第3章

覚醒・下準備編

第19話 憎悪の少女は神と成る

「ぁ、あ゛あ゛ああぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」


拷問の痛みすらまだマシだったと思えるような痛みの中、私は記憶を見ていた。


遥か昔、魔神と呼ばれた者の記憶を。


自らの奥底で眠っていた少女の、記憶を見た。







“私”が生まれたのは、灰色の世界だった。

愛も、希望も、夢もない、灰色の世界。

もちろん、愛や勇気と友達になれるヒーローなどいなかった。

そもそも、存在すらしていないのだから。


そんな、優しさなどというものとは無縁の場所。

見捨てられた人が行き着く路地裏で、誰にも望まれないまま“私”は生まれた。


大人でさえ、自分一人生きるのに精一杯な場所だ。

父はそもそもいなかったが、母には何度も殺されかけた。

七歳離れた兄は“私”を懸命に守ってくれていたけれど、優しさが否定されるこの世界で子供二人が生きていけるはずがなく。


母が病で死んでから二年後。

“私”が五歳になる頃に、二人とも死んだ。


「神も仏も、みんなみんな殺してやる」


“私”の最期の記憶は、兄が今際の際で吐いた言葉だった。

どんなに苦しくても皮肉げな笑みを浮かべて飄々としていた兄が吐いた、最初で最後の呪詛だった。


“私”達兄弟は、こうして全ての存在を恨んで短い生涯を終えた……はずだったのに。


何の因果か、“私”達は【破壊】と【再生】を司る双子の神としてもう一度生まれた。

最高神すら防げなかったイレギュラー。


世に存在する全てを恨んだ、神殺しの力を持つ神。

世界から邪魔だと排除された兄妹の成れの果て。

邪神と魔神の、誕生だった。







ふと、気が付いた。これは、自分の記憶だと。少女は、自分だと。


––ユルサナイ


––壊シテヤル


真っ暗な空間でうずくまって、何度も何度も何度も何度も繰り返し呪詛を呟く少女の声は、私のものだった。


私が無意識に忘れ去った呪いを、私の代わりに少女は一人で抱えていた。


今の私と同じ呪いを、少女は抱えていたのだ。


どうせ同じものなのであれば彼女が抱えた狂気ごと、この感情は、この力は、私であると受け入れようと、そう思った。


ピコン

《個体名:レン(部分表示)が承認

 条件を満たしました

 個体名をクレアーレンに変更

 個体名:クレアーレンの進化を実行します

 称号【魔神】【大罪ノ王】を獲得しました

 神権【創世の神】を獲得しました

 エキセトラスキル【見通ス者】がユニークスキル【神ノ眼】に進化します

 ユニークスキル【記録スル者】が神権【記録の神】に進化します

 イレギュラーが発生

 イレギュラーが発生

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 憎悪レベルが一定を超えました

 称号【魔皇帝】を獲得しました

 神権【憎悪の神】を獲得しました》


「はは…………ははははっ」


進化に付随する体が異質なものに造り替えられる不快感と眠気を、憎悪の感情で塗り替えて耐える。


怒りに脳が沸騰しそうな中、握り締めたバエルさんの手だけが冷たかった。


『気でも狂ったの?』


叫んだ次の瞬間、ポタポタと涙を溢しながら表情を変えずに笑い声を漏らす私に、異様なものを見る目を向ける女神フォルフール…………愚かな愚かな、フォルフール。


可笑しな事を言う。

私はとうの昔、神だった時に。

いや、それよりもずっと前から、私は狂気の渦の中にいるよ。


お前に殺された時に、狂い切っただけだ。

壊れ切っただけだ。


嗚呼、そうだ。

気なんてとっくの昔に狂っていた。

ただ、忘れていただけだ。


忘れていようとも、狂っていることに変わりはない。

魂の根底が、歪んでいた。

それでも私が何も壊さず、笑って過ごせたのは。

バエルさんの、アガレスさんの、ウィサゴさんの、ロクトさんの。

あの優しい笑みと、温かな愛があったからだ。


それすらも奪うというのなら……私が狂うなんて、当然のことでしょう?

私を繋ぎ止めるものが、無くなったのだから。

歪みを隠すものが、隠す必要が、無くなったのだから。


『まあ、あなたが壊れたところを見れたからもう帰るわ。せいぜい、味方のいない世界で惨めに生きると良いわね』


そう吐き捨て天に帰ったフォルフール。

禁忌を二度も破った愚か者の居場所など、天にない事すら知らずに。

私がお前と同じ、神に成った事を知らずに。


––壊せば良い


誰かの声が聞こえた。

受け入れた少女の、声だった。


––全て壊して仕舞えば良い


嗚呼、そうだね。

もう、いらない。

こんな狂った世界など壊してしまおう。

「正気」が否定され、「狂気」が肯定される世界など。

何一つ残さず、全てを、壊してしまおう。


「トゥレラ」


同じ髪色なのに、目だけが対照的な光を放つ兄を呼び出す。


「レン……本当に、悪かった。まさか、あいつらがここまでアホだったとは思ってなくて。クソッ、ちゃんと女神に対抗できる策は用意してたんだが、最高神も女神もあそこまでするなんて……いや、言い訳か。俺の備えが足りて無かった」


「いい」


トゥレラは、私と同じで存在自体が無法者アウトローな癖に、妙なところでルールにこだわるところがあった。今回は、それがあだになったのだろう。


トゥレラは随分と凹んで苛々としている様子だったが、そんな事を気にしている場合ではなかった。


「……レン?」


「どうでもいいよ、トゥレラ。そんな事より、私は復讐する。最高神も女神も勇者達も殺して、この世界を壊す。協力してくれるよね、兄さん?」


これだけは譲らない。

腹の中で煮えたぎった憎悪のまま、暗い海の底のような瞳でトゥレラを睨みつける。


「……ハハハッ‼︎ああ、もちろんだよ、クレアーレン。俺の唯一、俺の最愛の妹。お前が望むなら、何でも叶えてやろう」


足元に広がる赤い鏡に映る、魔神になっても魔人だった時と変わらない見た目の私。

かがみ込んでその手に口付けるトゥレラの口には、いつになっても変わらない皮肉げで美しい笑みが浮かんでいた。


「愚か者に、そして愚か者が支配する世界に。彼らの咎に相応しい罰を、【魔】と【再生】を司る神からプレゼントしましょう」


呪詛を抱えた少女が心を失ってから初めて浮かべた笑みは、兄の笑みとは違うもの。ほんの少しだけ口の端を吊り上げただけの、思わず歪んだというような笑みだった。

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