世界は不安定で混沌とした状態であった。


「安定させるには、エネルギーを消費させないといけない……魔王でもつくるか?」


世界の持つエネルギーは、少なすぎると枯渇して、多すぎると暴走して、世界を破滅に向かわせる。それを防ぐには、世界の生き物を生み出す際に使うエネルギーの大きさを調節し、釣り合いを保たなければいけない。

力を持つものであればあるほど生産に使われるエネルギーは大きくなる為、圧倒的な力を持つものが定期的に生まれるようにすれば、しばらくは何とかなるだろう。


「神権【記録の神】」


––––前提条件を【記録】


––––禁止事項を【記録】


––––生息生物を【記録】


––––世界の特性を【記録】


––––生物ごとの特性を【記録】


––––…………を【記録】


––––…………【記録】


––––…………【記録】


––––…………【記録】


世界へ発動した【記録の神】は一度の発動、一瞬の力の解放で、世界に多くの理を刻み込む。


理の制定という作業は「プログラミング」と言う言葉が一番近いのではないかと私は思っている。

この理を全て理解できるのは、この記録に使われているプログラミング言語の意味がわかる私だけであり、また、根本から書き換えられるのも記録者である私だけだ。


理は定められた。

あとは、この世界の理について簡単に説明すれば今日の仕事は終わりだ。


後ろから近づいてくる知らぬ気配に、神権を使った事によるダルさを感じながら立ち上がって説明する。


「この世界はエネルギー量が多すぎる。このままでは二年も保たないから、魔王という上位種を創り出す事でしのいでる。それ以外に何かあったら言ってくれたら、その都度説明する」


「……てよ」


女神はずっと、ぶつぶつと何か呟いている。

何か不満があるのかもしれないが、この世界は彼女のものだ。

彼女が管理しなければならない。

私は、理の制定者としてほんの少し見守り、力を貸すだけだ。


「それから、理に何か不便があれば相談して。私以外だと、ほとんど弄れないだろうから」


「……黙ら……なら…………神権【正義の神】」


「……は?」


どういう事?

ぶつぶつと呟いていた女神は、私に向かって神権を行使した。

突然のことに動けない。

天界で、神同士の争いを目的とした神権の発動を無断で行うのは御法度。

自衛などの正当な理由がなければ認められない、禁忌の一つだ。


「黙ってろって言ってんの‼︎」


神権が使えない。


「この鎖のせいか……」


【正義】の名を冠する力は、他者の能力を制限する。

神権発動すぐの力を消費した状態の私は、今全ての力を押さえ込まれている。


「ふふふっ‼︎ようやくだわ‼︎ようやく目障りなお前を排除出来る……‼︎」


私にとってはただの見知らぬ女神だが、彼女にとって私は憎い相手らしい。

何故こんなにも会って話したこともない私を敵視するのか……思考を巡らせている間に、彼女は私ごとどこかへと転移した。


真っ白く、何もない空間。

一度見た事がある。最高神の神域だ。


最高神の娘の名は……確か……。


「何故お前がこの神域を使える?フォルフール」


「何故?ふふっ、私は最高神の娘なのよ⁉︎私がお父様のものが使えるのは、何も不思議じゃないでしょう?」


三日月型に口元を吊り上げ、ニヤニヤと私に笑いかける彼女は落ち着いて話したり、急に叫んだりとまるで一貫性がない。少なくとも、正気は失っているのだろう。


「でもね?そんな事どうでもいいのよ、お前が納得なんてしなくても、誰も気にしやしないんだから。……ねぇ?お前、私とトゥレラ様に悪いと思わないの?」


「トゥレラ……?」


何故ここでトゥレラが出てくる?

トゥレラは私以上に最高神にも最高神の娘にも関心を持っていなかったはずだ。

関わりを持ったという話も聞いていない。とてもじゃないが、私が面識もないフォルフールにここまで恨まれる原因になるとは思えないのだが?


