第3話 魔国・ゴエティア
なんか、温かい……。
心地よい温かさに擦り寄れば、頭をゆっくりと撫でられる。
痛みを加えることの無い温かい手の感覚は初めてで、泣きたくなる。
もう少し、ここにいたいな。
「お、起きたか」
起きたって、何……?
「ぁ……」
「よく寝ていたな、痛いところはどこにも無いか?」
「ん、ぅ。……っ⁉︎」
私がいるのは、目の前で私の顔を覗き込む黒髪にアメジストの瞳の男の膝の上。
人間の、膝の上だ。
私は、死ねなかったの?
また、あの日常に戻るの?
手をかかげた男の動きに、せめて頭を守ろうと腕で頭を庇った。
「おっと……そうか、この動きはダメか。驚かせて悪かったな、大丈夫だ。もう怖いものはない。俺は人間じゃない、君の味方だ。わかるか?味方。君を傷つける事はしない」
大丈夫。人間じゃない。私の味方。
男は何度も何度も私にそう言った。
恐る恐る見上げれば、男の頭に二本のツノが生え、背中には黒く大きな翼が現れている。
「あなたも、魔人?」
口に出してから失敗したと思ったが、男は気分を害した様子もなく楽しげに笑った。
「俺は悪魔。魔族と呼ばれる種族の国、魔国ゴエティアの頂点に立つ王、魔王だ」
「私の、味方?」
「ああ、間違いなく。俺は人間の敵らしいからな」
人間の、敵。
なら、私の味方だ。
みんな私の事を人間ではなく魔人だと言っていたんだから。
「君の名前は?」
「レン」
「そうか。レン、俺はバエルというんだ。バエル。呼べるか?」
「バエル、さん?」
私が名前を呼ぶだけで、バエルさんはとても嬉しそうに笑った。
変な人だと思う。悪魔はみんなこんな風なのだろうか?
「ああ、今はそれでいい。三日も寝てたんだ、お腹空いただろ?一緒にご飯を食べよう、その後に色々と話すから」
「ん」
今まで、私と会話をしようとする人はいなかった。
だから、自分の言いたい事がどうしたらうまく伝わるのかわからないが、しっかりと私の目を見て話を聞こうとしてくれるバエルさんと話すのは楽しい。
当然のように私を抱き上げて移動し始めるバエルさんの腕をトントンと叩いて自分で歩くと訴えたのに、受け入れられなかったのは解せないが。
「こんな折れそうな足で歩かせるわけないだろう?魔王などと言われても人に危害を加える気などさらさらなかったが、少し考え直す必要があるかもな……」
あと、私が自分で歩くと言った後にバエルさんが私に聞き取れない声でぶつぶつと呟き出したのも怖かった。私がじっと見つめているとすぐにやめてくれたが。
その後は何事もなく食堂のようなところに着いて、バエルさんが座ったその膝の上に問答無用で座らされる。
「バエルさん、私、十六歳なんだから自分で座る」
「は?十六歳?……レン、手をかざしてステータスオープンって言ってくれるか?」
流石に恥ずかしいと思った私が年齢を明かして意思表示をすると、何故か信じられないというように口を開いて唖然としたバエルさんが、突然変なことを言い出した。
「こう?……ステータスオープン」
《個体名:レン(部分表示)
年齢:16歳
種族:魔人(人間から進化)
レベル:1
ユニークスキル:【記録スル者】
エキセトラスキル:【見通ス者】
称号:【記録スル者】》
知らない間に本当に魔人になってるし、スキルというよくわからないものを持っていた。きっとこういうのも、同級生達は王女様達アルト王国の人間から教えてもらったのだろう。
「なる、ほど……ステータスプレートについては、ご飯の後で説明する。それよりもレン、落ち着いて聞け?レンの今の見た目はこんな感じだ」
私が説明を求めてバエルさんを見ていると、バエルさんは私の頭を撫でながら後でと言った。そのまま続けられた言葉に首を傾げていると、バエルさんがどこからか鏡を出して私をその前に立たせた。仕方なしに覗き込んでみると、そこには額に小さく白いツノがついた白銀の髪とサファイアの瞳を持つ五歳ほどに見える少女が映っている。
本当に私なのかと首を傾げれば、鏡の中の少女も同じように首を傾げる。
なるほど。この以前の三分の二ほどの身長の少女が私か……凹む。
白かった髪が銀色を帯び、瞳の色が以前よりも濃くなっているなど、以前から微妙な変化はあるものの、一番大きいのはやはりツノと身長だろう。身長はバエルさんの腰より少し下あたり、高く見積もって百センチメートルと少しくらいだろうか。
