青山~渋谷
国道二四六号。
東京の中心である千代田区から南西に延び、神奈川県を真っ二つに袈裟切りにして駿河湾に至る、首都圏の大動脈のひとつ。
もちろん交通量で言えば二四六に匹敵する道は幾つもあるだろう。けれどこの、幾つもの歌にも歌われた二四六という数字の並びは、どこか特別な響きを持つ。
二四六のうち渋谷までの区間は青山通りと呼ばれ、オシャレなカフェやアパレルショップが途切れることなく続く、カップルのメッカだ。そしてその先は、海に向かう道だ。
実際に海に行くにはどこかで二四六を外れて南下するにしても、東京から海に行くなら高速道路のほうが速いにしても、いつもその先にある海を感じる。
「賑やかですね」
イチョウ並木を抜けると、そこは光煌めく青山通りのど真ん中だった。しかも金曜の夜となれば、昼間より賑わっているまである。車は信号に列をなし、着飾ったカップルや女性同士のグループが次々と横断歩道を渡っていく。
「そうだね……」
彼女の言葉に頷きつつも、私はなんだか異界から人の住む世界に戻ってきたような気がしていた。浮き世離れした話ばかりしていたせいもあるのだろう。
歩道よりは進みやすそうな車道の路肩を進むものの、客を下ろしているタクシーなど駐停車している車も多く、それらを避けるために後ろに気をつけて車線の中央に出ることを余儀なくされた。二人乗りの自転車は少しバランスが悪く、横向きの彼女が落ちないかも不安だったし、人の目も気になった。
「東京は本当にたくさんの人がいますね」
彼女が首を動かすと、左右で結ばれた髪が私の首筋をくすぐった。
この辺りにはあまり来たことがないのだろうか? そもそも彼女はどこに住んでいて、どんな生活をしていたのだろう?
先ほどは彼女の「設定」を信じかけたものの、やはりそんなことがあるわけはなかった。彼女にも家があり、生活があり、幼少期の思い出があるはずだ。過去があり、きっと未来もある。市ケ谷校に夏期講習に来ていたにしても、おそらくは私と同じで山手線の外側から通っていたはずだ。市ケ谷にも人の住む場所はあったが、彼女はそんな場所に住むような富裕層ではない気がした。
とはいえ、今その「設定」を反故にする気も起きず、その代わりに私は尋ねた。
「二週間、東京にいたの?」
「まあ、大体は」
「レポートを書くならいろんな場所を見てきた方が良かったんじゃない?」
「そうですねえ……」
困らせるつもりではなかったが、彼女は少し考え込むように沈黙した。設定の穴を突かれて言い訳を考えていたのかもしれなかった。
「でも、有史以来の人類の営みを詳細にレポートしようとしたら、いくら時間があっても足りませんよ。それに歴史や現在の政治状況などのデータは、ネットの情報を丸ごとコピーすれば事足ります。そうしたものではない、宇宙の常識を持った者が実際に現地の生命体と接触した端的な感想が必要だというのが、銀河政府の考えです」
とっさの言い訳にしては筋が通っている。もっといろいろ訊いてみても大丈夫なのかもしれない。
「銀河政府というのは、どういう組織?」
「便宜的に銀河政府という訳語を使っていますが、銀河政府の概念は、地球の各国家の政府とは大きく異なります。そもそも光速を越える通信は不可能ですから、銀河各地方の諸問題に対する即時的な対応は不可能なんです」
「え、そうなの? 光速ぐらい超えてるのかと思った」
「厳密には光速を超えると観測ができなくなります。観測できないということは、存在しないということです」
のろのろと車道を走る自転車を、緑色のタクシーが追い越していく。あまりゆっくり走るのも自転車がふらつくが、路肩に停まる車が邪魔でスピードを上げることもできない。運転に気を取られて、会話は途切れた。
「……こんな時間に服を買う人もいるんですね」
インポートブランドの旗艦店の前を通りかかると、彼女は妙に感心したようにつぶやいた。
「金曜だしね。デートにはいいんじゃない?」
店から出てきたカップルの男が、女の肩を抱く。これからクラブかどこかでオールナイトで遊ぶのか、あるいはホテルにでも向かうのか。通り過ぎる車のカーステレオからダンスミュージックの重低音が響く。
昼間の暑さは引いたものの気温は未だ高く、夏の終わりを目前に控えた街には、いつもの金曜以上に解放感が漂っている気がした。
「デートですか。それはつまり、相手が生殖行為の対象として相応しいか見定めているということですね?」
「まあ、そういうことになるかな……」
身も蓋もないことを言われ、ドキリとする。
とはいえ、間違ってはいないだろう。地球全てとまでは言わないが、先進国と呼ばれる国々では、男女がデートを重ねることで相手を見定め、お互いが子供を作るに値する相手だと認めれば婚姻関係を結ぶ。あるいは、生殖を伴わない行為に至り、その後で伴侶として相応しいか判断することもあるし、行為自体が目的の場合もある。
「残酷ですね、有性生殖というのは。子孫を残せず淘汰されるものが必ず出てくるわけですから」
「まあそのおかげで哺乳類はここまで進化したわけだから、良し悪しだけれどね」
彼女と話していると、普段当たり前に思っている人類の営みが、なんだかとても奇妙なものに思えてきた。彼女が本当に地球人なのかどうか、また信じられなくなってきた。
「宇宙人……というか、銀河政府を構成する知的生物は有性生殖しないの?」
「そうですね。生物が進化するうえでは有性生殖は効率的なのですが、ある段階を過ぎるとデメリットの方が大きくなるんです」
彼女は淡々と告げるが、その声はどことなく悲しげだった。
信号で停まると、向こうの角に洒落たハンバーガーショップがあるのが見える。ハンバーガーが食べたいわけではないが、そろそろ食事をしても良い時間だった。とはいえ自転車を置く場所もない。
「食事どうする? 駐輪場を探す手もあるけど」
「空腹ですか?」
「少しね。でもまだ大丈夫」
まあ、まだまだ先は長い。駐輪場を探して時間を喰うより、どんどん進んだ方がいいかもしれない。今でこそスマホで駐輪場を探すこともできるが、当時は土地鑑のない場所で駐輪場を探すのも一苦労だった。
「じゃあもう少し進もうか。二四六だからどこまで行ってもなんかあるし、東京出たら駐車場付きのファミレスとかもあるはずだし」
「そうですね。まずは東京を出ましょう。ただ……」
「どうかした?」
「すみません、地球の調査費用が底をついたため、東京を出ても食事代がありません」
「分かってるって。奢るよ」
考えてみればなかなか画期的な奢られ方だったが、そういう設定なのだから仕方なかった。
信号を越えてしばらく進むと、道の左側は青学の敷地になった。歩道を通る人々も減り、路肩の車もなくなった。
「左、青学だよ。青山学院大学」
なんとなく言ってみる。私は別に青学を受けるつもりもなかったが、受験生なら興味のある話題かと思ったのだ。
「有名なのですか?」
彼女が本当に知らなかったのか、設定に基づいてとぼけたのかはわからない。
「私が探査船のコンピューターと無線で繋がっていれば検索できるんでしょうけれど、身体的には一般の地球人と変わらないので、予めインプットされた情報しか使用できないんです。不便ですよね」
横を歩くと広く感じる青学のキャンパスも、自転車だとすぐに通り過ぎてしまう。間もなく渋谷。そこを過ぎれば、いよいよ山手線の外側だ。
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