「あの方の名を、気安く呼ぶな‼︎お前さえ……お前さえいなければ、トゥレラ様は心置きなく私と過ごせるのよ⁉︎」


……意味がわからない。

何故トゥレラがフォルフールと過ごしたいと思うんだ?

少なくとも、相手であるならばトゥレラは確実に私にも話す。


「お前はずっと、何を言っているの?」


思わず半目でフォルフールを見ると、彼女は鎖で拘束されて動けない私に向かって、一周回って落ち着いたように妖艶に笑う。だが、その目はくらく沈んでいる。……グルグルとデタラメに塗り潰したような目は、気味が悪かった。


「許せないの。許されないの。許したらいけないのよ?……お前はね?許されない事をしたの。格下のくせに、格下のくせに……」


「ぁああ、ああああ⁉︎指、がぁ‼︎……ふ、ふぅ」


相変わらず意味のわからない事を呟きながら、彼女は細身のレイピアで私の手の甲を何度も何度も貫いた。


爪を剥がし、指の骨を折り、指を一本ずつ切り落とす。何度もレイピアが貫いた手は、穴だらけになって刺せなくなると手首から切り落とされた。

その後は、切れ味の悪い短刀で端から削るように腕や足を切り落とされる。時には、小さな虫型の魔物に食わせられることもあった。


彼女は何故か、絶対に私の顔を傷つけることをしなかった。

まずは四肢。そして胴体を傷つけていく。


私は全ての能力を封じられている為に痛覚の遮断もできず、ただただ世の理不尽を恨みながら泣き叫ぶだけ。それすらも時間が経つにつれて出来なくなっていき、神域にあるのは意味不明なことを呟きながら笑って私を傷つけるフォルフールと、心を壊し表情を変えずにただ痛みを感じるだけの私。


両者とも正常な感性は機能しておらず、そこには狂気、あるいは狂喜のみがあった。







フォルフールによる凶行。

それは、神域や天界では数時間の事であったが……クレアーレンの心が壊れるには十分な時間だった。

トゥレラの手によって守られてきたその心はあまりに純粋で、あまりにもろかった。


「まだよ……まだこんなのじゃ許せない。……苦痛を、失意を、苦悶を、絶望を、絶望を、絶望を‼︎格下なのに私の邪魔をした。許せない…………」


クレアーレンは、ずっと独り言を呟いていた。

誰にも届かぬ声を、終始変わらずに、独りで呟いていた。


「そうだわ‼︎お前の魂を縛りましょう‼︎そう、それがいいわ……‼︎未来永劫、その身が生まれ変わっても私の支配下で踊ってもらいましょう‼︎」


「…………」


それが良いと一人笑うフォルフールに返ってくるのは、沈黙。

彼女には既に、気力が残っていなかった。


「そうと決まれば、準備をしましょう‼︎もう今の体のお前はいらないわ。力を取り戻す前に殺して、支配下に置かなければ……いくら格下でも、神である限りは何が出来るかわからないから‼︎……それじゃあ、またね。また来世で会いましょう?」


「…………」


ころん。


なまめかしく光る赤い線を地面に残して、首が転がる。


クレアーレンは、こうしてあっさりと死んだ。







首を斬られてから息絶えるまでの数瞬、クレアーレンは正気を取り戻していた。

痛みが遮断されたからだろう。



––判断を間違えた。


––こんな怪しい仕事の依頼、受けなければ良かったんだ。


––トゥレラ、また先に死ぬ事になってしまってごめん。


––シュクリス、置いて逝くことになってしまってごめん。


––眷属のみんな、情けない主人でごめん。


絶望の中、ほんの少し欠片だけ残っていた意識で、クレアーレンはひたすらに謝っていた。


残っているのは、後悔と……燃え上がるような怒り。


––フザケルナ‼︎


––何故こんな意味のわからない狂神に殺されなければいけない⁉︎


残ったわずかな意識の中で誓う。


––次こそは必ずお前……フォルフールを殺す。


––私以上に、むごたらしい死を送ろう。


その決意を最期に、クレアーレンは意識と命を失った。












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