自身の身長や見た目、種族までもが知らない間に変わっている事に混乱している私を、また簡単に膝に乗せ直したバエルさんが私に言い聞かせるように話し出す。
「体が五歳くらいなら、五歳の子に対する扱いが正しいと思わないか?その手ではナイフやフォークを持つのも危ないだろう?」
その内容は絶妙に納得できる内容だった。
「なるほど?」
「丸め込まれてる……⁉︎」
給仕の人が何やらぼそっと呟いたが、なんと言ったのかまでは分からなかった。
「よし、なら大人しく俺の膝の上にいろ。ご飯にしよう、好きなものは?」
「わかんない」
結局私は膝の上で食べる事になってしまった。
でも、その分高さが出て机の上の料理がよく見えるから良かったのかもしれない。
好きなものを聞かれて机の上の料理を見渡したが、知らない料理ばかりでわからなかった。よく考えたら、私は料理を食べて美味しいと思ったことがなかった。
日本にいる時から腐ったりカビたりしているものが普通だったし、何かちゃんとした料理を食べるにも床にばら撒かれたものや自分にかけられたものなどだったから、味などよくわからなかった。
「嫌いなものは?」
「わかんない」
「じゃあ、少しずつにするか。好きなものがあったらそれを食べればいいな。
よし、……はい、あーん」
「え?」
バエルさんの独り言に首を傾げていると、スプーンで掬ったスープを冷ましたと思ったら、私の口の前に差し出してきた。
「ほら、早く……俺から食べるのは嫌か?」
断固として口を開けなかったら何故か凹んだバエルさんに、私が悪いことをしている気分になる。
「あー、む」
根負けして開けた口に入れられたスープは、据えた匂いのしない温かいものだった。ポタージュのような感じなのか、トロッとしていて旨みが口の中に広がる。
「っ⁉︎悪い、熱かったか?」
「違う……おいしい」
ただただ苦痛な時間だった食事。初めて食べ物を美味しいと思った。
私がおいしくて泣いているのだとわかったバエルさんは、涙を拭って私が泣き止むのを静かに待ってくれた。
「バエルさん、助けてくれて、ありがとう……」
泣くだけ泣いた私は、ご飯を食べようと思っていたのに落ちてくる瞼に抗えず、背中を優しくさするバエルさんの手に誘われて眠りについた。
◇
「バエルさん、助けてくれて、ありがとう……」
泣き疲れて寝た少女を抱いて、バエルは一人大きく息を吐いた。
『違う……おいしい』
平民でも食べられるようなスープを飲んで少女––レンは美味しいと泣いた。
それだけでレンがどれほど過酷な環境にいたかわかるというものだ。
怯えても、泣いても、表情がほとんど変わらないのは長く酷い扱いをされてきた事で麻痺してしまっているのだろう。
「アガレス、ウィサゴ」
「「はっ」」
「俺のスケジュールを調整しろ。しばらくはこの子が最優先事項だ。いいな?」
魔国ゴエティアの宰相・アガレスと宰相補佐・ウィサゴを呼び出したバエルは、レンを片手で抱いたままそう告げた。
「バエル様、理由を伺っても?」
余計な事は告げず、必要なことだけを適切に確認した自身の右腕とも言えるアガレスに、バエルはレンの様子を確認しながら答えた。
「俺が気に入ったからだ。でも、そうだな……それで納得しない連中にはこう伝えろ。『この子は【記録スル者】の称号を持つ』と」
「っ⁉︎それは本当ですか‼︎」
「ウィサゴ、控えなさい。バエル様、出過ぎた質問を失礼しました」
「いい。調整、任せたぞ」
「「かしこまりました」」
取り乱したウィサゴを
二人がそれぞれ調整の為に動き出した事を確認して、バエルはもう一人の悪魔を呼び出した。
「バルバトス、仕事だ」
「何なりと」
バエルの影から出てきた、顔の見えないフードを被った悪魔バルバトスはバエル直属の諜報部隊の隊長を務める、秘密を暴く事に長けた悪魔だ。
「レンがどのような扱いをされていたのか徹底的に探れ。アルト王国、直近二ヶ月だ。何人使ってもいい」
「かしこまりました」
現れた時と同じように、影に溶けるように消えた部下を見送ったバエルは、魔王城の単調な日々が変わる予感に足音を軽く弾ませながら、レンを部屋へと運ぶ為に食堂から消えた。
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